【攻めて】

 その国土の殆どが山で出来ている土佐国。そんな土佐の中でも、東部はより土地を山が占める割合が多い。


 その地域の住民は、亀裂の様に沿岸部に沿って点在している狭小の平地に集住しており、東から主な『亀裂』を上げていくと、紀伊水道に面している、阿波との国境にある白浜、野根、佐喜浜。そこから室戸岬を時計回りになぞり土佐湾沿いに、室戸、吉良川、羽根、奈半利、安田、安芸氏の本拠地である安芸、そして長曾我部家と安芸家の境、和食となる。


 和食への侵攻経路は二つある。一つは吉田重俊の居城夜須城から、先年に奪取した馬ノ上城を経由する山手側から攻めるルート。もう一つは海岸沿いに伸びる街道を通る海手側のルート。どちらのルートにも安芸方の城があり、安芸家との緒戦はこれらの城を攻略するところから始まった。


 


「掛かれ!」


 弟吉良親貞の指示が、潮風に乗って、後方にいる元親の元まで届いてきた。親貞の部隊が動いたのを見たからだろう、次弟の香宗我部親康もそれに呼応するように兵を動かし始めた。


「暑……」


 城に取り付いていく兵たちを見ながら、元親は兜を脱いだ。あまり褒められたものではないが、夏の日差しによって釜に変貌した兜に、頭を煮られないようにするにはしかたなかった。現代よりは涼しいとはいえそれでも暑い。


 兜を脱ぐと、熱暴走気味だった頭が潮風によって冷やされる。そうして暫く空冷していると、脳が再起動したのか、この戦のおさらいを勝手にし始めた。


 弥九朗と親家が戻ってきてから数か月後の夏に、元親は兵を起こした。


 起こしたといっても、挑発によって相手の方から手を出させるように仕組み、血気盛んな国虎がそれにまんまと引っかかってくれたため、あくまで向こうの侵攻に対する防衛行動であるという体裁は保てている。この体裁は少しでも心得のある者であればすぐに実態を看過できるであろう程脆いものであるが、外交的にはあるとないとでは大違いであった。現に、この体裁があるため、安芸氏と姻戚関係にある一条氏はこの戦いに関して不干渉の立場を取れている。もし元親の方から攻めていれば、例え春に結んだ密約があったとしても、他家からの信用のために動かざるをえない。そうなれば総力を挙げて築いた今の長曾我部軍のもなかっただろう。安芸勢約五千、対して長曾我部勢約七千。小細工を弄して得た二千の優位は、そのまま勝敗に直結しかねないほどの重みがあった。


「……小勢の筈なんだけど、粘るねぇ」


 城の規模から察するに精々四百程度だろう。しかし、士気が高いのかその抵抗は激しく、こちらの損害が徐々に増すばかりであった。


 現在、元親が攻撃しているのは、海手側にある姫倉という城であった。海際にまで山裾を広げる小さな山の上に築かれており、和食に入り、その東隣りの安芸へ向かうには、街道近くにあるこの城を落とす必要があった。


 攻略に時間をかけると敵の後詰が来るかもしれない。だからといって無理押しをし、兵を無駄に損耗すれば今後に響く。そう思った元親は法螺貝を吹かせ、寄せ手を退かせた。すると、それを待っていたのか敵の城兵たちは城を出て安芸の方へと撤退していった。このまま籠り続けても落城すると判断したのだろう。こちらに一方的に損害を与える賢明な判断であった。


 元親は彼らを黙って見送った。しっかりと隊列を組み退いていく彼らを見て、追撃すれば手痛い反撃を喰らうだろうと思ったからである。


「……手強いね」


 元親は姫倉城の守備として最低限の兵を割くと、和食へと進んだ。和食に着くと、元親はそこで兵を止め、山手側を進ませた二千の別動隊との合流を図った。姫倉城を奪取した直後に来た使者からの報告では、元親の時と同様、敵の奮戦によってやや苦戦したものの、相手の後退によって城は奪えたらしく、陽が沈む前までには合流できるようだった。


「まだ、昼過ぎあたりか……」


 待っている間、兵を休ませ、元親は一人でこの地域の村々の長と会いに行った。『これから治める土地の有力者に顔を売っておきたい』というのと『何か有益な情報を期待して』というのと『単純に暇を潰したいという』三つの目的を持って。


「はあ……。へぇ……。あぁ……」


 老人特有の長話を聞いた結果、二つの目的は果たせた。顔を売れたし、暇も十分潰せた。だが、有益な情報というのは得られなかった。彼らから聞けたのは『国虎の代から専横が目立つ』と『ここから安芸へと続く街道には八流、穴内、新城という三つの城がある』という既知の情報だった。


 元親は礼を言うと本陣へと戻って行った。馬の背に揺られながら、何となく東の方へと目を向けると、和食は田畑しかない見通しの良い土地のため、海から隆起したかのような台地の上に築かれた八流城が見えた。その周囲には籠っている敵兵のであろう旗が、びっしりと並び、はためいている。


「あそこ一帯に五千もいられるのは厄介だなぁ……。となると迂回か……」


 元親はこの戦いに長曾我部家の総力を結集させている。そのため、池和頼率いる水軍も近くに控えさせてはいる。しかし、その規模は未だ小さく、上陸作戦を行うには心許ない。もし強行したとしても僅かな兵しか送り込めず、容易く取り囲まれ殲滅されるであろう。


「とはいえ正面から攻めるなら今の倍は欲しい――」


「――一人で何をぶつぶつと言っておる」


 聞き慣れた声に、元親が振り返ると、そこには訝し気な重俊がいた。彼からやや離れた後方には別動隊として率いさせていた二千の兵と、馬に乗った見知らぬ侍が数人いる。


 彼らを少し離れた場所に待機させているということは、内密にしておきたい話がしたいのだろう。そう思った元親は声を潜ませて喋った。


「……いや何でもないよ。……それより、あの人たちは?」


 元親は見知らぬ侍たちが誰なのかを尋ねた。尋ねはしたが、ある程度の見当はついている。投降したか寝返ったかのどちらかであろう。


「……あやつらはな、安芸家を裏切ってこちらにつく事を選んだ者たちよ」


 苦々し気に重俊が言った。信条的に、旗色が悪くなったからといって味方を裏切るような者は嫌いなのだろう。


「……へーそうなんだ」


 元親は対照的に笑みを浮かべた。


 元親の方も個人的に言えばそういう人間は好きではない。だが、その有益さを知っているためこちらに寝返る者は大歓迎だった。なぜなら単純に相手の戦力は減り、こちらの戦力が増えることに加え、こちら側についたものを厚遇すれば、負ければ殺されるからと文字通り死ぬ気で向かってくる敵も減る筈である――


「……それでな、あやつらが言うには、山を抜けて安芸に入る道を知っていると言っておるがどうする?」


 ――それに、有益な敵の内部情報を持っている場合も往々にしてあるからだった。


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