第6話 この娘を連れていく

 魔族の男は、イズが気を失った後も、ひたすらに抱きしめ続けた。

 そこに、自分を抑える理性などない。まるで砂漠でさまよい続けた者が水をほしがるように、体の中から絶え間なく、彼女がほしいという衝動が湧き上がる。


 そして男は、自らの唇をイズのそれへと重ねようとする。

 だが、そうなる直前だった。

 洞窟の奥から、新たな声が聞こえてきた。


「クライド! クライド! どこにいるのですか!」


 自分の名が呼ばれるのを聞き、彼、クライドの動きが止まる。

 それから、自分の腕の中で気を失っているイズを見て、ハッとしたように息を飲む。


「俺は、何を……?」


 何をしたのか、覚えていないわけではない。むしろ鮮明に覚えている。

 彼女を抱きしめたことも、唇を奪おうとしたことも、全部だ。

 思い返すと、とたんに自らに対する嫌悪感が湧いてくる。


「くっ……」


 いったいなぜそんなことをしたのか。それは、自分でもわからない。

 ただ、彼女と向かい合ったとたん、急に体が熱くなった。ひたすらに、彼女がほしいと思った。

 今だってそうだ。してはいけないとわかっていても、彼女を見ていると、再び抱きしめたくなる衝動が湧き上がってくる。

 それを、理性で必死に抑え込む。


 そうしている間にも、洞窟の奥から聞こえてくる声はさらに近づいてきて、とうとうすぐ側までやってきた。


「ここにいましたか。あまり勝手に出歩かないでくださいよ。あなたに何かあるとは思えませんが、大事な身なのですから」

「トーマか。すまなかったな」


 やってきたのは、眼鏡をかけた細身の男、トーマだ。彼の頭にも、クライドと同じように曲がったツノが生えていて、彼もまた魔族であるというのが一目でわかる。


 彼はそれから、クライドが抱えている、イズの存在に気づいた。


「そちらの娘は……人間、ですよね。どうされたのです?」

「男たち。おそらく、野盗か暴漢か、そのたぐいのやつらに襲われていた」

「それで、助けたというわけですか。あなたらしい」


 トーマの言葉に、クライドはすぐには返事をしなかった。

 確かに自分は、彼女を襲っていた者たちを撃退した。だがその直後、自分もまた彼女に狼藉を働いたのだ。

 そんなもの、とても助けたとは言えないだろう。


「しかし、人間に姿を見られてしまいましたか。この娘を襲ったという奴らは、逃げたのですよね。そうなると、万が一そいつらが騒ぎ立てたら、面倒なことになるかもしれません。そうなる前に、さっさと魔界に戻りましょう」

「ああ、そうだな」


 これには、すぐに返事をして同意する。

 ここに来た目的はとうに果たしたのだし、長居する理由もない。

 だが気になるのは、未だ気を失ったまま目を覚まさないイズのことだった。


「この娘を連れていく」


 気がつけば、そんな言葉が出ていた。

 それを聞いて、トーマが声をあげる。


「何を言っているのです。人間の娘を魔界に連れて帰るなど、正気ですか?」

「ああ。人間というのはひどく脆弱だと聞くからな。このままここに置いていたら、どうなるかわからない。それに、この子を襲っていた奴らが戻ってきたらどうなる?」

「それはそうですが……」


 トーマは納得がいかないように顔をしかめるが、クライドがイズを抱え上げるのを見て、反対してもムダだというのを悟る。

 彼は、物腰こそ柔らかだが、一度言い出せば聞かないというのを、これまでの付き合いからよく知っていた。


「まあ、いいでしょう。ですがその娘にしてみれば、いきなり魔界に連れていかれるのですよ。目を覚ました時、泣き叫ばなければいいのですけど」

「それは、気をつけないとな」


 本当に、気をつけなければ。そう、クライドは心の中でつぶやく。

 先程の狼藉に続き、これ以上彼女を傷つけることなどあってはらない。


 だが同時に、こうまでする自分に違和感を抱いていた。

 気絶した彼女をここに残すのは忍びない。狼藉を働いたことへの罪悪感もある。だがトーマの言う通り、人間をわざわざ魔界に連れ帰るというのが、正しい選択なのか。


 彼女を見ているとどうにも調子が狂う。まるで、自分が自分でなくなっていくようだ。


(待てよ。この娘、まさか……)


 ふと、心の奥底に、ある疑念が湧いてくる。

 そうしてクライドは、歩きながら、抱えているイズを見る。彼女の輝くような銀髪を、じっと見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る