第14話 別れ。そして……
薄暗い洞窟の中を、イズはゆっくりと歩く。
そしてその隣には、クライドがいた。
ここは、イズの村の近くにある、ゲートのある洞窟。人間界に戻ってきたのだ。
「連れてきていただき、ありがとうございます」
頭を下げ、クライドに向かってお礼を言う。
二つの世界を繋ぐゲートを操るには、高い魔力が必要になる。
そのため、彼が魔界にあるゲートを操り人間界への扉を開き、村の近くまでイズを送っていくことになったのだ。
最初、クライドが魔女であるイズを送ることに対して、トーマは渋い顔をしていたが、そもそもゲートを操れるのは彼だけだ。
魅了の力もまだ完全にはかかっていないだろうし、すぐに戻ってくるのを条件に、イズを送るのを認めてくれた。
「ここから村までは、少し距離があるだろう。近くまで送る」
「はい。ありがとうございます」
このやり取りを最後に、イズは長い間無言になる。
洞窟をぬけ、森の中を進んで、それでも一言も喋らない。
なにも、クライドと口を利きたくないというわけではない。むしろ、その逆だ。
(このまま村の近くまで行けば、クライド様とはお別れになってしまう。その前に、もっと話をしたいのに)
自分を誘拐した男たちから助けてくれたこと。帰りたくないと言った自分を、屋敷に置いてくれたこと。
お礼を言わなければならないことは山ほどある。なのにいざ告げようとすると、緊張して言葉が出ない。
「すまなかったな」
相変わらず何も言えないでいると、不意に、クライドの方からそう言ってきた。
「こんな、追い出すような形になってしまった。本当に、すまない」
「そんな! 顔を上げてください!」
頭を下げるクライドを見て、必死で止める。
追い出されるなど、当然のことだと思っていた。
「私の方こそ、申し訳ありません。私の叔母のせいで、クライド様のお父様は……」
クライドの父親は、叔母であるマーサの持つ魅了の力によって、心を狂わされた。理性を壊された。
その結果、二人は無理心中という形で命を落とした。
それは言わば、クライドにとってマーサは、父親の仇のようなものなのではないだろうか。
そして自分は、そんなマーサと同じ、魅了の力を持つ魔女なのだ。
「クライド様だって、もしかしたら大変なことになっていたかもしれないのに。私が、魔女だから。魅了の力を持っているから」
こんなこと、クライドの前では言いたくなかった。
父親の死の原因であるマーサの血縁であること。彼女と同じ魔女であること。クライドはそれをどう思っているのか、確かめるのが怖かった。
怒っているのだろうか憎んでいるのだろうか。そう想像しただけで、怖くてたまらなかった。
「謝る必要はない。本当は、最初からお前が魔女なのではないかと勘づいてはいた」
「えっ?」
「マーサも、お前と同じ、銀色の髪をしていたからな。その銀色の髪を見た時、彼女を思い出した。俺自身に起きた変化を振り返り、お前が魔女ではないかと疑った」
イズの銀色の髪は、母親から譲り受けたものだ。その母の妹であるマーサもまた銀色の髪をしていたというのは、納得のいくことではある。
「なのに、俺はお前を、向こうに連れていくと決めた。魔女ではないかとおもっていて、しかもお前の同意などなく、勝手にな。全て、俺の過ちだ」
「それも、魅了の力のせいなのではないですか?」
魅了の力で理性が揺らいだ者は、正常な判断ができなくなる。だからこそ、クライドの父親は暗君へと成り下がった。
クライドが、自分を魔女と疑いつつも連れていったのだって、きっと同じこと。結局は、魅了の力のせいだとしか思えなかった。
「たとえそうだとしても、魅了の力は、本人の意思とは関係なく発動するものだ。お前が負い目を感じることなど、なにひとつない」
「それも……そんな風に気を使ってくれるのも、全ては魅了の力によるものなのでは? クライド様は、今も魅了にかかっているから、そんなことを言っているのではないですか? そうでなけれは、私に、優しくされるような価値なんてないのに」
イズの声は震えていた。
こんなことを考えてしまう自分が嫌になる。だが自分が魔女だと知って以来、ずっと不安だった。
クライドは常に優しく、帰りたくないと言った自分のことを、暖かく迎えてくれた。
その全てが、魅了の力によるものかもしれない。
そう思うと、今まで過ごしてきたクライドとの日々が、色褪せてしまうようだった。
「ご、ごめんなさい。変なことを言ってしまって」
いつの間にか、イズの目には涙が溜まっていた。
クライドから受けてきた優しさ。その中に、魅了の力によるものだけでない、彼の本心もあるのだと信じたかった。
だがそんなもの、どうやって確かめればいいのだろう。
そもそも自分は、かつて両親を失って以来、ずっと村長たちの不満の捌け口となっていた。そんな自分に優しくされるような価値があるなど、どうしても思えなかった。
「なあ、イズ。俺はイズのことを、好ましく思っている。もちろんそれは、お前の持つ魅了の力によって受け付けられた感情かもしれない。だがな……」
クライドの言葉は、そこで一度途切れる。
だがそれから、ひとつひとつ手探りで新たな言葉を探すように、またゆっくりと語り始めた。
「初めて会った時のことを、覚えているか? あの時、お前を襲っていた男たちは、俺を斬ろうと剣を向けてきた。そんな俺を助けようと、お前は必死になってくれた」
言われて、思い出す。
クライドにが男たちに斬られそうになるのを見て、必死に彼らにぶつかっていった。
そうしないと、彼が死んでしまうと思ったから。
「あの時は、夢中でしたから。それに、私がな何もしなくても、クライド様は無事だったでしょう?」
男たちの剣は、クライドの外套を切り裂いただけ。彼自身は傷ひとつつかず、逆に剣の方がバラバラになっていた。
「俺が無事かどうかなど、あの時のお前にはわからなかっただろう。それでも、助けようとした。殺されるのは、自分になっていたかもしれないのに」
クライドは、真っ直ぐにイズを見据える。イズもまた、その熱の込もった眼差しから、目を逸らすことができなかった。
「俺の家で暮らすようになってからも、お前は何もしないでいるのを良しとしなかった。できることは無いかと聞き、俺の外套が斬られていたのを思い出し、直したいと言ってきた。魔族を恐ろしいものだと思っていたのに、俺やアメリア、屋敷の者たちを恐れなかった。最初に出会った魔族が俺で、よかったと言ってくれた」
クライドと共に過ごした日々が思い出される。
たった数日。決して長い間ではない。
たがその日々は、イズにとって穏やかで、幸せで、かけがえのないものに思えた。
「俺の中にあるお前への思いは、魅了の力によって植え付けられたものかもしれない。だが、それが全てではないはずだ。お前のようなやつを、好ましく思わないなんてことがあるか」
「────っ!」
イズの目に溜まった涙が、こぼれ落ちる。
だがそれは、悲しみの涙ではない。その逆だ。
(ああ、そうか。私は、クライド様のことを……)
今になって、ようやく気づく。クライドに惹かれていたのだと。
だから、魔女とわかって、嫌われるかもしれないと思った時、怖くてたまらなかった。
好ましいと言われた今、嬉しくてたまらなかった。
「お前と会うのは、これで最後になるかもしれない。だが、これからお前か幸せに暮らすのを、願っている」
「わ、私も! クライド様の幸せを、願っています!」
クライドの言葉につられ、イズも声をあげる。
自分の気持ちに気づいた今、もう会えないという事実が、より一層切なくなる。
けどだからこそ、最後にしっかりと伝えたかった。
「クライド様は、きっと良い領主様になられます。だって、アメリアさんも、他の使用人の方々も、街の人たちも、みんなクライド様のことを慕っていたのですから」
そんな未来に、魔女である自分は不要だ。
だから、彼のそばを離れる。離れたところで祈るのだ。彼の成功を。そして、幸せを。
「だからクライド様も、どうか幸せになってください。離れていても、お祈りしています」
「ああ。ありがとう、イズ」
そうして二人は、また村へと向かって歩き出す。
それからの別れは、実にあっさりしたものだった。
言いたいことは、さっき全部言ったのだから。
「元気でな」
「はい。クライド様も、どうかお元気で」
その言葉を最後に、二人は背を向け歩き出す。
クライドは魔界に。そしてイズは、故郷の村に。
なんだかこの村に戻るのも、ずいぶんと久しぶりのような気がする。
とはいえ、実際に離れていたのは、ほんの数日。そんな短い間に、何かが大きく変わるわけもない。
そう思っていたのだが、村に入ってすぐ、何やらいつもと違うことに気づく。
うまく言葉にできないが、行き交う人々の様子が、なんだか慌ただしいのだ。
(いったいどうしたのでしょう?)
そう思っていると、イズの姿を見かけた誰かが声をあげた。
「イズ! イズじゃないか! 今までどこにいたんだ!」
「え……えっと……」
事情が事情なので、何から話せばいいか迷っていたら、その声を聞きつけた他の者が、次々とやってくる。
あっという間に、イズの周りには人だかりができていた。
イズが目を白黒させる中、さらに別の声が、彼女を呼ぶ。
「イズ!」
声のした方に目をやると、そこにいたのは、一人の美しい青年だった。
背中に羽の生えた、天族の青年だ。
「あ、あなたは……」
イズが彼を見たのは、これが二度目。だが、忘れるはずがない。
ケネス=バーネット。
彼こそ、かつてこの村に来た天族の視察団の長。
そして、イズを婚約者として迎えたいと言ってきた相手だった。
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