第6話 模擬戦


 私が耀明ヤオミン殿下付きとなってから、数日が経過していた。


 殿下付きになったとはいっても、執務室で殿下や他の方のお手伝いをするだけで、基本的に仕事内容は以前と何ら変わりはない。

 ただ、執務室で休憩時間に殿下と一緒にお茶を飲んだり、離宮で殿下と一緒に食事をしたり等々、これまでなかった余計なが増えただけである。

 

 変わったのは、離宮での生活だ。

 

 実家に居たときも、使用人はそれなりにいた。

 身の回りのお世話をしてくれる者もいたが、基本的には自分のことは自分でやっていた。

 しかし、ここではすべてのことを使用人がやってくれる。

 皇族である殿下はわかるのだが、私は平民だ。

 常に他人が傍に控えている生活は、どうにも落ち着かない。

 息が詰まりそうで、一日でを上げた。


 改善を求め殿下へ訴えたところ、こんな答えが返ってきた。


「おまえはいずれ皇太子妃、そして皇后になるのだから、今のうちから慣れておけ」


「私はなりませんよ! だから、慣れる必要はありません!!」


「ハハハ、諦めの悪いやつだな……」


「あなただけには、言われたくないです!」


 まったく取り合ってくれなかった。

 こんな男にお願いした私が馬鹿だった。

 こうなったら、やはり実力で自分から出て行くしかない。



 ◇◇◇



 殿下と剣術で勝負し、勝ったら解放してもらう約束を取り付けた私は張り切っていた。

 現世では剣術はまったくやっていないため、まずは現在の己の技量を見極める必要がある。

 使用人の件ではまったく取り合ってくれなかったこともあり少し迷ったが、敵の技量も知るために、殿下へ簡単な模擬戦をお願いすることにした。

 朝餉の席で、さっそく話を切り出す。

 

「模擬戦の相手をしてやるのはいいが、俺に何か見返りをくれ。これでも、この国の皇太子だからな。結構忙しいのだ」


「見返り、ですか……」


「俺の希望としては、おまえからの『口づけ』だな。もちろん、ここにだぞ?」


 当然のように、殿下は形の良い自分の唇を指差す。

 顔はニヤニヤと笑っている。

 そう言われると思っていたから、この男に頼みごとをするのは嫌だったのだ。


「申し訳ありませんが、それ以外でお願いします!」


 考えるまでもない。

 そんな見返りは、即却下だ。


「仕方ないな。だったら……『共寝』でどうだ?」


「共寝って、同衾どうきんするってことじゃないですか!」


「おまえに手は出さないから、問題ないだろう?」


「問題大有りですよ! だいたい、あなたが手を出さないなんて、絶対に信用できません!!」


 思わず半眼になる。

 思いっきり殿下をめつけていた。


「アハハ! 何だ、その顔は……」


 腹を抱えて笑う殿下は、とても楽しそうだ。

 目に涙まで浮かべて、息も絶え絶えに。

 でも、私は全然楽しくない。

 いくらなんでも笑い過ぎだ。

 実に腹立だしい。


「それなら、今回は『抱擁』で手を打ってやるか。これ以上は、妥協しないぞ」


「……わかりました。それで、お願いします」


 『口づけ』や『同衾』よりはまだましだと、渋々了承する。

 模擬戦は、就寝前に行うことで話がついた。



 ◇



美鳳メイフォンさん、こちらを父にお渡しください」


「宰相様へ、ですね。かしこまりました」


 筆頭補佐官である志賢ジーシェン様(十七歳)は、宰相様のご子息だ。

 殿下の幼なじみでもあるらしい。

 殿下付きの官女を決めるときに同行していた従者の一人である。

 体格は中肉中背で、彼はいかにも文官らしく体は全く鍛えていないようだ。

 いつも難しい顔をしていて、眉間によく皺が寄っている。


豪龍ホウロン、美鳳を頼む」


「かしこまりました。では、美鳳殿、行こうか?」


「はい、よろしくお願いします」


 殿下の命により私に付き添ってくれる武官は、豪龍さん(十九歳)。

 彼は殿下の筆頭護衛官を務めている……はずなのに、なぜか毎回私のお使いに同行してくれるのだ。


 二人で執務室を出て、宰相様のところまで書状を届けに行く。


「あの……豪龍さんは、殿下に付いていなくていいのでしょうか?」


「部下たちがいるからね、まったく問題ないよ。それに、僕もたまには外の空気を吸いたいし」


 彼は平民の出自とのことで、私が「豪龍様」と呼びかけたら「僕に『様』はいらないよ」と言われてしまった。

 同じ平民なので、高官ばかりが集まっている殿下の執務室内では一番話しやすい人だ。

 武官だけあって体格は良く、見上げてしまうくらい背も高い。

 

「それに、フフッ……殿下の『寵姫さま』を護衛するのだから、名誉なことだよ」


「……笑いながら言わないでください。私は、ただのです!」


「あんなに寵愛されているのに、美鳳ちゃんは殿下のどこが不満なの?」


 豪龍さんは、他の人がいないところでは、私を『ちゃん』付けで呼ぶ。

 私と同い年の妹さんがいるそうで、二人だけのときは面倒見のよいお兄さんに意識が切り替わる。


「不満とか、そう言うのではなくて……私は(現世では)平穏な暮らしがしたいだけなんです!」


 身分差のない人と夫婦になって、穏やかな家庭を築いていきたい!と豪龍さんへ将来の夢を語る。

 もちろん、殿下へはこの話は絶対にできない。

 私がこんな望みを持っていると知ったら、あの男はさらに意固地になりそうだから。

 

「なるほどね。たしかに、僕も高官の方々から『娘の婿になってくれ』って見合いを勧められるけど、嫌だもんな……美鳳ちゃんの気持ちが、少しだけ理解できたかも」


「だから、私はなんとしても殿下に勝たなければならないのです!!」


「殿下から聞いたよ。剣術で勝負をするんだってね。でも、殿下はかなり強いよ? 美鳳ちゃんに勝算はあるの?」


「昔(前世)の勘と経験を駆使して、全力で頑張ります!」


「ハハハ……二人は、本当に昔(前世)からの知り合いなんだね。話を聞いても、未だに信じられないな」

 

 志賢様と豪龍さんは、私たちが前世からの繋がりがあることを知っている。

 さすがに、殿下が『鬼人の元頭領』で、私が『退魔の剣の元継承者』とまでは話をしていないそうだけど。

 

 前世からの一件を、現世で決着させるとは説明済み。

 二人は、『前世からの一件』を色恋沙汰だと思っているようだ。

 殿下があんな感じだから、誤解されてしまうのは仕方ない。

 まさか、敵同士で殺し合いをしていたなんて知ったら、どんな反応をされてしまうだろうか。



 ◇



 就寝準備を終えると人払いをし、私は簡単に身支度を整える。

 剣が振りやすいように、動きやすい武官のような恰好だ。

 髪は邪魔にならないよう、一つに束ねた。

 準備ができたら、階下へと降りていく。

 着いたのは、簡素な造りの広い部屋。

 ここは、耀明ヤオミン殿下の離宮内にある鍛練場だ。


 私が軽く準備運動をしていると、殿下がやって来た。

 彼も軽装をしている。

 普段の豪奢な衣装に見慣れているからか、とても違和感がある。

 いつもはきっちり纏められている髪も、今は下ろしたままだ。


「こうして見ると、殿下の髪色って結構赤毛なのですね?」


「前世の名残かもしれんぞ」


「たしかに、以前は真っ赤でしたもんね」


 燃え盛る炎のような赤髪を、私はぼんやりと思い出していた。

 殿下は鍛練場の隅から長い棒を取り出すと、一本を私のほうへ投げた。


志賢ジーシェンがうるさいから、今日はこれでやるぞ」


「わかりました。殿下にケガをさせては、一大事ですからね」


 私と殿下が離宮の鍛練場で模擬戦をやると知って、志賢様は渋い顔をした。

 豪龍さんは「美鳳ちゃんの腕がどの程度のものか、非常に興味があるな」と笑っていたが。

 

 鍛練場の中央で向かい合い、一礼する。


「よろしくお願いします!」


「遠慮なく、かかってこい」


「では、行きます!」


 まずは小手調べとばかり、棒を真正面に突き出す。

 昔のようにひょいと躱されるかと思ったら、殿下は棒を巻き取るように弾き返し、すぐさま懐に入ってきた。

 頭に打ち下ろされる棒を、横に持った棒でどうにか回避……できたと思ったら、足払いをされ私は体勢を崩す。

 そのまま殿下に抱きとめられたのだった。

 棒で私の頭を軽くコツンとした殿下は、ニヤリと勝利の笑みを浮かべた。


「どうだ、俺は強いだろう?」


「そうですね、今日は完敗です」 


 たしかに殿下は強かった。

 剣術だけでなく、体術まで駆使して勝利を掴みにきた。

 

 私は、あまり『人』との対戦経験がない。

 特に、退魔の剣は対魔物に特化しているので、それ用の戦い方しか学んでこなかったのだ。

 今回は、その差が歴然と現れた。


「もう俺には勝てないと観念して、おとなしく皇太子妃になれ。俺が皇帝を継ぐ前に子がたくさんいたら、皇后一人でも誰も文句は言うまい」


「嫌です! 私はこれから修行し直して、絶対にあなたに勝ちますから!!」


「おまえは、本当に強情なやつだな……」


 殿下になんと言われようと、私は諦めない。

 今日の模擬戦で、今の自分には何が足りないのか知ることができた。

 これから、それを補えばいい。

 そのためには……


「あの、お願いがあるのですが?」


「今度は、なんだ?」


「武官たちの訓練に、私も参加してもいいでしょうか? もちろん、仕事が終わった後とか、休みの日だけですけど」


「はあ?」


「私に足りないのは、『人』との対戦経験なのです。だから───」


「だ、駄目だ! 女のおまえが、武官に交じって訓練するなど……いろんな意味で危険極まりない!!」


「大丈夫ですよ。前世では周りに男しかいませんでしたから、慣れています」


 継承者になる修行をしていたのは、ほとんどが男の子だった。

 私は彼らと一緒に修行し、ご飯を食べ、雑魚寝をしていたのだ。


「慣れているって、おまえなあ……」


「では、女であると知られないようにすれば、いいですか?」


「……昔みたいに、黒装束にするのか?」


「あれは、さすがに怪しすぎますよ……そうだ! 私が武官見習いになればいいんだ!」


 武官見習いとは、成人前の少年たちのことだ。

 一人前の武官をめざし、切磋琢磨していると聞く。

 高官の子息もいれば、平民もいる。だから、私が紛れ込んでも目立つことはないだろう。

 武官は実力主義なので、身分に関係なく己の腕だけで成り上がれる。

 豪龍さんも、その内の一人だ。


 髪を多少短く切って一つに縛り、化粧をしなければ、女の私でも十三,四歳の少年に見えるはず。

 うきうきと計画を練り始めた私の顔に忍び寄る、怪しい影。

 殿下の両手が、スッと伸びてくる。

 両頬を、むにゅっと摘ままれてしまった。


でんは殿下ひはひへす痛いです


「俺の言うことを聞かない悪い女には、お仕置きが必要だ」


ははしは私はひひこへすよ良い子ですよ


「嘘をつくな」


 殿下はようやく手を離してくれたが、ひりひりする。

 これは、絶対に赤くなっている。

 頬を自分でさすっていたら、そのままの恰好で抱きしめられてしまった。


「これは見返りの抱擁だから、抵抗するなよ」


「約束ですから、しませんよ」


 お互い軽装の薄着だからか、殿下の体温を感じる。

 意外と胸板が厚い。腕の筋肉もしっかりある。

 彼がきちんと鍛練してきた証が、そこにあった。

 

「……武官見習いの件は、明日にでも志賢ジーシェンに手配させる」


「ありがとうございます!」


 しばらくして、殿下の腕の力がフッと緩む。

 手を下ろしたら、端整な顔が目の前にあった。


「ただし、人目に付くようなケガをしたら、すぐに辞めさせるからな」


「重々、気を付けます」


 私が神妙な顔で答えると、殿下がクスッと笑う。

 綺麗な赤毛がサラッとなびいた。

 お香の匂いだろうか。

 殿下の髪から上品で爽やかな香りがした。


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