【放してみて】

 元親は逆さに釣り上げられた少女を見下ろした。その少女も二人の目線は交わった。


「改めて聞くけど君って何者?」


「名ならとうに伝えておるだろう?」


 そんなことも分からないのか。と言いたげな口調で葛はそう言った。しかし、元親の聞きたいことはそんなことではない。葛の方もそれを承知の上で、あえて嘲弄しに来ているのだろう。そう看過した元親は、ただ押し黙り、葛の発言を黙殺した。


 元親が押し黙ると、高い身長が見る者に威圧感を与える。ましてや、今は夕と夜の境目。陰が、闇が、元親のただでさえ大きな体を覆い、更に大きなシルエットを浮かび上がらせる。葛ぐらいの子共であれば見ただけで泣き叫ぶであろう。大人であればその威圧感に耐えかねて白状してしまうであろう。


 だが、葛は泣き叫ぶどころかあくびをした。そして、威圧感に耐えかねてというよりも、今の状況に飽いたため、という感じで白状し始めた。


「……儂はな。八百万やおよろずいる内の一人よ」


 元親はある程度そうなのではないかという見当をつけてはいた。が、実際にそういう存在を目の当たりにしたことによって少し動揺した。その存在が否定されることが当たり前である現代から来た元親にとって、すんなりと受け入れられる存在ではなかったからだった。


「ほ、本当に……?」


「ああ。といっても力のない今では証明してみせるようなことは出来ぬが……」


 口惜しそうに葛は言うが、今までの彼女の神出鬼没さは、元親にそうと信じ込ませるには充分なものであった。


「……?力が無いって、どういった理由で……?」


 罠を拵えてようやく得た尋問の機会。この時、元親は捕らえてまで聞き出そうと思っていたことのみを尋ねるべきであった。しかし、相手が困窮しているようだと知ると、思わずその訳を尋ねてしまっていた。これは、元親の性根がまだ十分に善人と呼べるものであるからであろう。例え、人を殺めることや、嵌めることに心が痛まなくなって久しいとしても。


「社がな……朽ちてから長いこと経っておってな……」


 葛が言うには、人でいう所の家が焼け落ちてから数十年間野晒しの状態らしい。社がそんな状態では、そこに住まう者の力も出ないであろう。


「可哀そうに……」


 元親の発したその言葉は本心から出たものだった。見た目は少女である葛。そんな彼女の窮状に元親は心を痛めたのだ。何かしてあげたい。純粋にそう思った元親は葛の住む社の場所を尋ねた。


「君のいる社ってどこなの?」


「ここから西にある一ノ宮いちのみやじゃが……」


「……一ノ宮……ね。…………あ」


 『一ノ宮』とは土佐国のなかで一番格の高い神社である。昔は立派な社殿が建っていたらしいが、数十年前、幼少頃の国親が一条氏の下へ落ちのびることになった戦いの時に焼け落ちてから、今日までそのままの状態らしい。ただ、放置されていたといっても、国親は完全には忘れておらぬようで、定期的に領民から再興のための資金を徴収しているようだった。その資金を受け継いだ元親には、一ノ宮を再興する責任があると言えるだろう。もっとも、受け継いだ時点でその資金の大部分は戦費に費やされてはいたが……。


「知っておるのか?」


「……勿論」


 戦に外交に内政に人事。長曾我部家当主としてそれらすべてを総括し、取り仕切っている元親にとって、所縁の無い土地、時代の神社のことなど頭の片隅にも留め置かれるものではなかった。ましてや、つい最近まで本山家と戦争状態にあったわけである。例え元親が年末年始にしか神社に赴かないタイプの人物ではなかったとしても忘れていたであろう。


 とはいえ、現在の葛の窮状の遠因は元親にある。この辺り一帯を収めている者としても、資金を受け継いだ者としても、再興をもうこれ以上後回しにはできない。元親はその場で葛に一ノ宮の再興を約束をした。


「本当か!?」


 薄暗い中でも葛の表情がパッと明るくなったのが分かった。事情を知らない葛にとっては思ってもみなかった申し出でだろう。


「……うん。今月にでも取り掛かるよ」


 元親は頷いた。暗闇でなかったら顔に浮き出た罪悪感が葛にバレていたであろう。その気まずさを誤魔化す為に元親は葛に尋ねた。


「そういえば、どういう目的があってここに来ているんだい?」


 この時、元親は無意識に、捕らえてまで聞き出そうと思っていたことを尋ねた。以前であれば質問に対してまともに答えなかった葛だったが、再興を申し出たため態度が軟化したのか答えてくれた。


「暇つぶし」


「……暇つぶしって……。何も面白いものは無いのに……」


 二人のいる庭園は目の保養になるような綺麗な花も、心を和ますようないい香りのする花もない。戦の備えとして植えられた植物がいくつか生えている、武家の屋敷にありがちな武骨で面白みのない庭園である。城下に行った方がきっと暇つぶしになるだろう。


「いや。


 元親は正面から感じた視線でその『面白い者』が何なのか理解した。


「えっ。もしかして……」


「そう。どこからか迷いこんできた蝶々よ。しかも大鳥飛び交う大空を支配しようとする身の程知らずのな」


 これより見応えがあるものはない。と葛は言った。葛のその言葉は隠喩的であったが、元親が未来から来たことを示唆していた。


「……知っていたんだね」


 神霊的な何かである葛であれば、時空を超越した異質な存在を見分けられるのだろう。


「ああ。……安心せい。誰かにこのことを伝えたりせぬ」


「有難――」


「――今のところはな」


 場の主導権が捕らえた者から捕らえられた者へと移った。主導権を取り戻した者は奪い取られた者に対して命令した。


「……早う降ろせ。優しくな」


 先程の発言に込められた脅迫の意思を感じ取った元親には、葛の命令に従うしかなかった。ああいう風に脅されてしまった以上、質問を重ねることは出来ない。


 片手で宙吊りになっている葛の小さな体を抱きかかえ、空いたもう片方の手で縄を外す。葛の体重は見た目相応の重量であったため片手でも難なく抱えることができた。


 足からそっと降ろされた葛は振り返り、元親を見上げてこう言った。


「社のこと、決して違えるでないぞ?」


 その後、暗闇に向かって駆けだし、足音と共に消えた。


 あとに残された元親は右手に握られた縄を見て、ひとり呟いた。


「……注連縄にした甲斐はありそうだったな……」


 でなければ、わざわざ元親に降ろさせたりはしないだろう。或いは、それも含めての暇つぶしなのかもしれない。


 秋の夜風に吹かれ、元親は一つくしゃみをした。このまま外にいても風邪を引くだけだとしっかりと住居としての機能を有している屋敷に戻ろうとする。


――その直後、元親は片足を跳ね上げられ、つんのめった。


 念のためと余分に仕掛けておいた罠に自分で引っ掛かったのだ。

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