【引き連れて】
「構え!撃て!回れ右!駆け足進め!」
今年の夏の熱さを引き摺る秋空の下。元親は一領具足たちに教練を施していた。彼らは元親自らが選抜した目端が利いたり、賢そうだったりした者たちである。この者たちは将来、近世的な鉄砲部隊を編成した際に下士官となるであろう。だが、それはまだ先の話である。今教練を受けているのは三十人だけだからだ。しかし、下士官になるのはまだ先な話というだけであり、ここ数か月施した教練によって、彼らは元親の思う通りに動くようになっており、銃の取り扱いにも慣れてきている。そろそろ実戦に投入してもよさそうだった。
「よし!今日はこれで終わり!解散!」
そう言うなり、元親は教練に使っていた馬場を後にした。普段の彼からしてみればせっかちともいえる行動だった。『兵は拙速を尊ぶ』とは言うが、せっかちは尊ばない。この行動は彼の内に秘めているつもりの焦りが表面化したものだった。
元親が焦っている理由は、数日前に御用商人である大黒屋から、ある男の名前を聞かされたからである。
――「……もう一度言ってくれない?」
情報収集のために城に呼び寄せた大黒屋が、聞き覚えのある人名を口にした。大黒屋は嫌な顔をせずにもう一度話してくれた。
「はい。尾張の方では織田殿が美濃を攻め取ったそうでございます。その勢いに、巷では彼がいずれ上洛するのではないかという噂が……」
それ以降の大黒屋の話は、元親の耳に入らなかった。何故なら、戦国時代にあまり詳しくない自分でもよく知っている人物が同じ時代に生きているということを、この時初めて実感し、茫然としていたからだった。
――「向こうは二国でこちらは二郡か……」
現在領有しているのは、長曾我部家の本拠地である長岡郡に、その東隣りの香美郡。本山家を攻め滅ぼしてようやく三郡を持ったことになる。それでも七郡ある土佐の半分未満だった。改めて実感すると大きな差であった。
「別に競争しているわけじゃないんだけど……ね」
馬場を後にし、城の狭い連絡路を登っていきながら元親はそんなことを言った。だが、そうは言ったものの意識はしているようで、ふと、信長の居城にはこんな獣道を人でも歩けるようにしたような道はないのだろうと思ってしまった。元親は俄かに湧きおこってきた劣等感を頭を振って振り払った。
明日は本山攻めに向かう。今、目の前にあることに集中しなければ簡単に足元をすくわれてしまいかねない。元親の生きている時代とはそういう時代であった。それに、足を滑らせる危険性も十分にある。元親の歩いている道というのはそういう道であった。
居館に戻り、奥に入る。
「お帰りなさいませ。今日も暑かったでございましょう?」
奥に入るとののが出迎えてくれた。彼女の腕の中で長男千雄丸が寝ている。彼が産まれてから、二年ほどの月日が経っていた。
「まあね。でも夏ほどじゃないよ。それより、千雄丸はどうだった?」
ののはその豊かな体つきに見合う量の母乳を出す。その上、彼女の自分で出来ることは自分でしたがる気質もあって、乳母にあまり頼ることなく、殆ど自らの手で千雄丸を育てていた。だが現在、のののお腹の中には二人目がおり、今年中に産まれるのではないかと言われている。妻のそういう所を立派だと思う反面、万が一が起きないように、ゆっくりしていて欲しいという気持ちも元親にはあった。
「今日も元気いっぱいでした。このまま風邪もひくことなく、健やかに育ってくれればいいのですが……」
二人の子であり、長曾我部家の後継ぎでもある千雄丸を育てている責任感からか、ののが不安そうに言った。
「……うん。その通りだね……」
元親は千雄丸が産まれる前に、葛に言われたことを思い出した。『産まれてくる子は男であり、若いうちに死ぬ』と。葛の言った通り産まれてきたのは男の子だった。とすれば、その後の『若いうちに死ぬ』というのもあっているのか。もし、そうだとしたら、いつごろになるのか。そして、それは回避可能なのか。不吉な予言を残していった張本人に色々聞きたいことがあったが、何故かここ二年の間、葛は現れなかった。
「いつ来てもいいって時に――いや。なんでもないよ。それより、お腹の子の具合はどう?」
つい漏れ出てしまった心の声を、元親は誤魔化した。
「本当に厄介な場所に逃げ込まれたな……」
崖の上に築かれた塁を見ながら元親は苦々しげに言った。
土佐国第一とも言われている要害の本山郷は既に落ちている。というより、明け渡されたと言った方が正しい表現であろう。元親が派遣した地侍、森氏の活躍によって、本山郷の二つある侵入経路の内の一つを確保すると、茂辰は守り切れないと悟ったのか、本城である本山城を捨て、さらに山深いところにある瓜生野城という城に籠ったのだ。
瓜生野城は川沿いに通された細い道を通り、複数置かれた塁を突破した先にある。迂回路はない。軍を展開できない状態で、高所を確保した相手からひたすら矢や石の攻撃を受けながら塁に取り付き、それから万全の防備の整ったそれを攻略しなくてはならない。その上、矢は重力の影響を顕著に受けるため、反撃は満足にできない。そんな厳しい戦いを強いられ、本山家との戦況は、圧倒的優勢にもかかわらず、ここ数年間無理矢理に膠着状態にさせられていた。
「早く次に取り掛かりたいっていうのに……!」
『次』とは安芸のことである。それが終わればその次もあった。こんな山深い土地で時間を兵と時間を空費している場合でない。今までならそう思い、焦燥感に駆られるだけだった。だが、今は状況が少し違う。元親が丹精込めて育てた一領具足三十名を連れて来た。その全員の手に火縄銃が持たれている。三十という数は大規模な会戦であるならば何の影響も与えないだろう。だが、この戦い――山岳戦と呼べるような少数対少数の戦い――においては、十二分にその力を発揮できるだろう。
元親は本山攻略の現場指揮を行っていた親信に命じ、塁を攻撃させた。その直後に一領具足たちに火縄銃を構えさせる。三人並んだ横隊が二列。銃を構えたのは六人のみ。これがこの戦場で発揮できる最大火力だった。
「……三十人もいらなかったな」
元親が思い描いている、数千の筒先が並ぶ戦場は、まだ当分先のようだった。
親信が前進させた兵が塁に近づくと、敵が姿を表した。それぞれ弓を持ったり、石を抱えたりしている。
「撃て!」
兵の前進を援護するために、元親は射撃命令を下した。訓練の甲斐あって、元親の号令から間を置かず、六つの小さな火柱が迸った。谷に反響する轟音。そして、残響の中鈍く鳴る、甲冑を着た肉塊が地上に叩きつけられた音。
塁はあっさりと落ちた。籠っていた敵兵が退いたからだ。発砲音に慣れた元親ですら、谷で反響したそれに身が竦む。聞き慣れていない本山方の兵が臆すのも無理はないだろう。
「後、幾つだったか……」
「後五つです」
元親の疑問に、本山攻略の総指揮をとっている親信が答えた。
この調子なら今回の出陣の内に終わるかもしれない。長曾我部の七つ酢漿草が翻る塁を見て、そう元親は思った。
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