第3話 幸せな日々は遠く

 誰もが信じられないという顔をする中、またもシャノンが声をあげる。


「嘘でしょ。どうしてイズなんかが。何かの間違いじゃないの!?」

「私もそう思って確認したさ。だが先方は、何度聴いても、私の家にいた銀髪の娘と言うんだ」

「そんな……」


 銀髪の娘と言うと、この家どころかこの村全体を探しても、イズくらいしかいない。

 これで誤解や人違いを疑うのは、無理があるだろう。


「なんで? なんでイズなの! きれいでもないし教養もない、ただの穀潰しじゃない! そんなのが天族様に気に入られるなんて、そんなのおかしいわよ! 一目惚れされるなら、どう考えても私じゃない!」

「そうよ。ああ、シャノン。可哀想に。あなた、こんなバカな話、まさか受けたりはしないわよね? イズなんて嫁に出しても、我が家の恥になるだけよ」


 シャノンもその母も大いに嘆き、同時にイズに対する罵倒をぶつける。

 だが、信じられないのはイズも同じだった。


(私が、天族様に一目惚れされた? 婚約者になる? なんで? そんなの無理!?)


 視察団の長というのは、あの時自分を呼び止めた人だろう。

 しかしいくら思い出しても、嫌われこそすれ、好かれるようなことなど何ひとつ思い当たらない。

 それに、たとえ何かの間違いで好かれたとしても、自分が天族という高貴なる者と結婚し、うまくいくとは到底思えなかった。

 シャノンやその母親の言う通りだ。


「あ、あの……天族様の婚約者など、私には荷が重すぎます。断っていただくこと、できないでしょうか」


 なにより、このまま話を受けてしまっては、シャノンからどれほどの怒りを受けてしまうかわからない。

 イズにとって、天族や婚約以上に、そちらの方が大事だった。

 どうか断ってほしい。祈るような気持ちで、村長の返事を待つ。

 しかし────


「ならん!」


 そんなイズの望みを打ち砕くように、村長が叫ぶ。


「天族様直々の申し出だ。断れるはずがないだろう! これはもう決定事項。お前は、あの方の元へ嫁入りするんだ!」


 その言葉を聞いて、イズはさらに青ざめ、シャノンは悲鳴をあげた。


「いいか。これは、我が家にとってチャンスなのだ。先方からは、支度金としてたくさんの金が渡されることになっている。天族の方と親戚になれたら、今後も色々な恩恵を受けられるかもしれん。またとない幸運なのだ」


 そうは言うが、村長自身、決して心の底から納得はしてないのだろう。彼の顔は、怒りで湯気が出るかと思うくらい真っ赤になっている。

 一人娘のシャノンには目もくれず、今まで粗末に扱い見下していたイズが選ばれるなど、屈辱以外の何ものでもない。


「天族の方々は、これから国のあちこちを視察して回る。イズを迎えに再びこの村に来るのは、一ヶ月後だ。いいか、イズ。それまでに、お前に花嫁としての教育をしてやるから感謝しろ。もしも粗相をして我が家に恥をかかせるようなことがあれば、許さんからな!」


 無理です!

 そう言いたかったが、できなかった。

 村長の命令は絶対。逆らうことなど許されない。長年に渡って染み付いた感覚は、この場においても消し去ることはできなかった。


「…………はい」


 命令されれば、従うしかない。そこに自分の意志など存在しない。

 こうして、イズの嫁入りが決定した。










 それからというもの、イズを取り巻く環境は、ガラリと変わった。


 ボロきれ同然だった服は新たに仕立てた立派なものになり、化粧までしてもらえた。

 毎日の食事も、今までのような残り物の冷や飯ではなく、一日三食、きちんとしたものが与えられるようになった。

 掃除や洗濯、ドブさらいなどの仕事も、やらなくてもよくなった。


 しかもその先に待つのは、天族という高貴な存在との婚約。

 これだけ聞けば、誰もが羨むような幸せなのかもしれない。


 ただし、イズ本人がそれを幸せと感じているかどうかは、別問題だった。


「違うでしょう! ナイフの使い方はこう! 何度同じことを言わせたら気がすむの!」

「ひっ────す、すみません!」


 食事の最中、叔母からの容赦ない叱責が飛ぶ。

 最近の彼女はテーブルマナーの躾と言い、イズが食事をする時はその全てに目を光らせ、少しでも至らぬところがあった時は、こんな風に怒鳴りつけていた。


「まったく。こんなこともわからないなんて、どこまでもクズな子ね。教える私の身にもなってほしいわ」

「も、申し訳ごさいません」


 彼女から教えられているのはテーブルマナーだけでなく、挨拶の仕方や礼儀作法など、淑女として求められているもの全般だ。


 だがイズは、そのほとんどが、今までまともな教育を受けてこなかった。

 いきなり完璧にこなせと言われても無理な話だ。

 これでいいのか。失敗したらどうしよう。常にそんな不安に怯え、せっかくのまともな食事だというのに、味などろくにわからなかった。


(こんなことなら、今まで通り一人で残り物を食べている方がよかった)


 イズの嘆きは、それだけでは終わらない。いくら厳しくても、各種作法の躾については、必要なこととして我慢もできる。

 それ以上に苦しいのは、従姉妹であるシャノンの視線だった。


「あっ……シャノン様…………」


 何度も怒られながらその日のレッスンを終え、自分の部屋に戻ろうとするイズ。

 その途中、たまたま向こうから歩いてきたシャノンと鉢合わせする。

 その瞬間、彼女の目が急に鋭くなる。怒り、嫉妬、憎しみ。そんな感情を隠そうともせず、射殺すようにイズを睨みつける。


「あ、あの…………」

「なに?」

「い、いえ。なんでもありません」

「────ふん!」


 不機嫌に鼻を鳴らし、去っていくシャノン。

 天族の一団がこの家に来て、イズを婚約者にという話が出てから、彼女は常にこんな感じだ。


 以前のようにイズに対してあからさまな嫌がらせをすることはなくなったが、感じる悪意は、以前の比ではない。

 イズが天族の婚約者になったことは、村長や叔母も大いに不満に思っているが、最も怒っているのは間違いなく彼女だろう。


 今のところ何もされてはいないが、いつか酷い目にあわされるのではないか。

 最近のイズは常にそんな心配をしていて、夜もまともに眠れなかった。


「天族様の婚約者なんて、なりたかったわけじゃないのに」


 部屋に戻る前に、少しでも気分を変えようとテラスに出たところで、ついそんな言葉が漏れる。


 こんなこと、シャノンが聞けばより怒るかもしれない。天族の方にも失礼かもしれない。

 だが、イズにとっては本当にそうなのだ。


 一目見て、美しい人だと思った。身に余る光栄だというのもわかっている。

 だが何も知らない、まともに会話もしたことのない相手といきなり婚約するなど、とても理解が追いつかない。


 そもそも、どうして自分なのか。村長が言うには一目惚れらしいが、自分にそんな魅力があるとも思えない。

 自分を愛し、大切にしてくれた人といえば、両親くらい。その両親も、今から十年前に亡くなった。


「お父さん。お母さん────」


 優しかった両親。

 だが、ある日突然殺された。それも、イズの目の前でだ。

 とはいえ、あまり詳しいことはよく覚えていない。

 記憶にあるのは、見知らぬ誰かが数人、突然家を訪ねてきたこと。

 その中の一人が、イズの目の前で両親を殺したこと。

 イズはそのショックで気を失い、それ以外のことはよく覚えていない。結局、その事件は野盗の仕業ということになったが、イズにとっては真相などどうでもよかった。

 何があったかわかったところで、亡くなった両親が帰ってくるわけではないのだから。


「いけない。気分を変えるために外に出たのに、このままじゃますます暗くなっちゃう。早く部屋に戻って寝なくちゃ」


 叔母からの教育は、明日もあるのだ。寝不足で失敗などしようものなら、怒られるのは確実だ。

 テラスの扉に手を掛け、家の中に入ろうとする。

 その時だった。


「イズ=ローレンスだな」


 突然、すぐ後ろで男の声がした。

 誰!? 咄嗟にそう言いそうになるが、それよりも早く、口に布を押し当てられる。


 同時に、体を押さえつけられ、自由を奪われる。


「んんーーーーっ!」


 わけもわからず暴れるが、押さえつける力は強く、身動きひとつろくにとれない。


 さらに、後ろから取り押さえている男とは別の、第二の男が現れた。


「体を押さえるのは俺がやる。お前は、声をあげられないようにしろ」

「わかった」


 二人がそんなやり取りをしたかと思うと、イズの口に当てていた布の余の部分が顔の後ろに回し、固く結ぶ。これで、完全に声が出せなくなった。


 それだけではない。

 後から現れた男は、大きな麻の袋を持っていて、それをイズの頭からすっぽりと被せる。


(な、なに!?)


 相変わらず、何が起きているのかさっぱりわからない。

 だが、こうして大きな麻の袋に入れられることで、思い当たるものがひとつあった。

 これは、誘拐の手口だ。

 女性や子供を無理やり大きな袋に詰め込み、それを抱えて強引に連れ去っていくという、人攫いのやり方だった。


(私、誘拐されるの!?)


 疑問に思えど、声は出せず。当然、答えなどあるはずもない。

 ただ、袋の向こう側から、二人の男の声が聞こえてきた。


「へっ。ちょろいもんだな」

「約束通り、報酬はきっちりもらうぜ」


 約束。報酬。イズには、男たちが何を言っているのかわからない。

 しかしそこで、さらにもう一人、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「ええ。わかっているわ。そのかわり、こいつを二度と帰って来れないようにして。殺したって構わないわ」


 それを聞いて、イズは息を飲む。

 聞こえてきた声。それは、従姉妹であるシャノンのものだった。

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