第12話 魔女

 魔女と聞いて、クライドもまた険しい顔へと変わる。

 だが彼が睨みつけたのは、イズではなくトーマの方だった。


「それは、確かなのか? 間違いではすまさんぞ」


 明らかに怒気を含んだ声。

 一方イズは、二人がいったい何を言っているのか、未だわからないままだった。


「あ、あの……魔女って、いったい何なのですか?」


 恐る恐る、尋ねる。

 自分のことを話しているはずなのに、まるで蚊帳の外。せめて、これだけでも知っておきたかった。


 クライドは、なんと言うべきか迷っているのか、僅かに目を逸らす。

 そうしている間に、トーマが先に口を開いた。


「そうですね。あなたも、自分が何者なのか、知っておくべきでしょう」


 これには、クライドも異論はないのだろう。無言で頷くと、トーマはさらに続けた。


「私たち魔族。それに天族には、魔力が備わっているのは知っていますね」

「はい。たしか魔法を使うには、その魔力が必要なのですよね」


 クライドが短剣をバラバラにしたことや、自らのツノを消してみせたことを思い出す。

 人間には決して使えない力、魔法。その源となる魔力。魔族や天族が恐れや崇拝の対象となる理由の一つだ。


「その通り。なら、これは知っていますか? 人間の女性の中にはごく稀に、魔力とは違う、魅了の力を持つ存在がいるということを」

「魅了の力?」

「その通り。その効果は、魅了という言葉の意味する通りです。相手の心を引き付け、まるで恋焦がれるように自分に執着させ、理性を壊す。そんな力です」


 魅了の力など、そんなものイズは初めて聞いた。

 だが今のトーマの口ぶりからすると、彼がこれから何を言おうとしているかは、想像がついた。


「私に、その魅了の力があるというのですか?」

「その通り。そして、そんな魅了の力を持つ者のことを、私たちは魔女と呼ぶ」


 返ってきた答えは、想像していた通りのものだった。

 しかし、今の話を聞いただけでは、自分にそんな力があるなど、到底納得がいかない。


「誰かの心を引きつける力なんて、私にはそんなものありません」


 もしそんな力があるなら、村長やその家族から、あれだけ不遇な仕打ちを受けることもなかったのではないか。

 だがトーマは、それを聞いて首を横に振る。


「あなたが気づかなかったのも無理はありません。魅了の力は、本人の意思に関係なく、特別高い魔力を持つ者に対してだけ発動すると言われています。なので恐らく私も、魅了にはかかっていないでしょう。かかるとしたら、より高い魔力を持つ者になるでしょう。例えば、クライド様のようなね」

「えっ?」


 声をあげ、クライドを見る。今の言葉が本当なら、クライドは魅了の力にかかっていることになる。

 だが、本当にそうなのだろうか?


 すると、今まで黙っていたクライドが、ようやく口を開いた。


「俺がイズのことを好ましく思っているのは事実だ。だが、それが魔女の力によるものかはわからない」


 好ましく思っている。その言葉に、イズは一瞬ドキリとするが、それを喜べる状況ではない。


「一応、魔女かどうか確かめる特殊な魔法具は存在するが、簡単に手に入るものじゃない。トーマ。お前は何を根拠に、イズが魔女だと断言している?」


 クライドはそう言うと、静かにトーマを見据える。いい加減なことを言えば許さない。そんな強い思いが込められているようだ。


 イズも、今の話を聞いても、とても信じられない。

 自分にそんな力があるという自覚などないし、クライドもわからないと言うのなら、果たして証明などできるのだろうか。


「もちろんです。と言っても、私が得られるのは状況証拠しかありませんがね。それでも、間違いないでしょう。それにあなたも、客観的に見ればわかるのではないですか? 彼女と出会ってから、自分がおかしくなってきていることに。初めて会った時、あなたは何をしましたか?」

「────くっ!」


 クライドが、動揺したような声を漏らす。

 イズも、言われて思い出す。

 クライドと初めて会った時、彼は自分を襲っていた男たちを追い払ってくれた。だがその直後、有無を言わさず、強引に抱きしめた。


「じゃあ、あの時のはまさか……」


 その後クライドは心から詫びて、あの時の自分はどうかしていたと言っていた。

 イズにとっても、その時のクライドとそれ以降では、まるで別人に思えた。それが、魅了されたことによって理性を失った結果なら、辻褄が合うのではないか。


「古い文献によれば、魔女の持つ魅了の力は、感情によって左右されることがあるそうです。恐らく、それまでにあなたが感じていた恐怖が、一時的に力を増幅させていたのでしょう」

「待て! お前の言っているのは、これまでにもわかっていたことだ。わざわざ断定するのなら、もっと別の理由があるだろうな」

「もちろんです。そのために、わざわざ人間界に行って調べたのですから」


 トーマが、自らの頭のツノに、スッと手をかざす。

 するとそのとたん、ツノが消え人間と変わらぬ姿になる。以前クライドが使ったのと同じ、変身魔法だ。


「人間界に行かれたのですか?」

「ええ。失礼ながらあなたのことを、それに、あなたの身内を調べさせてもらいました。あなた自身は何も知らないようなので、その方がいいと判断したのですよ」


 自分のことを調べられたことは、事情が事情だし、それで不快になることはない。それよりも、その結果何がわかったかの方が気になった。


「私の身内って、村長をやっている叔父や、その家族のことでしょうか?」


 イズにとって親戚といえば、彼らくらいしかいない。だが、トーマは首を横に振る。


「いいえ。その方々も一応調べたのですが、私の目当ては別にありました。マーサ=ハリソン。この名前に、聞き覚えはありますか?」

「えっ……マーサ=ハリソン、ですか?」


 突然出てきた名前に、呆気にとられる。

 そんな人、聞いたことがない。思わずそう答えようとしたが、そこでようやく思い出す。

 ハリソンというのは、母親が結婚する前の旧姓だ。

 そしてマーサという名も、記憶の奥底に、わずかに残っていた。


「昔、お母さんから聞いたことがあります。お母さんには妹がいたけど、私が生まれたくらいの頃に、神隠しにあったって」


 つまりマーサとは、イズにとっての叔母にあたる。

 とはいえイズからすれば、その実感は薄い。自分が生まれた頃に行方不明になり、まともに会ったことなど一度もない。当時両親は必死になって探し、たまに似ている人がいるという噂を聞けば確かめに行っていたが、ついに当人を見つけることはできなかった。


 そして両親は亡くなり、村長をやっている叔父は無関心。もう何年もの間、聞くことのない名前だった。


 それを、どうして彼が知っているのだろう。


「私は、その方と直接会ったことはありません。ですが、クライド様は別でしょう」

「えっ?」


 声をあげたのは、これで何度目だろう。

 驚くイズに向かって、クライドは言う。


「マーサは、昔、ゲートの誤作動で、人間界からこの世界に飛ばされてきた。当時は今と違って、ゲートの管理が杜撰だったからな」


 そういえば。クライドと初めて会った時、彼が人間界にいたのは、ゲートの調整のためだったと聞いている。

 かつてはゲートが誤作動を起こし、近くにいる人間を勝手に別の世界に送ることがあるとも言っていた。


「私の叔母が、この魔界に?」

「そうだ。それを偶然見つけたのが、当時領主をやっていた、俺の父だった。その時、マーサは酷く衰弱していてな。父は家に連れ帰り、良くなるまで置いておくことにした」


 イズにとっては、初めて聞く叔母の話。だが、魔界にやってきたことや、クライドの父親に拾われたことなど、その境遇は、今の自分と少し似ている気がした。

 それと同時に、嫌な予感がしてくる。


「それで、叔母はいったいどうなったのですか?」

「回復した後も、彼女はずっと家にいた。いてくれるよう、父が頼んだんだ。思えばその時から、父は魅了されていたんだろう。魔女である彼女に」

「────っ!」


 やっぱりそうなのかと、イズは思った。

 わざわざこのタイミングで名前を出したのだ。魔女と関係ないわけがない。


 さらに、追い討ちをかけるように、トーマが言う。


「そして、そのマーサ=ハリソンこそが、私たちが魔女を警戒するようになった最大の理由です。彼女の持つ力が、多くの人を不幸にしたのです」

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