【贈りあって】
春。岡豊城。
「――その後、暫くの間睨み合い、結局退却した。という次第です」
「そっかぁ。……介入があるのは想定してたけど、そこまで本格的だったとは……。これならもっと兵を連れていかせるべきだったね」
親家の報告を聞き、元親は自分の考えの甘さを反省した。しかし、その反省に対して異を唱える者がいた。
「いえ。百や二百増やしたところで結果は変わらないでしょう。それに、他家の戦にあまり兵力を割く余裕は当家にはありませぬ。五百が最も適当な数だったと某は思っております」
弥九朗である。人質として中村の方に送られていたが、先の戦での活躍に報いようと兼定が帰したのだ。
「そ、そう……?ありがとう」
これが義理の末弟との初めてといってもいい会話だったが、この会話だけで、彼の優秀さと自分に好意が向けられていることが分かった。
「……そうだ。伊予のことは分かったんだけど土佐の……中村の方はどうなんだい?」
この問いに答えたのは親家だった。
「御所様のことでしたら、総力を挙げた南予への侵攻が失敗に終わり、かなり苦しい立場にあるようです」
この南予進攻で得たものはほとんどない。『骨折り損のくたびれ儲け』で済ますにはあまりにも兵の損失が大きいらしく、元から当主の兼定の人気がないのも相まって、あちこちから不満の声が上がっているらしい。
「『いっそ、岡豊にでも行こうか』なんて声もあるとかないとか」
いたずらっぽく親家はそう言った。
親家のその言葉が冗談ということを加味して考えても、一条家はかなり弱体化しているようだった。それこそ、今すぐ次の戦が起きても対応できなさそうなほどに。
「……そうなんだ。……そろそろ頃合いかもね」
聞きたいことを全て聞いた元親は、二人にねぎらいの言葉をかけて立ち上がった。
「お待ちください。中村から使者が来ています」
「……そうだった。すっかり終わる気になってた……」
弥九朗に呼び止められ、元親は思い出した。加勢の礼を伝えに来た使者が控えの間で待っているのを。
準備を整えて迎え入れた使者は、いつものように肥えた貴族風の男ではなく、日に良く焼けた初老の男だった。長曾我部家最古参の吉田重俊よりも少し若いくらいだろう。
男は頭を下げて待つ元親達を見るなり、
「あいや。そこまで堅苦しくされても困りますなあ」
と気さくに言った。
彼こそが、暗愚な兼定に代わり実質的に一条家を動かしているといわれている土井宗珊であった。
「この度こちらに赴いたのは、元親殿に礼を言いに来たただの土井宗珊であって、やんごとなき御方の名代ではありませんからなぁ」
宗珊がそう発言してから始まった会談は終始和やかな雰囲気で行われた。まず、加勢の礼として宗珊が贈り物を贈り、元親はそれの返礼として、あらかじめ用意していた相手方よりやや価値が劣る品を返礼品として贈る。本来であるならば、もっと煩雑な作法や儀礼的なやり取りをし、じっくりと時間をかけて行われるものだが、それらはかなり省略して行われた。これは宗珊・元親両人の気質によるものでもあろうが、両人ともがこの会談の真の目的を裏に秘めていたからでもあろう。
少なくとも元親の方はそうであった。この会談で宗珊をしっかりと牽制し、これから起こす行動に対して邪魔をされないようにしておきたかった。それに、態々贈答品を渡しに一条家の中心人物が足を運ぶ理由がない。宗珊の方も何か目的があってきていることは明白だった。
「……ささやかながら酒宴の席を設けております。お時間宜しければ、是非に」
酒の席でならば二人の物理的な距離が縮まり、込み入った話がし易い。この話に宗珊は乗ってきた。土佐人故に酒の席が好きというのもあるだろうが、やはり何か談じたいのだろう。元親は弥九朗にある物を用意させるよう耳打ちすると、宴会の席へ宗珊を案内していった。
宴会には、宗珊に元親、加勢に行った親家、そしてある物の準備のため席を離れている弥九朗、合わせて四人が参加している。
酒の注ぎ合いが終わり、最初に口を開いたのは宗珊だった。
「……重ね重ね申し上げるが、この度の貴家の加勢心より感謝しております」
感謝の言葉に反応したのは親家だった。相手の出方を伺おうとしていた元親は一歩遅れた。
「いやいや!いやいやいや!感謝だなんてとんでもござりませんぞ!我ら長曾我部家一同、今こうしてここにいられるのは、亡き先代の幼小のみぎりに房家様より賜ったご厚恩があったればこそ!寧ろ感謝すべきなのはこちらの方ですぞ!」
酔いが親家を多弁にしているのは想像に難くなかった。なぜなら、始まって間もないのにもかかわらず、親家の傍らには銚子が一本転がっていたからだった。だが、長い在陣の間酒にありつけなかった反動なのか、普段からこのような調子なのかの判断は難しかった。
「お心遣い痛み入ります。……一条家と長曾我部家はこれからも仲睦まじい関係でありたいものですな元親殿?」
宗珊が親家から受けた話を元親に向けて投げつけてきた。元親はそれを受け止め、裏を読み、瞬時に返さなくてはならない。この宗珊の言葉の真意は『こちらを攻めたりはしないだろう?』ということの確認をしている。そう読んだ元親は元からその気もないので、
「ええ、そうですね」
と思うままに答えた。そうでなければ困る。
それから、続けてこう言った。
「この乱世の世の中、一条家と長曾我部家だけでも仲良くありたいものですね」
この言葉の真意に気づいたのか、さっきまで朗らかだった宗珊の顔は渋面になった。
「……いえ、土佐全体が平らかになるのが最上でしょう」
当然簡単には譲歩しない。ここまでは元親の予想通りであった。しかし、宗珊の煮え切らない態度を見る限り、例の物を見せれば押し切れるだろう。そう思っていると折よく弥九朗が例の物をもって宴会上に来た。
「失礼します」
入ってきた弥九朗は細長い木箱を抱え、宗珊の前に跪いた。元親は箱に釘付けになっている宗珊に対して説明した。
「末弟の弥九朗が長い間そちらで世話になった礼をと思いまして、どうぞこちらを……」
中身が見えるように蓋は開けられており、その中には火縄銃が二丁入っていた。前に一条側から送られてきた数の倍である。
「……これは一体……?」
「領内で製作されている鉄砲です」
「……貴家ではこれを幾つも……?」
「まだほんの五十程です。けれども、その数は増え続けております」
この一連のやり取りをしたのち、宗珊は沈黙を始めた。元親も黙って酒を飲みながら相手の返事を待ち始める。無理に返事を促すような真似はしない。同じ部屋にいる弥九朗と親家も空気を読んだのか、静かに膳の物を平らげていた。
「……いやあ。どうやら年を取ると自分でも思っている以上に酒に弱くなるようで、少し飲みすぎてしまったようです。このままでは醜態を晒してしまいかねないので失礼させて頂きます」
しばし続いた沈黙を破ったのは宗珊だった。入って来た時の様に明るい調子でそう言うと、元親の返事を待たずに席を立った。そうして歩き、出口で立ち止まると、ふと思い出したように言った。
「もし足摺へ赴かれるのであれば、当家が出迎えるでしょうが、室戸へ向かわれる場合は安芸の者が出迎えるでしょう。……それでは」
元親は欲しかった言質を得た。これで今後の方針が決定づけられた。
「……よし。後は時期を決めるだけだな……って鉄砲置いてかれてる……」
元親は近習の者に、火縄銃を届けさせるのと、宴会場を片付けるのを命じた。しかし、宴会場を片付けるという命令に不服を申し立てる者がいた。
「ありゃりゃりゃりゃ!もう終わりなのですか!?やっとこれからだっていう時に!」
親家であった。意地汚いことに宗珊のいた席に座り、残った酒を飲んでいる。
「うん。もう終わり。家に帰りなよ」
「あー!羨ましいですなー!拙者が伊予の地で戦っている時に宴をしている皆がー!一度くらい拙者たちの為にも開いてもらいたいものですなぁ弥九朗殿!?」
大の大人がみっともなく駄々をこね始めた。元親の言葉だけではこの場は収まりそうにないが、弥九朗が大人しく帰り始めれば親家も大人しく帰るであろう。そう思い、元親は期待の眼差しを弥九朗に向けた。ふぁが、思い通りにならなかった。
「ああその通りだ。せっかく兄上と飲める機会なのにここで終わらせてしまうのは勿体ない」
そういって、寧ろ追加の酒を近習の者に申し付けたのだった。こうなってくると無理に解散させてしまうのも良くないと思い、元親は、酔っ払いに横車を入れられて狼狽している近習の者に酒を持ってこさせるように命じた。命令が一本化したことによって、命じられた者はすぐに動き始めた。
「――武勲といえば拙者が十三の時、当時――夜中に六尺……いや七尺ほどの大坊主が立っておりまして――これこそが例の化け物と思い一刀両断!叫び声――奴が逃げ込んだ先には真っ二つに割れた五輪の塔が――その『五輪切り』がこちらでして、そうだ!今の拙者にはちと小さい故、千雄丸様に差し上げます!――」
長い長い長い親家の武勇伝。酒浸しになった海馬から引っ張り出せた情報はこの部分だけだった。逆に何故この部分だけ引っ張り出せたのかというと、起きた時にその五輪切りを抱きしめていたからだった。
「……年末の宴会での経験から気を付けてはいたんだけどね……」
それでも酒に飲まれた。いや、正しくは飲まされた。気を付けていたところでどうしようもなかった。
「……いつか、規制することも視野に入れなきゃ……」
こみあげてきたアルコール臭のする胃液を飲み下し、元親は井戸へと向かった。今は何よりも水が欲しい。飲酒規制の計画も、安芸攻略の計画も考えるのは二日酔いを冷ました後にするべきだろう。
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