第10話 魔族の街に
魔族とは恐ろしいもの。
悪い子にしていたら、魔族がやって来て食われてしまう。
子どもの頃、そんな風に大人たちから聞かされたこともあった。
食われるかどうかはともかくほとんどの人間にとって、魔族は恐ろしいものという認識だ。
だが……
「クライド様の外套の補修、終わりました。上手くできてるといいのですが」
「どれどれ……まあ、お上手じゃないですか。これならクライド様だって喜びますよ」
上手と言ったのは、メイドのアメリア。
数日前、イズがこの屋敷で初めて目を覚ました時、様子を見に来た人だ。
ここには彼女以外にも数人のメイドが働いていたが、中でも彼女がリーダーで、イズの身の回りの世話を担当することになっていた。
「それにしても、お客様にこんなことさせるなんて、ごめんなさいね」
「そんな。私から言い出したことですから」
彼女が手に持っているのは、クライドと初めて会った時、彼が着ていた外套だ。
イズをさらった男たちが短剣で彼を襲った時、切り裂かれ穴が空いていた。それを、糸で縫い付け、補修することにしたのだ。
「クライド様は遠慮なくいていいと仰ってますが、やっぱり、何かしていたいんです」
「イズさんは働きものですね。クライド様、きっと喜びますよ」
「そうでしょうか?」
「そうに決まってますって。そういう方だからこそ、クライド様は私たちの自慢の主であり、領主様なのです」
そう言って、アメリアは胸を張る。
この辺り一帯を治める領主。
クライドがそうだと聞いたのは、イズがこの屋敷に置いてもらった次の日のことだった。
魔族の世界にも国や領という仕組みはあって、その辺は人間の世界とあまり変わらないらしい。
「この御屋敷とか、身につけてるものとかを見て、普通の人ではないのかもとは思っていましたが、まさか領主様とは思いませんでした」
「でしょうね。ここだけの話、あの人が領主になった時、私たちも最初は不安だったんですよ」
「そうなのですか!?」
「そうよ。その時、私はまだこのお屋敷で働いてはいなかったんだけどね。若いどころかまだ幼いっていいくらいの歳だったし、先代の領主様の頃は、それはそれは酷いものだったからね」
アメリアはそこまで話すと、ほんの少しだけ目を伏せる。
先代の頃に、何かあったのだろうか。そう思ったところで部屋の扉が開き、クライドが入ってきた。
それを見て、アメリアの表情も明るくなった。
「見てくださいクライド様。これ、イズさんが塗ってくれたんですよ」
「本当か? ほう、見事なものだな。ありがとう、イズ」
渡された外套をしげしげと眺めるクライド。
イズは、お礼を言われたのがなんだか照れくさかった。
今まで自分が何をやっても、浴びせられるのは罵倒する言葉ばかり。こんな風に、褒められることやお礼を言われることなんてなかった。
「ここでの暮らしも、少しは慣れたか」
「はい。皆さん、とても親切にしてくれます」
豪華な部屋で寝泊まりし、食事も服も良いものが与えられている。それだけでもとんでもない贅沢なのだが、イズにとっては、クライドクライドやアメリア、その他の使用人たちもみんな親切にしてくれるというのが、何よりも嬉しく、暖かかった。
「なあ、イズ。よかったら、少し外に出ないか?」
「外ですか?」
「ああ。ここに来て以来、ほとんど家の中だろう。退屈はしていないか?」
この屋敷が大きな街の中にあるというのは知っているが、クライドの言う通り、イズはここに来て以来、ほとんど外に出ていない。
正直なことを言うと、屋敷の中でアメリアたちの手伝いをしているだけでも十分に充実しているのだが、せっかくこうしてクライドが言ってくれるのだし、外に出るのにも興味が出てきた。
「私、行ってみたいです」
「なら、決まりだな。準備をしてくるから、門の前で少し待ってろ」
そうして、イズが言われた通り屋敷の門の前で待っていると、間もなくしてクライドもやって来る。
さっきイズが縫ったばかりの外套を羽織っており、手には女性用の帽子を持っていた。
「念の為、被っておくか? イズが人間だってわかったら、説明するのが面倒だ」
魔族の特徴である、頭に生えたツノ。それがないイズは、こうでもしなければひと目で人間とわかるだろう。
「言っておくが、人間とわかったからといって、危険なわけじゃないからな。そんなこと、俺がさせん」
そう言われて、イズは自分が、そういうことは全く考えてなかったことに気づく。
魔族の街に行くなど、ここに来る前の自分が聞いたら、震え上がっていたかもしれないのに。
「ええ。わかっています」
笑いながら受け取った帽子をかぶると、クライドも、外套についていたフードを被る。
「俺も、街ではそれなりに顔が知られているからな。知り合いに声をかけられたら面倒なんだ」
「そうなのですね。さすがご領主様です」
イズの叔父の村長も、村の中では知らない者はほとんどいなかったが、領主ともなると交友関係はより広いのだろう。
領主のことなどさっぱりわからないイズは、そう思って納得する
そうして二人は、屋敷を出て街の中を歩き出す。
クライドの屋敷に住まわせてもらうようになってから、初めて出ていく外の世界。初めて見る、魔族の街。
それを見て、イズは思わず声をあげる。
「きれい。それに、建物がたくさん」
イズの住んでいる田舎の村どころか、たまにお使いで行った遠くの街より、ずっと大きく立派な建物がたくさんある。
建物だけではない。二人の歩く大通りの両脇にはいくつもの露店が立ち並び、行き交う者たち相手に商売をしている。
街全体が、とても活気に満ち溢れているようだった。
当然、行き交う者たちは皆頭にツノが生えていて、ここが魔族の街だというのを改めて実感する。
「まずは、腹ごしらえでもするか」
クライドはそう言うと、近くの露天の主人に声をかける。そこでは焼き菓子を売っているらしく、クライドは、そのうちいくつかを買ってきて、イズに向かって差し出した。
「食うか?」
「い、いいんですか?」
「そのために買ったんだ。イズ、菓子は好きだろ」
クライドの言う通り、お菓子は大好きと言ってよかった。
村長の家にいた頃は滅多に食べられなかったが、だからこそたまに口にした時はほんの少しの量でもご馳走に思えたし、今までクライドの屋敷で出された時も、その味をめいっぱい楽しむように、ゆっくり時間をかけて味わっていた。
「あんなに大事に食べられたら、菓子の方もさぞ本望だろうな」
「し、知ってたんですか!?」
意地汚いと思われたらどうしよう。そう思い真っ赤になるイズだったが、クライドは笑って焼き菓子を差し出す。
「で、では……」
恥ずかしがりながらも、焼き菓子を口に運ぶイズ。
一口食べたとたん、口の中にほんのりとした甘さが広がっていった。
「お、美味しいです!」
「だろうな。こいつはこの露店市の名物で、これ目当てに来る者もいるそうだ」
「そうなのですね。評判になるのも納得の美味しさです」
これは、一気に食べるのはもったいない。そう思ったイズは、やはり時間をかけて、大事に大事に食べる。
すると、これを売っていた露店の店主も、そんなイズの幸せそうな様子に気づいたらしい。
「お嬢ちゃん、気に入ってくれたようで嬉しいよ」
にこやかに笑う店主。
だがそれから、イズの横にいるクライドに目を向け、怪訝な顔をする。
「あれ。もしかして、クライド様じゃないですか?」
クライドは外套についたフードを被ってはいたが、かすかに顔が見えてしまったようだ。
さらにその声を聞いて、周りにいた者たちが、一斉にこちらを見る。
「本当だ。領主様だ」
「クライド様、いつもお世話になっています」
クライドとわかったとたん、皆が口々に声をかけ始め、ちょっとした騒ぎになる。
顔が広いとは聞いていたが、ここまでかと驚くイズ。
だが彼らが注目したのは、クライドだけではなかった。
「あれ? 隣のお嬢さんは、見慣れない顔ですね。クライド様のお知り合いですか?」
「え、ええと、あの……」
なんと答えていいのかわからず、戸惑。ここで下手なことを言えば、自分が人間だということがバレるかもしれない。
わざわざ帽子をかぶってツノが無いのを隠しているというのに、台無しだ。
すると、イズに変わってクライドが答えた。
「おいおい。せっかく二人きりで楽もうと思ってたところなんだ。野暮な詮索は遠慮してもらおうか」
さらに、何やら意味深な笑みを浮かべる。
男は一瞬、「へっ?」と呆気にとられていたが、すぐに何やら納得したように頷いた。
「あっ……! いやいや、これはとんだ失礼をしました。どうぞ、お楽しみください」
何やら笑っているように見えるが、それがどういう意味か、イズにはわからない。
「あの、今のはいったい?」
「気にするな。それより、さっさとここを離れるか。これ以上目立ったらかなわん」
クライドの言う通り、こうしている間にも、このちょっとした騒ぎに気づいて、ますます人がやってくる。
揃って足早に去ろうとするが、その前に、イズは最初の焼き菓子を売っていた男に向かって言う。
「あの焼き菓子、とっても美味しかったです。美味しいお菓子をありがとうございます」
「こっちこそ。そんなに喜んでくれてありがとう」
そうして二人は、今度こそその場を後にする。
「騒ぎになってしまって悪かったな。疲れはしなかったか」
「大丈夫です。それに、クライド様がたくさんの人に慕われているとわかって、嬉しかったです」
クライドに声をかけてきた者たちは、皆にこやかで、彼を本当に慕っているように見えた。
アメリアが、クライドのことを自慢の領主と言っていたが、街の者たちにとってもそうなのだろう。
「クライド様の治めているこの街も、住んでいる人たちも、素敵ですね」
「どうだろうな。領主としては、そうあってほしいのだがな」
イズの言うことに、曖昧な言葉で応えるクライド。
だがその表情は、ほんのり笑っているように見えた。
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