第8話 【幕間】とある従者の願い事


 志賢ジーシェンは、耀明ヤオミンの幼なじみであり、友人でもある。

 現在は、皇太子である彼の筆頭補佐官を務めている。

 耀明が皇位を継承した際には、父のように宰相となり、生涯彼を支えることが決まっている。



 ◇◇◇



 耀明が、評議から戻ってきた。

 皇太子となった彼は、皇帝や国の重鎮たちが集まる会合にも出席をしている。

 耀明にお供できるのは、護衛官の豪龍ホウロンのみ。

 志賢は、執務室で留守を預かっていた。


美鳳メイフォン! 美鳳はいないのか?」


 部屋に戻るなり、耀明が自分付きの官女の名を呼んでいる。

 なぜ部屋に居ないのだ!と言わんばかりの顔で、あちらこちらを探し回っている。


「耀明殿下、美鳳さんはただいま戸部へ使いに出しております。急を要するものでしたが書類に不備があり、急ぎ差し戻しました」


「護衛は付けてあるのか?」


「豪龍がおりませんでしたので、別の者を……」


「そうか、それならば良い」


 耀明は落ち着きを取り戻すと、ようやく執務の続きを始めた。

 そんな主を見やり、志賢は人知れずため息を吐く。そして、自身も筆を手に取った。

 しばらくして、美鳳は護衛官と共に戻ってきた。


「ただいま戻りました。志賢様、ご確認をお願いいたします」


「はい、今度は大丈夫ですね。ご苦労様でした」


 差し出された書類を確認し、卓子の上に置く。

 今日中に処理しなければならないものは、他にもたくさんある。

 志賢は文官たちへ指示を出した。


「美鳳、お茶を淹れてくれ」


「かしこまりました」


 美鳳が戻るなり、耀明は待っていましたとばかりに自分の用事を言いつける。それも、満面の笑みを浮かべながら。

 耀明が美鳳を寵愛していることは、宮廷内では有名な話だ。

 宮殿内の官女たちを集め、その中から自分付きに美鳳を選んだ。

 平民官女が皇太子に見初められ、いずれ後宮妃の一人となる。

 周囲の者は、皆そう思っているだろう。


 身分が低いにもかかわらず選ばれた美鳳に対し、良い感情を抱いていない者は多い。

 嫉妬ややっかみの声も上がっていると、志賢は聞いている。

 そんな輩から守るため、美鳳が外出する際には自身の護衛官を付けるほどの過保護ぶり。

 美鳳への愛情の深さがわかる。

 どこから話が漏れたのか、「美鳳以外の妃は娶らない!」と皇太子が発言したとの噂も広がっていた。


 筆頭補佐官の志賢へは、噂の真偽を確かめる問い合わせが後を絶たない。

 事実無根であれば即否定するだけで終わるのだが、事実だけにたちが悪い。 

 妃候補となりる年頃の娘を持つ高官たちは、今のところ静観の構えのようだ。

 その内皇太子の熱が冷め、己の立場を自覚し目を覚ますだろうと思っているらしい。


 美鳳がただの平民官女であれば、その可能性は十分あった……かもしれない。

 そうであれば、どれほど良かったか。志賢は今でも思う。

 志賢とて、美鳳が妃の一人になること自体は反対をしていない。

 

 美鳳の見目は良く、性格は穏やかで申し分ない。

 平民である己の立場を、きちんと理解している。

 皇太子に寵愛されていることを盾に、周囲へ過度な要求をすることもない。

 至って、普通の娘である。

 

 ───ただ、特殊な事情を抱えているだけで



 ◇



「美鳳は、愛しの女の生まれ変わりで間違いなかった」


 官女選定のあと、耀明は志賢と豪龍へ告げた。

 喜びに溢れ、嬉しさを隠しきれない幼なじみの顔。

 女にまったく興味を示していなかった彼がこんな表情をするのだと、志賢は初めて知った。

  

 にわかには信じ難い話だったが、美鳳も前世からの知り合いであることは認めた。

 耀明とは違い渋々といった感じで、実に嫌そうな顔をしていたが。

 以前の関係は尋ねなかった。

 今の二人の様子を見ているだけで、おおよその察しはつく。

 前世でも、一方的に言い寄っていたのだろう。



 どういう話し合いで決まったのか、二人はお互いの望みをかけて剣術で戦うことになったらしい。

 耀明から説明を聞いても、志賢はさっぱり理解できなかった。

 それぞれの望みは、まったく正反対のもの。『婚姻』と『解放』だ。

 

 やる前から明らかに勝敗の決まった戦い。

 しかし、美鳳には勝算があるようだ。

 何度か鍛練場に同行している豪龍も、「案外、いい勝負になるかもしれない」と言っていた。



 ◇



「失礼いたします」


 人払いをし、いつものように四人だけで休憩を取っていると、執務室に一人の官女が入ってきた。

 耀明の隣でお茶を飲んでいる美鳳に、あからさまに挑戦的な鋭い視線を送りつける。

 気づいた志賢は様子を窺っていたが、美鳳は平然とお菓子を摘まんでいる。相手の挑発に、まったく動じていない。

 耀明の言う通り、本当に肝が据わっている。

 そんな美鳳が動じるのは、耀明から婚姻を迫られたときのみ。


「礼部尚書からの書状でございます。皇太子殿下へ、至急お目を通していただきたいとのことです」


「わかった」


 耀明は返事はするが、官女から直接書状を受け取るのは志賢の役目だ。

 まずは、差出人の署名を見る。

 これが本物であると確認をしてから、耀明へ渡した。


「……まだ、私になにか用事でもあるのか?」


 いつまでも部屋を出て行かない官女へ、耀明は厳しい目を向ける。

 それは、皇太子として、為政者としての顔だ。


「い、いえ。では、わたくしはこれで失礼いたします」


「ご苦労だった」


 部屋を出て行く官女には目も向けず、耀明は書状を読んでいる。

 美鳳はお茶のお替りを用意するため、席を立った。


「……これで、四人目ですか?」


「いや、五人目だ。どうしても、殿下に取り入りたいようだな」


 志賢は豪龍と顔を見合わせ、苦笑するしかない。


「何の話だ?」


 書状を読み終えた耀明は、卓子の上に用意された菓子を一つ摘まんだ。


「気づいていないのか? 最近、執務室にやって来る官女は全員『黒髪・琥珀色の瞳』だぞ」


「そうなのか? 他の女に興味はないから、まったく気づかなかったな」


「その様子だと、新たな噂が広まっていることも知らないようだな。『最近の皇太子殿下は、寵愛している官女と同じ黒髪・琥珀色の瞳の武官見習いへ、大層目を掛けている』そうだ」


「二人は同一人物だからな、俺が可愛がるのは当たり前だ」


 噂に関して、当の本人に気にする素振りはまったくない。

 それどころか、当然だと大きく頷いている。


「だから、周囲はこう考えたのだろう。『皇太子殿下のお好みは、黒髪・琥珀色の瞳の人物だ』と。同じような容姿の女子を養女にして、後宮妃にさせたいようだ」


「くだらん……俺が娶りたいのは、ただ一人だけだ。美鳳、そういう理由わけだから、おまえは明日にでも皇太子妃になれ」


「どういうわけですか!」


 茶器を手にしたまま、美鳳はすぐに突っ込む。

 この辺りの二人の息はぴったりだ。


「おまえが黙って頷いてくれれば、すべてが万事うまく収まる。このような、煩わしいことも減るしな」


「だったら、殿下が希望者全員を妃にすれば、即解決ですよ! 私が、無用な嫉妬を買うこともありませんし」


「おまえは、いい加減に観念しろ」


「嫌です!! 殿下こそ、私を一日でも早く解放してください!」


 また、いつもの言い合いが始まった。

 耀明の瞳が、輝きを増していく。

 心から、このやり取りを楽しんでいることがわかる。


 民の上に立つ者として、彼は尊敬に値する品行方正な皇太子を常に演じている。

 そこにどれほどの苦痛や重圧があるのか、志賢には想像もできない。

 そんな彼が、素の自分をさらけ出せるただ一人の女性。


 耀明も志賢も、これまで女性には興味も関心もなかった。

 自分たちは生まれたときから、国のため家のためだけに、決められた相手と婚姻を結ぶことが求められている。

 そこには愛情も感情もない。ただ粛々と、義務を果たしていくのみ。


 それなのに、耀明は出会ってしまった───唯一無二の相手と

 

(もし、私が前世で愛した者と再会できたならば……)


 考えても意味のないことを思考しようとした自身を、自嘲する。

 耀明へ目を向けると、言い争いはいつの間にか終了しており、二人で仲良くお茶を飲んでいた。

 執務室に、穏やかな時間が流れる。


 尊敬すべき友であり主には、幸せになってもらいたい。

 忠実なる従者は、ただ、それだけを願う。



 ◇◇◇



 本日の執務は終わった。

 美鳳を先に離宮へ帰した耀明は、志賢と豪龍を前におもむろに口を開いた。


「おまえたちだけには、情報を共有しておく」


 そう言うと、耀明は礼部尚書からの書状を手に取った。

 他言無用だと言われ、二人の顔が引き締まる。


「隣国に、妖魔が現れたらしい」


「「妖魔?」」


 志賢と豪龍は、揃って首をかしげた。

 退魔の剣の継承者がいなくなった時期と同じくして、妖魔も人前に姿を現すことはなかった。

 そのため、鬼人の恐ろしさは後世に伝承されていても、妖魔については名だけで詳細な記録はほとんど残っていない。

  

「鬼人とは、何か違うのですか?」


「まあ、似たようなもの……らしいが。目撃者の話では、奴らは白髪で妖術を操るようだ」


「『奴ら』ということは、複数いるのか……これは脅威だな」


 隣国での出来事だが、いつ自国に火の粉が降りかかるやもしれない。

 国として、今のうちから何か対策を立てるべきではないのか。

 父である宰相へ進言しようと、志賢は心に留め置く。


「妖術によって、いくつかの町や村が全焼させられたらしい。死傷者が多く出ているそうだ」


「そのような妖術使いを相手に、何か対抗策はあるのでしょうか?」


「対抗策は……」


 豪龍からの質問に、耀明は言い淀む。

 志賢も一つだけ思い当たった。

 しかし、現在においては不可能なことだ。


「そういえば、宝物庫には『退魔の剣』が収蔵されているのですよね? それを使用することはできないのでしょうか?」


「退魔の剣は、正統な継承者でなければ手に持つことも叶わない魔剣だ。現在、剣の使い手は……いない」


 鬼人の脅威がなくなり平和な時代となったため、継承者は途切れてしまった。

 志賢は、それを残念に思う。

 

「武官や見習いの中に使い手がいないか、一度探してみるのはどうだ? 備えあれば憂いなしと言うし、駄目で元々だろう?」


「そう…だな」


「うん? 何か、不都合でもあるのか?」


 これまでであれば即決断を下す耀明が、妙に歯切れが悪い。

 いつも自信に満ち溢れた顔も、なぜか表情が冴えない。

 それを不思議に思いながら、今後のことに考えを巡らす志賢だった。


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