蝙蝠亡き島に飛ばされて

昼ヶS

羽を広げて

【鳥無き島に飛ばされて】

「そういえば、卒業したらどこに就職するんだ?」


大学内にある図書館にて、小森は友人から聞かれたくない問いを聞かれた。


無視するわけにもいかないので、小森は読んでいた本を閉じ、やや間を開けて答えた。


「……まだだよ」


小森のか細い答えを聞き友人はバツの悪そうな顔をし、謝罪した。


「すまん」


「いや、誤る必要はないよ。この時期にもなって就職先の決まってない自分が悪いだけだし」


二人の間にしばし沈黙の時が流れた。


就職先の話は、この時期の大学生にとって卒論についての話に並んでよく話の切り口になる。


小森は既に似たようなやり取りをすでに何度か経験していたが、そのどれもが同様に小森と相手方に気まずい思いをさせてきた。


気まずい沈黙を破る為話題を変えようと友人は小森が先ほどまで読んでいた本について尋ねた。


「リデルハート『戦略論』……?どんな本なんだ?これは?」


話題を変えたい気持ちは同じなため、小森は『戦略論』の概要を話した。


「古代から二次大戦までの欧米での戦例をもとに如何に戦略的アプローチが勝敗において重要かを書いた本だよ」


自分の好きなものに対して、細々(こまごま)と、長々と話したい欲求をコントロールし小森は簡潔に答えた。


「……えーっと。『戦略』って要は『立ち回り』ってことでいいのか?」


軍事的知識に疎い友人ではあるが何とか理解するために、自身の中で一番ミリタリー的な経験であるFPSの用語を例に出した。


「『立ち回り』はどちらかと言えば『戦術』の範囲だね。『戦略』はどちらかと言えばどのキャラクターでプレイするか、そしてどんな装備で行くか、みたいに実際にプレイする前の準備みたいなものかな。まあ細かい話だけどその二つに『作戦』という範囲もあるんだけどね」


滅多に話すことのない、自分の好きな軍事の話ができていることにより小森の口調は少し熱を帯びてきた。


何か一つのジャンルについて深く知りたる者特有の、聞かれてないところまで話すという悪癖が出てき始めていることに小森自身はまったく気が付かなかった。


「へー。お前が戦国時代にタイムスリップしたら簡単に天下取れそうだな」


コミュニケーション能力の高い友人はさらに話をつなげた。このコミュニケーション能力から彼は学内に沢山の交友関係を持っていた。


「どうだろう。戦国時代にはあまり詳しくないからね。三英傑辺りの話と後は有名なエピソードぐらいしかしか知らないし、武田の騎馬隊は本当はいなかったとか。それに何年に起きたかなんて関ヶ原の合戦しか知らないよ。1600年って覚えやすいしね。あ、でもヨーロッパでの戦いなら古代から近代まで大体わかるよ。自分が好きなのは特に古代かなあ。知ってる?軍隊としての組織性って中世より古代の方が優れてるんだよ。封建制の時代の中世では軍が集まっても家ごとで構成されていて今のように兵科ごとに分けられてないから大雑把な戦い方しかできていなかったんだ。それに比べて古代は一つの国が一括して軍を管理してたから部隊編成も戦い方もより高度だったんだ。この古代にあの有名なアレキサンダーやハンニバルが――」


逸れに逸れ、つらつらと語られる小森の、現代日本ではほぼ無価値なうんちくを友人は嫌な顔一つせず聞き続けた。彼はこの人柄の良さにより学内の人間からの人望が厚かった。




自分の話したいことだけをひたすら語り終え、満足した小森はふと館内にかけられた時計を見た。


その時計の針は小森のアルバイトの始業時刻に刻一刻と迫っており、移動時間を逆算するともう既に仕事場に向かっていなければならない時間だった。


「やばい!」


小森は友人に別れを告げ、大きな黒のショルダーバッグを肩にかけ慌ただしく出口に向かった。


余りにも慌てていたので借りようと思って机に置いていた本はそのままだった。


「しょうがない……」


友人はその本を元の本棚に戻した。彼はこの面倒見の良さにより多くの人間から慕われていた。




小森から少し遅れて図書館を出た友人はそこで事故現場を目撃した。


何かをはねた車の前方には、見覚えのある大きな黒のショルダーバッグやその中身であろう参考書や筆記用具などが散乱していた。








――「この一大事に……なぜ……」


小森は男性の悲痛な声を耳にし、目を覚ました。


さっきまで横断歩道を渡っていたところまでは覚えているが、その時に強い衝撃を受けてからの記憶は無かった。


小森は頭の中がはっきりとしないまま、ゆっくりと上体を起こし、周囲を見回した。


そして自分のいる場所が帷幕で四週をぐるりと囲んだ、時代劇でよくみるような陣中の隅であり、中央にある、一名が寝かされている台を囲んで、嘆いている男たちが数人いるのが確認できた。


それだけでも小森にとって随分奇妙な光景だったが、更に奇妙なことに、その男たちは、寝かされている者も含めて、皆、甲冑を身にまとっていた。


小森はこの光景を見てこれは夢だと思った。


なぜなら、さっきまでバイトに遅刻しそうであったのにもかかわらず今は時代劇のワンシーンのような光景を実際に眺めているこの状況は、まさしく夢にありがちな脈絡のない展開そのものであったからである。


「どうせ夢なら内定貰っていない自分というのも夢であったりしないかな……」


小森は都合のいいことを呟きつつ、立ち上がり体に着いた土を払った。


さっきまで寝ていた地面の冷たさがまだ小森の背中に残っていた。


「夢の中なのにやけにリアルだ――」


「曲者だ!」


小森が立ち上がったことにより、台を囲んでいた者達が気づいた。


瞬時に一番近くにいた者が小森にとびかかる。


男は小森よりも頭一つか二つほど背が低かったが、膂力は圧倒的に上回っており、小森はあっという間に取り押さえられた。


「どこから入ってきたがな!?」


自分を取り押さえている男から、聞き慣れない言葉で小森は怒鳴られた。


「外に漏れたら大事ぞな」


強面しかいない面々ではあるが、その中でも一際強面の男がそう言った。


小森は最初その言葉の意味がわからなかったが、そばにいた男が無言で刀を抜いた時に理解した。


「動かんかったら楽に逝けるきな」


そのまた別の一人が優しい口調でそう言った。


捩じ上げられた腕の痛みから目をそらし、これは夢だと、夢の中でも悪夢の方だと、小森は思った。そう思うと、なんだか抵抗するのも馬鹿らしく感じ、小森は体の力を完全に抜いた。


すると、自然に項垂れるような格好となり、自ら首をはねられに行くような形になった。その動きに呼応するかのように高々と刀が振り上げられる。


弥次兵衛 やじべえ、まて」


この場にいた最後の一人が、すんでのところでそれを制止した。


その言葉に応じて振り上げられていた刀が降ろされ、小森の目の前にその切っ先が降りてきた。人の血が吸えなくて残念がるような、そんな鈍い輝きを発しているように小森には見えた。


重俊 しげとしも離せ」


「しかし……」


「よい」


そう言われ、重俊は捩じ上げていた小森の腕を離し、解放した。


小森を解放した重俊は、数歩下がり小森の背後で仁王立ちした。


『少しでも妙な動きをすればまたすぐに捕らえるぞ』というプレッシャーを、小森は背後からひしひしと感じさせられた。


「面をよく見せよ」


夢の中で人の言う事を聞くのを馬鹿馬鹿しく思った小森は、その呼びかけに応じない。


「面ばぁみせんか!」


しかし、背後から浴びせられた怒鳴り声に突き動かされるように、小森は素早く顔を上げた。体育会系とは無縁の生活をしてきた小森にとって、それは経験したことのない衝撃だった。


小森の処刑を制止したこの場で一番偉い男、は小森の顔をまじまじと眺めそして呟いた。


「似ておる……」


その呟きを聞いて、周囲にいる他の者達は、小森の顔と台の上で寝かされている人物の顔を何度も見比べたり、細胞の一つ一つまで見通すような距離まで顔を近づけ、僅かな差異を探そうとしたりしていたが

「げにまっこと……」

と皆、一番偉いであろう男に同意した。


さっきまで場に満ちていた殺意はすっかり消え去り、弛緩した穏やかな空気が流れた。


「名は?」


一番偉いであろう男は小森に名を尋ねた。


「小森です……」


小森は今度は素直に答えた。


また自分を押さえつけていた男から、怒鳴られるのを恐れたからであった。


「小森か…。聞いたことのない名だが……。しかし、声まで似ておる――」


言葉は突如帷幕の外で響く馬蹄の音により途切れた。


「誰か」


「某が」


呼びかけに応じて、強面の男が帷幕の外に出て様子を見に行った。


「思っていたより少し早いか……。まあいい、小森よ、立て。……。ほう、背丈まで同じとは都合がよい。弥次兵衛、重俊、親信 ちかのぶ、この者にあの鎧を着せよ」


名を呼ばれた三人は驚いた顔をした。


しかし、すぐに弥次兵衛と、親信と呼ばれた優しい口調の男は『御意』と寝台に寝かされている人物の鎧を脱がし始めた。


残る重俊は、その命令に強く抗議した。


状況の呑み込めない小森は、金縛りにでもあったかのようにその光景を眺めることしかできなかった。


「何をお考えになりゆうがですか!?見た目が似ちゅうだけの者に若の鎧着せて!?」


「戦いを前にして後継ぎである者が亡くなったとなれば、全軍の士気は確実に下がる。それどころか離反を考える者すら出るかもしれん」


「別にこやつを影武者立てんでもええでしょうが!お世継になられる御方は他にもおります!ここは一旦引い――」


「――ならん!先夜に長浜の城を奇襲で落とし、浦戸の対岸にようやく足掛かりを得たこの千載一遇の好機!逃せば次は無い!」


「しかし……!」


なおも食い下がろうとする重俊だったが、帷幕の外の様子を見に行っていた強面の男が戻ってきたため話を止めた。


この抗議の間、小森は二人の為すが儘に洋服を脱がされ、和装に着替えさせられている。


着替えさせられている間、小森は目だけを動かして、台に寝かされている人物の顔をちらりと見たが、本当に自分の顔に似ていると思った。死に顔ではあったが……。


目覚めてからまだ十分もたっていないであろう短時間の間に、取り押さえられ、殺されそうになり、そして身ぐるみはがされて着替えさせられる。そんな未経験の事が立て続けに起こり、小森には、自分の着ている着物がさっきまで遺体が着ていたという事に嫌悪感を抱く精神的余裕さえもなかった。ただ夢であるなら醒めてくれと願うばかりであった。


そんな小森の状態などつゆ知らず、男は戻ってきた強面の男に外の様子を尋ねた。


親政 ちかまさ、どうだった?」


「本山勢が姿を現しよったようです。南の海岸よりこっちに来よります」


「ご苦労。苦労ついでに全軍に出陣の準備をさせろ」


「もう各家に通達して準備させちょりますきに」


「流石だな。それならこっちの小森の鎧の着付けを手伝え」


「御意」


親政は、下された指示になんら疑問を持たず、先の二人に加わり小森の着付けを手伝い始めた。小森の着装状態は、残すは胴と兜を付け、刀を差すだけとなっていた。


その様子を見ながら、一番偉いであろう男は自分の指示に服しない最後の一人に呼びかけた。


「重俊」


名を呼んだだけであったが、言外に『お前はどうする?』と問いかけている意味が含まれていた。


重俊はしばし悩み、そして意を決して言った。


「……わかりました。しかし、条件があります」


「申せ」


「あやつには某が付きます。もしも御家の為にならんようなことをするがやったらその場で切ります」


「それでよし」


「……馬を牽いてきます」


そう言うと、重俊は頭を下げその場を辞した。


重俊が辞すると同時に、小森は全ての装備の着装を終えた。


細身だが上背がある。事情が知らぬ者ならば、誰しも立派な侍だと思うであろう武者振りであった。


「うむ、皆苦労であった。後は各々の持ち場に行き各自準備してくれ。それとここでのことはくれぐれも内密に」


そう言われ家臣たちは次々と帷幕の中から出て行った。


小森もほどなくして、戻ってきた重俊に連れ出された。




帷幕の中が静かになった。


外から馬の嘶きや爪音、人の指示や怒号が聞こえてくる。


一人残った男は、裸に剥かれ、寝台に寝かされている息子に謝罪した。


「……これも家のためだ。許せよ、元親」


男の名は長曾我部国親。


土佐を荒れ狂う戦国の嵐。その台風の目ともいえる人物であった。

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