PIZZA OF ALIVE

 下平しもひらは、照準器スコープ越しに向かいのビルを覗いた。

 ホテル「森の歌」7階スイートルームの窓は、煌々と輝いている。


 標的ターゲットの姿は下平の位置からは見えない。下平は、窓に照準を合わせ、自分を固定した。いずれ標的は現れる。あとは、そのタイミングで引金を引くだけだ。


「楽な仕事だ」


 下平は呟いた。静かな夜だった。わずかな風が頬を撫でた。

 下平はイヤホンのスイッチを入れる。事前に、部屋に盗聴器を仕掛けていた。


「うっわ! なにこれうっま!」


 笑里えみりは、A5ランク平取牛の圧倒的な旨味に、思わず声を上げた。噛むたびに濃厚な肉汁が口内に広がる。そこにフランス産カオールの赤ワインを流し込む。笑里の脳内に電流が走る。牛肉のコクとワインの渋みが結婚マリアッジして、旨味を次のステージへと連れて行く。笑里の脳内は多幸感に満ち溢れた。


「やっぱり、このホテルの料理は最高ね」


 テーブルの上には、料理が乗った皿が所狭しと並べられていた。和洋中、肉、魚、あらゆるジャンル・食材の料理が網羅されていた。

 笑里は恍惚とした表情で料理を見渡し、ノドグロのポワレに手を伸ばした。


 下平が銃を構えてから1時間が経った。


「長い」


 小さく舌打ちをする。料理の数が多すぎるから、なかなか食事が終わらない。

 イヤホンからは、延々と咀嚼音と感嘆の声が流れた。

 標的を射角に入れるには、標的が部屋の入口まで向かう必要があった。下平は従業員がルームサービスを片付けに来るまで待っていたが、なかなかその機会は訪れない。時間だけが、過ぎていく。

 だいたい、ステーキ、ポワレと食べて、その後に鹿肉のたたき、牡蠣鍋、ラムチョップの香草焼き、刺身盛り合わせ、ローストビーフと食べ続けるなど、誰が想像できるだろうか。


「だからそんなにブクブク肥るんだよ」


 下平は毒づく。しかし、標的が度を過ぎた大喰らいだと知らなかったのは、調査不足ミスに他ならない。下平は自戒する。

 標的がローストビーフを食べ終わったようだ。フロントに電話をしている。

 程なくして、部屋のベルが鳴る音が聞こえた。標的は間違いなく入口に向かうだろう。つまり、射角に入ってくる。

 下平は息を細く長く吐く。標的は歩く。一歩、二歩、三歩、四歩。窓に標的の顔が見える。


——今だ。


 下平は引金を引いた。


「きゃあ!」


 窓が、割れた。外に待機していたボディーガードが部屋の中に入る。カーペットが、赤く染まっていた。笑里が仰向けに倒れていた。ぶち撒けられた中身が、あちこちに散乱していた。


「わ、わたしのピザ……」

「早く逃げますよ!」

「わたしのマルゲリータぁ!!」


 笑里は引きずられるように、部屋から連れ出された。


「クソが」


 下平は歯噛みした。完璧な狙撃だった。しかし、宙空に突然出現した箱に当たって逸れた。Awazon超お急ぎ便。箱にはそう書いてあった。


「あんだけ食ったのにピザ食うのかよ」


 照準器越しに見たのは、砕けちる箱とピザ生地。そして鮮やかに飛び散る真紅のトマトソースだった。

 誰かが近づく音が聞こえた。時計を一瞥する。まもなく警備員が巡回に来る時間だ。下平は手早く銃を片付ける。唇に犬歯が食い込んでいた。

 下平は予め用意した退路から、速やかに去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る