【初陣にて】

人馬が慌ただしく行きかう長曾我部本陣。


その中を、小森は重俊に連れられて歩いていた。


行先は小森が影武者となった元親の直属の兵達が待機しているところであった。


そこに到着してから、お飾りではあるとはいえ戦場に立つのだからと小森は重俊から槍を渡された。


「あの……これって……どうやって使えばいいんですか……?」


現代人で槍を使用したことのある人間は、そう多くは無い。小森は使い方を恐る恐る重俊に尋ねた。


重俊は一瞬きょとんとしてから、


「おまん槍の使い方も知らんがか!?」


と言った。


それは、槍の使い方を知らない小森を責めるというよりも、この時代にどのように生きて来たのかという驚きの意味合いが強い発言だった。


それは周囲にいる元親の部下たちに聞こえない程度の声量だったが、その語気の強さにより小森は完全に委縮した。


そんな繊細な人間が生きていくことのできない時代の人間である重俊は、小森の様子に気づかず、槍の使い方を手短に教えた。


「こんなもん相手の目か腹に向けてつけばええぞな」


続いて小森は馬に乗ることになった。


現代のサラブレットしか知らない小森からすれば随分と馬格の小さな馬だった。


「ええか?おんしは供回りと共にここにおれよ」


騎乗するのに四苦八苦していた小森には、重俊の話はほとんど届いていない。


馬に乗るのは子供の頃の動物園での乗馬体験の時以来だったが、委縮してしまっている小森には馬の乗り方を聞くことはできなかった。


苦闘の末、なんとか跨ることに成功した小森だったが、次は鞍にしがみつくことになった。


馬が突然走り出したからである。


小さいとはいえ馬は馬、人が走る速度の何倍もの速度で本陣から離れるように野を駆けていく。


馬が駆けている間、振り落とされないように小森は必死に鞍にしがみついていることしかできなかった。


「待たんか!」


重俊は馬に素早く乗り、小森の後を追った。


遅れて供回りの者もその後に続く。


小森を背に乗せた馬は山の際まで走って、止まった。


殆ど間を開けず、重俊も小森のそばで馬を止めた。その場所は、戸ノ本と呼ばれる、山に囲まれた狭い平野の西の端であった。東にある本陣からかなり離れてしまっている。


重俊は、すでに止まっているのにも気づかずに鞍にしがみついたままの小森の襟首をつかみ、馬から引きずり下ろした。後を追ってくる供回りの者の姿はまだ小さい。


「逃げようとするとは……やはり間者の類か」


槍の穂先が、倒れた小森の胸元に向けられる。


「ち、ちがっ!そういうつもりではなくて――」


二人の耳に数騎の馬蹄の音が響く。後続が来たのかと重俊は東の方を振り返るが、まだ音が聞こえるには距離があった。音は南から来ていた。


本山方の先陣から血気盛んな者達が、宿敵長曾我部の家紋である七つ酢漿草の旗印が単騎で駆けていくのを見て、これは好機と、三騎、抜け駆けしてきたのだった。


その後には我も続けとさらに数十騎ずつ、いくつかの小部隊に分かれ土煙を立てながら小森たちの方へ迫っていた。


重俊は鋭く舌打ちし、南へと向き直った。


「構えんか!二人とも死ぬぞ!」


小森は落としていた槍を慌てて拾った。それは長身の持ち主に合わせて他の槍より少し長い造りだった。


今の自分の置かれた状況が夢の中であるという考えを小森はまだ改めきれてはいないが、その考えを上書きするように生物としての生存本能が、ここで死んでも目覚めることは無いと、頭の中で警鐘を鳴らし、心臓を強く鼓動させ槍を強く握らせる。


自分の名や家名などを喚きながら三騎が近づいて来た。


「来るぞ!」


そう言うや否や、重俊は馬の腹を蹴り、相手に向かって猛然と駆け出した。


その勢いを避けようと相手方の三騎の内、二騎は横に散開する。


重俊は対応の遅れた一人に狙いを定め、掛け違い様に馬から突き落とした。


その間に散らばった二人は、より首の取り甲斐のありそうな上等な格好をしている小森に狙いを定めた。


一人は正面から、もう一人は遠回りして小森の背後に廻り挟みこむように動く。


慌てて、重俊に言われた通りに正面の敵の目に向けて槍を構える小森。


馬の速度と重さの乗った騎乗突撃。鎧など簡単に貫く威力を一点に集めた槍の穂先が唸りをあげて小森を襲う。


勝敗を分けたのは槍の長さだった。


小森に槍が到達する前に、小森の長い槍は相手に、自身が生み出した騎乗突撃の破壊力をその身に受けさせたのだ。


小森の槍の先端に人一人分の重量の重りが付いた。


余りの重さに思わず槍を手放す小森。彼に初めて人を殺した感慨に浸る猶予は無い。


背後に回り込んだ一人が、攻撃を仕掛けてきた。


背後を突かれ、初撃は当たったが小森に傷は無い。鎧の質の高さに命を救われた。


続いて二回三回と繰り出されるも、これは不格好ながらもなんとか回避に成功した。


小森は足元にある、さっき倒した敵が持っていた槍を拾い、構えた。


先程の様な槍のリーチの差による優位性は無い。こうなれば技術や経験の差により小森は圧倒的に不利であった。


「長曾我部の姫若子も思うちょったよりやるにゃあ」


相手の侍は褒めた。小森は、返事をしない。


相手も返事を期待したわけではない。


数秒、無言のまま対峙。


突如、戸の本全体に馬蹄の音や鬨の声が轟く。本山の全軍が抜け駆けに釣られるようにして動き始めたのだ。


侍は一瞬自軍の動きに気を取られた。


小森はその隙を逃さなかった。今の槍では騎乗している侍の頭は遠い。腹を目掛けて槍を繰り出した。


その動きに気づいて、相手の侍も小森の頭目掛けて槍を振り下ろす。


先に槍が目標に到達したのは、やはり最初に動いた小森の方だった。


槍は相手の胴を刺した。


小森は勝ったと思った。


しかし、素人である小森が繰り出した攻撃は、相手の粗末な造りの胴鎧を貫くことが出来てはいなかった。


小森がその事を理解したのは、相手に槍で頭を叩かれた時だった。


兜越しとはいえ、その衝撃により小森は視界が白み、棒立ちとなり隙だらけになった。


だが、相手がその隙を狙うことは叶わなかった。


助けに戻ってきた重俊に、一突きで仕留められたからである。


その直後、供回りの者達が遅ればせながら、来た。


本山方の抜け駆け第二陣の数十騎も、すぐそこまで迫っていた。


「退くぞ!」


重俊は即座に撤退を判断した。


合流した供回りは二十騎だけ。


こちらに向かってくる直近の敵の数は少なく見積もっても三十はいる。


位置的にも本陣から孤立している現状、それは妥当な判断だった。


「待ってください!」


しかし小森はそれを止めた。


まだ馬にも乗り直していなかった。


「何を申される!?早う馬にお乗りくだされ!」


周りの目もある為、重俊の言葉は慇懃ではあったが、言外に『この急を要する時に


余計なことを言うな』という思いが込められており、顔にはその気持ちが出ていた。


小森は仁王像のように険しい顔で己を睨みつける重俊を、真っすぐ見つめ返した。


その眼は、さっきまでの命のやり取りによる極度の興奮により血走っている。


一瞬、その眼に百戦錬磨の重俊ですらひるんだ。


「このままここで敵を引き付けます」


その小森の発言に、重俊は馬を寄せ、周りに聞こえない声量で苛立ちながら言った。


「阿保な事言いよらんと早う馬に乗れ!ここで死にたいがか!?」


脅しめいた発言に、小森は億すことなく自分の考えを述べた。


「このまま敵を引き付ければ、本陣が敵の側面を突ける形になります」


「何!?」


小森のこの言葉に重俊は振り返り、本山軍の全体の陣容をよく見た。


幾つか出た抜け駆けに釣られるようにして、なし崩し的に動き始めた本山軍は、足並みをそろえることができておらず、横に長い横陣が徐々に縦長の縦陣と変化していっている。


いや、もはや陣とも呼べるような状態ではなかった。


各々が全速力でこちらに向かい、その速度の差が隊形のようなものを形作っているだけであった。


《 《 山陰で見えない長曾我部軍本隊には目もくれず》》。





「……おんし、頭を叩かれてから別人に変わったようやな」


ひょっとしたら本当に別人に変わったのではないかと疑念が湧き、重俊は振り返って小森を見た。


だが、その目に映る小森は、怯えながら槍の使い方を聞いてきた時と変わらぬ姿であった。


しかし、確実に変わってはいた。


それは、目に映らないものであり、小森本人にも自覚できないほど僅かな変化であっただけである。


小森が馬に乗り直し、間もなく、小森とその部隊は敵部隊と衝突した。




「猪どもが……。周りが見えておらんのか」


本山軍総大将、本山茂しげ辰ときは我も我もと駆けだす兵達を見て舌打ちした。


茂辰は決して無能ではない。


土佐国の最大勢力である一条氏を相手取り、幾度も勝ち、その勢力を着実に広げ続けている。


土佐を手中に収めるのはこの人であろうという声も少なくは無い。


そんな彼でも、通信伝達手段が旗、鳴り物、伝令、大声に限られる戦国時代では数千の兵を完全に統御することは至難の業であった。


斥候により敵本隊の位置を割り出している。無論、諸将にもその情報を共有している。


しかし、兵達は目の前に躍り出た無防備で上等な獲物に喰らいついていくことに夢中になり、その事は頭の片隅から放り出されているようであった。


「残った者も全て出せ。儂も行く」


茂辰は僅かに残った手勢を率いて、目の前の手柄に逸る兵の後についていった。


このままだと間違いなく側面を衝かれる。だが、その側面攻撃をこの手勢で食い止めれば、その間に体勢を立て直せるであろう。そういう算段を立てての前進であった。


直接向き合えば、こちらは二千五百に対して相手はせいぜい千。


序盤に多少不利を背負ったとしても、充分に勝てると茂辰は思った。


しかし、一手遅かった。


茂辰が動き始めた直後、長曾我部勢が山陰から勢いよく姿を現した。


小森を狙っていた蛇のように補佐長く伸びた隊形。その頭と胴を寸断され、それらも瞬く間にコマ切れにされた。


茂辰は前線に急行した。


やられたのは全軍から見ればほんの一部であり、まだ数では圧倒的優位がある。


踏みとどまれば勝てる。


だが、その判断は誤りであった。


先鋒が一瞬で崩れたのを見て、全軍が恐慌状態に陥ったのだ。


「見苦しいぞ!取って返せ!」


長曾我部勢の方に向かいながら、茂辰は逃げて来る兵を大声で叱咤した。


それで引き返したり踏みとどまったりした者もいたが、それでも逃げる者の方が圧倒的に多い。


茂辰の部隊は、やがて、逃げる兵達に阻まれ身動きが取れなくなった。


皆生き延びるために必死だった。


もはや逃げられぬと敵と相対する者。


躓き、或いは後ろから押されて倒れる者。そして倒れた者を容赦なく踏む者。


乗り手を失い暴れる馬。それに蹴られる者。


中には前にいる味方の背中を切りつける者もいた。


「どうにもならんな……。退くぞ!」


撤退を判断し、周りの歩卒たちを蹴とばし、やっとの思いで馬が動ける空間を確保しながら、茂辰は馬を返した。


しかし、来た道である西へと続く海岸の道は非常に狭く、既に、逃げた兵で混雑している。


そして、そこに長曾我部の侍が殺到していくのが見えた。


茂辰に残された道は一つしかなかった。


「浦戸城に撤退せよ!」


茂辰と、その指示を聞き、実行することの出来た極僅かの者は東に走り、そこにある浦戸城へと向かった。


それらに対して追手は差し向けられなかった。


何故なら、長浜城が長曾我部家の手に落ちている現在、浦戸城は長曾我部勢力圏の内に孤立した状態であったからである。


袋に自ら入っていくネズミをわざわざ追う手間は必要は無い。


小森の初陣は大勝で終わった。


しかし、これは日本全体でみれば地方の弱小勢力の豪族たちによる小規模の紛争にすぎない。


ほぼ同時期、日本の中央では、信長による大番狂わせが桶狭間で起きていた。


それが小森に直接影響してくるのは、まだまだ先の事であった。


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