【落として】
小島。それが安芸城を遠くから見た元親の感想だった。狭小ながらも開けた平野である安芸。その中央付近にある小さな丘の上に築かれた安芸城は、遠くから見れば、さながら海面から顔を出している孤島のようだった。
「とりあえず重俊たちと合流するか……」
元親は兵を北に進ませた。内野原も安芸城も今いる場所から北の方にある。彼らと合流し、そのまま安芸城の攻囲に移る。元親はそういう腹積もりであった。
内野原にいた別動隊からの報告では、彼らの対処に来ていた安芸勢は、八流一帯の戦の顛末を知り、不利を悟ったのか、半分程が離散し、もう半分は城に籠ったらしい。彼我の戦力差はもう『十分に防備を固めた敵』を撃破するに足る。ましてや敵の籠る安芸城は山の上に築かれているとはいえ、その山の標高はかなり低く、遠くから見た限りではその防衛能力はあまりないように見えた。防衛施設としてのみの観点から言えば、八流の城の方が立地条件の良さからよっぽど優れているだろう。四周から取り囲み、一斉に攻撃に出れば容易く落とせそうだった。
報告は確かなようで道中に敵兵の姿はない。悠々と兵を進めていくと一時間ほどで安芸城の全貌が見える位置にまで来た。
「……まるで島みたいだ……」
遠くから見た印象と変わりなかった。何故なら、彼の城は水堀によってその全周を囲われていて、さながら、海面から顔を出している孤島のようだったからだった。
安芸平野を割るように流れる安芸川と、そこから別れた支流の矢川。その二股の流れの丁度またぐらにあたる位置に鎮座して、それらを北、西、東の三方向を守る天然の水堀とし、空いた南の方は両川を繋いで人工の水堀を拵えてあった。更にそれらのすぐ内側には堤防も兼ねているであろう土塁が設けられており、その上には板塀も建てられている。おまけにいくつか櫓も組まれていた。これが安芸国虎の本城である安芸城の全容だった。
「……うん。囲むのは無しかな」
もし、先程思っていたように城をぐるりと取り囲むように兵を配置すれば『入』のような形で流れている川によって分断され、連携が取りづらくなる。そこを衝かれでもしたら大きな損害をだすどころか負けもあり得た。それに、南側以外から攻撃したところで、三十メートルほどの幅の川を越えての攻撃は大して効果が見込めないだろう。それならば、いっそ、一番攻めやすい南側に戦力を集中した方が良さそうだった。
「水攻め……も無理そうか」
川が近くにあるため可能性の一つとして考慮してみたが、だだっ広い平野の真ん中に浮かぶこの城を水で沈めるには、安芸城だけでなく、両側を流れる川ごと堤防で包まなければならない。無論そんな規模の工事は、今の元親の手勢では現実的ではなかった。
結局、元親は安芸城の南方に陣を敷いた。率いてきた本隊を前面に出し、内野原から合流してきた部隊は後方に控えさせ、万が一敵が打って出てきた時の備えとした。
こちらの動きに合わせ、敵も南側に戦力を集中させているようだった。曇り空の背景に良く映える派手な色の旗指物が、櫓の上や、板塀の裏から沢山覗いている。互いに退くことのできない、正面からのがっぷり四つが始まりそうだった。たとえそうなったとしても、数も火力も圧倒的に優越している長曾我部勢は小兵の安芸勢が何をして来ようとも簡単に寄り切れる。そんな横綱相撲を行えるような戦力差が今の両者にはあった。
「かかれ!」
元親は行司の様に軍配を上げた。それを合図に法螺貝が響き、先鋒である二人の弟、吉良親貞と香宗我部親康の部隊が鬨の声を上げながら向かって行く。
二部隊は勢いよく突撃していった。だが、その勢いに任せて水堀を越えて城に取り付けるというものではない。城攻めの定石通りに、竹束で出来た置盾を並べての射撃戦から展開された。
双方の腕に覚えのある者たちが、強弓を構え、矢を放つ。どちらの矢も唸りを上げて標的に向けて飛んでいくのは同じだったが、その命中率は違った。長曾我部側が一本当てれば、安芸側が四本当てる。それぐらいの違いがあった。これは弓兵たちの腕の差というよりも、遮蔽物と高低の差によるものだろう。長曾我部勢が置盾から半身を出しながら射撃しているのに対して、安芸勢は板塀に小さく開いている矢狭間から、ほぼ全身を隠しながら射撃できている。それに加えて、長曾我部勢が平地にいるのに対して、安芸勢は土塁や櫓で数メートルほどの高さを得ている。この二つの有利不利がそのまま命中率に影響しているようだった。
一方的な矢合わせを元親が苦々しく観戦していると、不意に安芸城の方から発砲音が聞こえてきた。どうやら、国虎の方も火縄銃の導入を進めているようだった。だが、それほど熱心でもないのか、その数は数丁しか確認できない。いくら火縄銃が、硬い鎧ごと敵を撃ち抜く強力な兵器だとはいっても、そんな少数では何ら戦局に影響を与えなかった。
「やっぱり百丁ぐらいを一斉に撃たせるべきだよなぁ。……ん?……雨?」
初戦は水入りによって中断された。
二日目は元親自らも出た。右翼に福留親政の部隊を、左翼に吉田重俊の部隊を配し、元親直下の一領具足たちは自由に動かせる形をとった。両翼の部隊の援護をできるようにするためである。少しずつ、資金と相談しながら数を増やし続けてきた一領具足たちの数は、丁度、百。それぞれの手には例外なく火縄銃があった。
「かかれ!」
元親の号令によって、水たまりや泥を跳ねながら、二千の兵が一斉に前進を開始した。元親もそれに続き、近くの置盾に身を隠す。昨日とやる事は変わらない。残置された置盾を利用しながらの射撃戦である。しかし、それをやる者が違った。
「第一組、第二組は櫓の上の敵を!残りの第三から第十組は、各組長の判断の下、それぞれ矢狭間を狙え!」
元親の下した近・代・的・な指示の通りに、数か月ないし一年ほどの訓練を積んできた一領具足たちは動いた。下士官として選抜した十人の組長が各々標的を狙いやすい位置を選定し、移動。それに九人の兵卒が着いていき、十人一塊の小部隊が自動的に配置につく。配置についた後は各組長が標的の指示をし、それに全員が狙いを付ける。各個射撃の命令は下していないため、未だ聞こえて来る銃声は敵方からのみだった。
この時にも親政、重俊の両部隊も攻撃を仕掛けてはいる。しかし、前日と同じくその戦況は芳しくないようだった。
元親は頭に衝撃を受けた。大将首を狙おうとする櫓の上にいる敵から、弓で射られたようだった。兜の硬さに救われた元親は、この時代にしてはかなり大きな体を小さくかがめ、もう一度兜の防護力を試すことが無いようにした。
「危なかったぁ……。にしてもあの距離から頭に当てて来るとはね……」
櫓からは百メートル弱ほどある。元親は改めて侍の弓術の恐ろしさを認識した。
中世の戦争は、侍や騎士という封建制下によって発生した貴族階級が支配している。硬い鎧に軍馬、そして生涯をかけて鍛えた体や戦闘術。それらを一身に身につけた彼らの強さは、戦の度に集められた足軽や歩卒などとは一線を画していた。士気も、馬や刀や槍や弓の扱いも、組打ちの技術も、力も、教養も、何もかも上回っていた。軍記物によって描かれてきたのは、どの侍と侍、騎士と騎士が一騎打ちをしたかばかりであり、末端の兵士の活躍は、その数が少ないとはいえ、語られることはほとんどない。そんな、戦場の主役であり、主力でもあった彼らは、ある兵器の登場を境に数を減らし、そして、完全に消え去った。その兵器とは――
「――撃て!」
元親の号令によって、百の『その兵器』が大きく自己主張を始めた。大きく咆え、お前らの時代は終わったと言わんばかりに櫓の木壁を、板塀を貫き、その後ろにいた中世の象徴である侍を鎧ごと撃ち砕いた。
「よし!後は各組ごとに射撃せよ!」
一回の斉射は十人ほど屠ったようだった。その餌食となった彼らは生涯を通して、弓を、より上手く、より強い弓を扱えるようになるため腕を磨いてきたのであろう。中には左右の腕の長さが不揃いになるほどの鍛錬を積んできた者もいたはずだった。そんな強者たちを、精々一年ほどの教練しか行っていない一領具足たちが、一瞬にして、斃した。
もし、刀か槍か弓のどれかを持って一騎打ちをしたとすれば、何百回やり直しても一領具足たちが負ける。これは試さずともわかる。だが、銃という兵器の場合は話が違った。銃というのは誰が持とうともその威力が変わることはない。ただ、装填と射撃動作を覚えるだけでその威力を存分に発揮出来る。つまり、高い身体的能力と熟達した技術を持った戦の専門家である侍と、半農民である一領具足たちの力量差がほぼ皆無となるということだった。
一つ火薬の弾ける音がするたびに、中世の日本を象徴する侍が倒れていく。敵も為すが儘というわけではなく、同じように火縄銃で反撃を試みるが、その数は少なく、練度もあまり高くないのか、その装填速度は――
「――遅いね……」
続く『何もかも』という言葉は胸の中にとどめておいた。未来から来たというだけの人間が、相手の先見性を批判することが何だか憚られたからだった。
敵の銃兵も撃ち、更に各組が数度ずつ射撃を行った頃合いになると、銃撃を警戒してか、相手からの反撃が止んだ。幾つも見えていた旗指物も見えない。
「今ぞ!者ども、押せや!」
この機を逃す重俊ではなかった。配下に檄を飛ばし、一斉に寄せていく。その動きを見てか、親政の部隊も動き始めた。
「一番乗りとなる者は誰ぞ!?」
橋を渡り、城門を掛矢で叩き壊そうとする者。置盾を作るついでに用意しておいた筏に乗って水堀を渡る者。置盾そのものを筏代わりにしている者もいた。彼らが寄せていっている時にも敵からの攻撃は無かった。
「このまま降伏してくれたらいいんだけどな……」
かつての敵は将来の味方になり得る。そっくりそのまま、というわけにもいかないが……。それに、銃撃に必要な玉薬も高価である。温存を止め、ここでは存分に使ったがその費用も馬鹿にならない。
城門はすぐに開けられた。その中に入って分かったが、城壁の内側に本丸があり、安芸方はそこまで防衛線を下げただけのようだった。
本丸も同じ様に水堀に囲まれている。だが、その規模は外側のよりも小さい。もはや勝敗はついたといっていいだろう。
「今日の所はここまでにして、明日使者を送るか……」
占拠した城内を維持するためにいくつかの部隊を入れると、元親は門を出た。もし大将である自分が城内に居れば、夜襲によって討たれて敗北を喫してしまう恐れがあるからだった。念のため、南側以外にも見張りとして兵を配置し、不審な者の出入りが無いようにもした。
城を出る時、元親は城壁の内側に捨て置かれていた安芸方の侍の遺体を見てしまった。元親よりも若そうであり屈強であった。きっと家中ではその名を知られた者であっただろう。元親はもう一度呟いた。
「降伏してほしいな……」
城外にはまだ近世の香りが漂っていた。
その日の夜、元親はにわかに起こった喧騒で目を覚ました。
案の定、敵が夜襲をかけて来たのかと一瞬思ったが、それにしては騒ぎが小さかった。程なくすると、報告が来た。
「申し上げます。敵方の将、黒岩越前殿を陣中にて捕らえましてござりまする」
越前とは和食で元親が攻めていた姫倉城の城主であった。何倍もの敵を相手に良く防ぎ、敵わないとみるや不必要な損害を出さないために整斉と撤退していったその見事な手腕は、元親の記憶に新しい。
「捕らえたって……たった一人で来てたの?」
「はっ」
「……会おう」
夜陰に紛れて首を獲りに来たのかと、元親は最初に思ったが、高手後手に縛られている越前が言うには、どうやら違うようだった。
越前は撤退した後、国虎の妻である一条房基の娘を、実家である中村の方に無事送り届ける任が与えられていたようだった。そしてその任を終え、主と共に城を枕に討ち死にしようと思って戻ってみれば完全に包囲されている。しかし、それでも諦めきれないために、夜中、城内に忍び込もうとしていたのである。
「……そうなんだ」
「こうなってしまっては無念だが仕方あるまい……斬れ」
言葉の通り本当に無念そうな越前だったが、元親には斬る気はさらさら無かった。
「……いいよ。城の中に入って」
元親は左右の者に越前の縄を解かせた。
「……いいのか?」
訝し気に越前が元親の方を見てきた。それも当然であろう。元親側からすれば、害があったとしても利は無い。だが、無論元親にも考えがあってのことだった。
「……但し。一度降伏を促してほしい」
元親は降伏の条件を越前に伝えた。その内容は、本山親成と同じように領地の大部分の差し出しと長曾我部家に忠誠を誓うことだった。当主国虎の生死は問わない。寛大な処置といっていいだろう。
「……あいわかった。しかとお伝えする」
越前は一礼するとその場を後にしていった。
「……これで降伏してくれるといいんだけどなぁ」
翌朝、安芸城の方から使者が来た。その使者は昨晩見た顔だった。
陣幕の中。他の将たちも控えさせて引見すると、越前は国虎が降伏勧告を受け入れたと言ってきた。
「……そうなんだ。……それで本人は……?」
「……腹を召されました。……介錯は某が」
遺体は近くにある菩提寺にて埋葬するらしい。
「…………そうなんだ」
国虎を一度もその目に見ることなく、元親は安芸家を滅亡させた。
「……それで、これからどうするの?」
越前に今後を尋ねた。元親としては是非とも長曾我部家の下で働いて欲しかった。
「……そちらの方には……主君の法事が済み次第……」
御免。と越前は陣幕を出て行った。
「……ありゃあ、死ぬな」
重俊の呟きに、他の諸将も頷いていた。
後日、安芸を獲った勢いそのままに、未だ服属しない奈半利を攻めていると、越前が国虎の墓前で自害したという報告を受けた。
奈半利までを獲り、土佐東部の主要な平野部の殆どをその手に収めた元親は、安芸は親康に、奈半利は桑名弥次兵衛に任せ、一旦岡豊に戻ることにした。最早東部に残っている抵抗勢力は微々たるものであり、この二人の持つ手勢だけでそれらに対処することは可能である。
次なる目標に備えて兵を休ませる必要があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます