【捕まえて】

「そんなにかしこまらなくていいよ。親戚みたいなものだしさ」


 岡豊城。下座で平伏している本山貞茂に元親はそう言った。これで本山家が長曾我部家に服属したことになった。瓜生野城が落ちる直前に茂辰は阿波に落ちのびている。そのため、目の前の貞茂が現本山家当主ということになっていた。


「お気遣いいただき感謝します。とはいえ、我が母が元親様と姉弟だからといって、主従のけじめをないがしろにするようなことは出来ません」


 元親は殊勝なことを口にする甥をまじまじと見た。まじまじと見ていると、朝倉での合戦の時の貞茂の活躍が思い起こされた。


 元親は、彼をいずれ編成する騎兵隊の隊長にすることに決めた。


「よい働きを期待してるね」


 元親は貞茂に偏諱 へんきを与え、以降貞茂を『親成』と名乗らせた。この時代では目上の者が名を一字与えることがよくある。そしてそれは、その配下の者に信頼と期待を寄せているという意味があるらしい。


 親成が退出した。この後何もなければ奥に入って千雄丸の様子を見に行くのだが、生憎ながらもう一名会わなければならない客がいた。


 その客は廊下をきしませながらやって来た。元親は慌てて下座に降りた。客とは一条家より来た使者のことであった。安芸家と和睦を結んでからというもの度々送られてきている。使者の携えてきた要件はいつも同じだった。


「先年より繰り返される伊予国からの襲撃に対処するため、兵を貸してほしい」


 今回の使者もやはりそんな感じのことを言った。そんな感じのことを言った使者も、内容と同じく毎回同じ人物であった。化粧を施した肥えた顔に、重そうな体。明らかに侍ではなく貴族といった感じだった。安芸家との和睦の際、異様に動きが早かったことを不審に思い、この使者のことを調べさせたが、『依岡左京進 よりおかさきょうのじょう』という名前だということしか分からなかった。だが、その調査の副次的な成果として、この使者を送ってきている者の名前は分かっている。それは一条家の家老『土井宗珊 そうざん』という老将らしい。今後警戒すべき人物だろう。


「度々の要請ではあるが、亡き先代が受けた恩を思えば容易いものであろう?」


 国親は幼少の頃、岡豊城を奪われ領地を失った時、当時の一条家当主『一条房家 ふさいえ』に匿ってもらい、その上、領地を取り戻してもらったことがあった。左京進が言っているのはそれであろう。


「……この元親、微力ながら馳走仕ります」


 こうして幡多の方に何度目かの援軍を派遣することになった。これが無ければ本山攻略ももう少し順調に進んでいたであろう。ふと元親は、瓜生野城の険阻な地形と、この援軍要請、どちらがより本山攻略の妨げになったのか考えそうになって辞めた。もう終わった話であり、今更そんなことを考えても益の無いことである。


 左京進が帰ると、元親は援軍に派遣する将を手早く決めた。


「連続することになるけど親家にしよう……。数は……五百でいいか」


 送られてくる使者や要件がいつも同じであれば、こちらから送る援軍の将と兵数もいつも同じであった。




 奥に入ると、千雄丸を可愛がり、身重のののを労わる。子も、妻も、どちらも愛おしいと思える存在だった。この幸せと彼らを何に代えても守らねば、と奥に入るたびに決意させられる。


 その決意を成就するために思案を巡らそうと、元親は奥を出て縁側に座った。秋の日はつるべ落としとはよく言ったもので、奥に入る時に空高くにいた太陽が、もう山際まで来ている。


 風が吹けばやや肌寒いと思える気温。秋は徐々に深まっていっていた。


「こういう時によく来てたんだよなぁ。あの子」


 元親のそんな呟きにお応えしてか、例のクスクスという笑い声がどこからともなく聞こえてきた。


「お主、やってくれたのう。とうとう流れを変えおって。……とはいえ、大河に小石を一つ投げ込んだにすぎぬが……」


「……何のこと?」


 声はするが、辺りを見回しても姿は見えない。元親は縁側を立ち、初めて葛と出会った時の様に庭の中を探し始めた。柿や栗、松などの籠城の備えとして植えられた木や、矢竹。食べられるからという理由や綺麗だからという理由でその繁栄を許されている草本類。いい香りがする花を咲かせる低木。その低木の裏に、声の主である少女が一人しゃがんでいた。


「久しぶりだね」


「ああ。そうじゃな」


「さっきの話。どういうことか教えてもらえる?」


 元親は葛に尋ねた。しかし、葛はただクスクスと笑うだけであった。いつもこうである。


「……君って何者?人ではないよね?」


 元親が今度は正体を尋ねると、葛はクスクスと笑いながら、庭園を軽やかに歩き始めた。


 葛が歩くたびに、丈の長い着物は地面に引き摺られていく。元親は黙って、その着物の裾の後に続いた。着物は木や茂みの間を縫うようにして這いずる。そして、密集した矢竹の裏側を回り全体が見えなくなり、


 ゆったりと追いかけていた元親が、少し遅れてその矢竹の裏側に回ってみると、そこには着物をきた少女が逆さに吊られていた。片足を罠に跳ね上げられ、恥じらいがあるようで股間の辺りに手を添えて着物を抑えている。


「……本当にやってくれる」


 仏頂面。意味深に笑ってばかりいる葛が初めて見せた表情だった。


「悪いね。聞きたいことを全て聞いたら降ろしてあげるから」


 夕日で赤く染まった庭園が、徐々に夜の闇に黒く塗りつぶされていく。

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