第7話 【閑話】武官見習いと皇太子


 宮殿の一角にある鍛練場には、木剣ぼっけんを打ち合う音が響いている。

 美鳳メイフォンは、対戦相手の首筋に触れる一歩手前で攻撃を止めた。


「勝者、小龍シウロン!」


 指導官の声で、模擬戦が終了する。

 『小龍』とは、武官見習いとしての美鳳の偽名。皇太子殿下自らが名付けた、名誉ある名前なのだ。

 小龍は一礼し、仲間のところへ戻った。

 

「おまえ、すげえなあ……また勝ったのか!」


「小龍は小柄だから打撃は軽いけど、その分とにかく動きが素早い。だから、相手が翻弄ほんろうされる」


「でも、力だけで押し切るのは、俺たちには無理だよな?」


「何度も攻撃をされるから、こっちは防戦一方になる。それを打開するには───」


 周りが真剣な表情で意見を言い合いながら、小龍への対策を検討し始める。

 懐かしい光景に、つい美鳳の目頭が熱くなった。

 前世では、よく兄弟弟子たちとこんな風に意見交換をしていた。

 どうすれば、鬼人たちに対抗できるのか。

 夜遅くまで皆で語り合うことが、美鳳は好きだった。


「あ~あ、小龍が毎日訓練に来られたらよかったのに……」


「実家の手伝いが最優先だから、仕方ないさ。それで、ここに通うことを許してもらっているからな」


 話し方は、少年ぽく見えるように意識している。

 小龍は次男で、実家は都内で小さな食堂を営んでいることになっていた。

 数日に一度ある店の休業日に、鍛練場へ通っている設定だ。


「でも、実家は兄貴が継ぐのだろう? だったら───」


「兄は過保護でね……僕をなかなか独立させて解放してくれないのさ」


 言葉に思わず実感がこもる。


「兄さんは、弟が皇太子殿下から目を掛けられていることを知らないのか?」


「……知っているよ(だって、本人だから)」


 美鳳は、苦笑しながら答えた。



 ◇



 耀明ヤオミンは、以前から時間を作っては鍛練場に顔を出していた。

 名目上は、『視察』という立派な公務。だが、将来の武官候補たちの実力が気になっていたのだろう。

 豪龍は十四歳の時にここで十二歳の耀明から見出され、後に皇子付きの護衛官に抜擢された。

 だから、耀明が鍛練場に現れるのは、それほど珍しいことではない。


 しかし……


 美鳳が武官見習いになった初日に、耀明は視察にやって来た。

 皇太子殿下がいるだけで、武官見習いたちの士気が上がる。 

 そんな中、美鳳だけが作為的なものを感じていた。


 そして今日も、耀明は視察にやって来た。

 美鳳の姿を見つけると、それはそれは嬉しそうな顔でにこりと微笑んだ。


「本日は、皇太子殿下直々にご指導いただけるとのこと。武官見習いたちが、大変感激しております!」


 と、頬を紅潮させた指導官が挨拶をしている。

 誰よりも一番感激しているのは彼だと皆が思うが、そこに触れてはいけない。

 小龍たち見習いは、神妙な顔をして首肯するのみ。


「彼らは将来国の防衛と治安を担う、大切な国の宝である。私が手ほどきをするのは、当然であろう?」


「有り難きお言葉、恐悦至極に存じます」


 指導官とのやり取りを離れた場所から観察していると、噂通りの品行方正な皇太子にしか見えない。

 執務室でも、他の文官や護衛官がいるときと全く同じだ。

 素の彼とは、天と地ほどの落差がある。

 内情を知っている美鳳としては「周囲を欺いて、申し訳ありません!」と代わりに謝罪をしたい気持ちになる。

 ただし、少年のふりをして武官見習いに紛れ込んでいる美鳳が言えた義理ではないが。


 耀明は、さっそく一人一人に指導を始めた。

 この貴重な機会を活かそうと、皆が真剣に耳を傾けている。

 この中では新参者の小龍への指導は、一番最後だ。

 剣を構えた小龍を見て、耀明がすぐに背後にまわる。


「其方は小柄だから、剣はこのように両手でしっかりと持て」


「……はい」


「持ち方は、こうだ」


「……わかりました」


 後ろから耀明に抱きしめられるような恰好になっているから、小龍は気になって助言が頭に一切入ってこない。

 おまけに、耳に吐息が掛かり、耀明の唇がわずかに触れているような感覚さえある。

 剣を持つ両手も、上からしっかり握りしめられていた。


 耀明は、絶対にわざとやっている。小龍は確信を持った。

 品行方正な皇太子にあるまじき所業だ。

 

 顔が引きつりそうになるのを必死に抑えている小龍を、耀明に随行してきた豪龍ホウロンが半笑いの顔で見ている。

 笑っていないで、主の暴走を止めてほしい。

 抑止力になるはずの志賢ジーシェンは、残念ながら今日は執務室で留守番のようだ。


耀明ヤオミン殿下、畏れ入りますがそろそろお戻りになりませんと、執務のほうが……」


「そうか……仕方ないな」


 至極残念そうに呟くと、耀明は小龍から体を離した。

 ようやく、豪龍が従者らしい務めを果たしてくれた。

 二人の会話から予想するに、耀明は無理やり執務室を抜け出してきたようだ。

 志賢の渋い顔が脳裏に浮かんだ。

 

 鍛練場を出て行く耀明の後ろ姿を、小龍は黙って見送る。

 『執務室に戻ったら、志賢様から散々お説教をされますように!』の呪詛を込めて。


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