第5話 魔族の男

「な、なんだお前は!」


 男たちが怒鳴りつけるが、奥からやってきたフードの男は少しも動じることなく、ゆっくりとイズたちの様子を見る。

 そして、その体勢から、それに涙を流すイズの様子から、ここで何が起きていたのかすぐに察したようだった。

 男たちに向かって、静かに言う。


「何かと思ったら、ただの下衆どもか。さっさと失せろ」

「なんだと!?」


 見知らぬ相手の出現に動揺していた男たちも、これには腹が立ったようだ。

 さらに、相手は一人、しかも見たところ丸腰ということで、どうとでもなると思ったのだろう。

 とたんに、態度が大きくなる。


「そんな舐めた口をきいていいと思ってるのか?」

「お前こそさっさとどこかに行くか、それとも、この場でぶっ殺してやろうか?」


 そんなことを言いながら、それぞれ持っていた短剣を抜き、脅かすようにチラつかせた。


「何度も同じことを言わせるな。さっさと失せろ」

「なんだと!?」


 突きつけられた短剣に動じることなく、淡々と同じことを言うフードの男。その態度が気に入らなかったのだろう。

 二人は、一気に怒りを顕にする。


「殺っちまうか? どうせ女は後で始末するつもりだったんだしよ」

「そうだな。一人殺すも二人殺すも変わらねえ」


 恐ろしいことを平然と言い放つ。

 やっぱりこの人たちは、自分を殺すつもりだったんだと震え上がる。


 だが、自分が殺されることと同じくらい恐ろしいことが、目の前で起きようとしていた。


「死ねぇぇぇぇっ!」


 フードの男に向かって、短剣が振り下ろされる。

 その時イズの頭に過ぎったのは、両親が殺された時の記憶だ。

 いや、正確に言えば、イズは当時のことはほとんど覚えていない。家に入ってきた野党に殺されたという話から、頭の中で勝手に作られたイメージだ。

 野党の持っていた剣で、両親が斬り殺されるというイメージ。


 偶然にも、今目の前で起きようとしていることは、そんなイズが長年抱いていたイメージと酷似していた。


「やめてーーーーっ!」


 それからは、もう死に物狂いだった。

 両手を後ろで縛られまともに動けないにもかかわらず、必死で立ち上がり、剣を掲げた男にぶつかる。


 こんなことをするなんて、もちろん怖い。

 だがかつて両親が死んだ時と同じように、目の前で誰かの命が奪われるというのも、イズにとってはこの上ないくらいの恐怖だった。


「くっ────てめぇ!」


 イズに体当たりされ、男がよろける。だが、それだけだ。

 倒れることはなく、すぐに体勢を立て直すと、逆にイズを蹴り飛ばした。


「あぁっ!」


 地面に転がり、蹴られた場所に、強い痛みが走る。命がけの行動も、所詮はこの程度でしかなかった。

 しかも、イズに邪魔されたことで、男は大層腹を立てたようだ。


「生意気な。お前から殺ってもいいんだぞ」


 フードの男から完全にイズに向き直り、剣を突き出す。


 殺される!

 そう思ったところで、男の剣がイズに向かってすごい勢いで迫ってきた。


 だが…………


「────えっ?」


 どれだけ素早く動いたのだろう。一瞬にして、イズの目の前にフードの男が立っていた。

 それだけではない。イズを斬ろうと全力で振られたはずの男の短剣を、フードの男は、腕で受け止めていた。


 当然、そんなことをすれば腕が斬られ、血が吹き出るはず。

 だがフードの男の腕から、血は一滴も流れていなかった。まるで、腕が鉄でできているのではないかと思うくらい、短剣が全く通っていなかった。


 驚くイズに向かって、フードの男が言う。


「おい。あまり無茶をするな。人間は、斬られたら簡単にケガをするんだろ?」

「は、はい…………すみません」


 目を丸くしながら、反射的に謝るイズ。

 だが、すぐにその言葉の違和感に気づく。


 人間は、斬られたら簡単にケガをする。それは、その通りだ。

 なら、斬られても傷ひとつない彼は、いったい何なのか。そもそも、『人間は』などという言い方、普通はしないだろう。


「まあ、俺なら何度斬られても、この程度の武器でどうにかなることはないがな」


 さらにそう言うと、彼は被っていたフードを外す。

 初めて顔がハッキリとわかり、それを見たイズは、息を飲む。


 男は若く、とても整った顔をしていて、大層な美丈夫だった。

 イズは、自分に求婚してきた天族の青年を見た時、この世にこんな美しい人がいるのかと思ったが、それにも決して負けてはいない。


 だが息を飲んだのは、それが理由ではない。

 彼の頭に、山羊のように曲がった、二本のツノが生えていたからだ。


「あ……あなたは…………」


 曲がった二本のツノ。それは、紛れもなく魔族の特徴だった。


(ほ、本物の魔族? ううん。まさか、そんなはずが……)


 目の前に魔族がいる。その事実が、とても信じられなかった。


 この洞窟の奥には、人間の世界と魔界とを繋ぐゲートがある。だが行き来できるからといって、実際に魔族がやってくることはほとんどない。少なくともイズは、本物の魔族を見たことなど一度もなかった。


「こ、こいつ、魔族なのか?」

「そんなわけあるか。きっと偽物だ!」


 イズをさらった男二人も、目の前の男が魔族だと信じられないらしい。

 もう一度、さっきと同じように斬りかかる。


 だがその刃は、またも彼の肉を引き裂くことなく受け止められる。


「ば、バカな!?」

「ムダだ。さっきのでわからなかったのか?」


 うろたえる男たちに、呆れたような言葉が告げられる。

 さらに次の瞬間、受け止められていた短剣が、急にバラバラになって砕け散った。


「ひぃっ!」


 ここに来て、男たちもようやくわかったようだ。

 目の前にいるこいつは、人間ではない。自分たちの力など及びもしない、本物の魔族なのだと。


「さて、まだやるか? これ以上続けるなら、次にバラバラになるのは、剣でなくお前たちになるがな」

「う……うわぁぁぁぁぁっ!」


 もう、男たちに戦う気などなかった。少し前までの威勢はどこへやら、悲鳴をあげ、我先にと一目散に逃げ出す。

 あっという間に洞窟の外へと出ていき、二度と戻ってくることはなかった。


 そしてそこには、魔族の男、そしてイズの、二人だけが残った。


「おい。大丈夫か?」

「は、は……い…………」


 彼の問いに、イズは呆然としながら答える。

 凶暴で恐ろしい。それが、ほとんどの人間が魔族に対して抱いている印象であり、イズも例外ではない。

 故に、この魔族の男を前にして、彼女にも恐怖心はあった。

 だが、同時に思った。彼は、さっきの男たちから自分を助けてくれたのだと。


(助けてくれたってことは、いい人なの? 魔族は怖いって、みんな言ってたのに? わ、わからないけど、助けてもらったことには、お礼を言った方がいいのかも……)


 怖がるか、感謝するべきか、どうすればいいかわからない。

 イズに対して、魔族の男はスッと距離をとった。


「驚かせて悪かったな」

「い、いえ、そんな! すみません!」


 助けてくれた相手にこんな態度をとるなんて、とんでもなく失礼で酷いことをしているのでは。

 そう思い、頭を下げる。


 だがその時、イズを見ていた相手が、大きく息を飲んだ。

 さらに、うろたえたような声が漏れる。


「────っ! お、お前……」

「えっ────」


 いったい、どうしたというのだろう。不思議に思って、そこで気づく。

 ついさっき、逃げていった男たちに襲われ、服を剥がされていたことに。

 今のイズは丸裸というわけではなかったが、着ていた服は半分以上剥ぎ取られ、あちこち破れ、その下にある肌のあちこちが見えていた。


「きっ────きゃぁぁぁっ!!!!」


 とたんに恥ずかしさが込み上げてきて、悲鳴をあげるイズ。

 こんな姿、一瞬たりとも見られたくはない。

 とっさに体を隠そうとしたが、手を後ろで縛られているためそれもできない。


「あぁぁぁぁっ!」


 込み上げてくる恥ずかしさは、留まるところを知らない。なのにどうすることもできず、ただ叫ぶだけ。


 だがそこで、魔族の男が、慌てたように外套を脱ぎ、イズの体に被せた。


「ふぇっ!?」


 ようやく、体を隠すことができた。これ以上、あられもない姿を見られなくてすむ。

 その事実が、少しだけ、ほんの少しだけ、落ち着きを取り戻させる。


「あ、ああ、あの……ありがとう、ございます……」


 お礼を言いながら、頭を下げる。

 正直なところ、魔族に対する恐れは、未だにある。

 だが彼は、こうして自分を助けてくれたのだ。実は、怖い人ではないのかもしれない。

 そう思いながら魔族の男を見ると、彼もまた、イズのことをじっと見ていた。


 すると、どうしたことだろう。イズを見つめる彼の瞳が、大きく揺れる。

 かと思うと、その顔が急に歪んだ。


「────っ! な……なんだ、これは?」


 とたんに、胸を押さえてうずくまる。吐き出す息は荒々しく、そして苦しそうになっていく。


「だ、大丈夫ですか? どうされたのですか!?」


 まさか、さっき男たちに短剣を突きつけられた時、本当はどこかケガをしていたのではないか?

 血が流れていないか、近づいて確認しようとする。


 その瞬間、彼はイズの体を掴み、グイッと自分の傍に引き寄せた。


(…………えっ?)


 最初、何が起きたかわからなかった。

 少し遅れて、自分がこの魔族の男に抱きしめられたことに気づく。

 気づきはするが、あまりにも突然すぎて、理解が追いつかない。


 抱きしめる力はますます強くなり、体を覆う外套を伝って、彼の熱を感じた。


(あっ────)


 イズが覚えていたのは、そこまでだった。

 次々に起きた出来事に、とうとう頭も心も追いつかなくなったのだろう。

 プツリと糸が切れるように、イズの意識は、そこで途切れてしまった。


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