第5話 耀明という男


 耀明ヤオミンは、雲紫インジー国の第一皇子としてこの世に生を受けた。

 幼いころから利発で頭の回転が速く、聡明さは他の皇子たちの追従を許さない。

 誰よりも抜きんでていた。

 おまけに、性格は傲慢ではなく温厚。

 男女問わず臣下たちからも慕われていた。


 彼が皇太子となったのは、成人を迎えた十五歳のときだ。

 眉目秀麗びもくしゅうれいで文武両道の次期皇帝。

 誰もが認める、異論の起こりようがない結果だった。


 そんな耀明に転機が訪れたのは、父である皇帝に連れられ初めて宝物庫へ入ったときだった。

 父が見せてくれたのは『退魔の剣』。今なお輝きを失っていない国の宝だ。

 大陸の歴史は、一般教養として学んでいた。

 三百年前、剣の継承者が鬼人の首領を倒し、苦難の歴史に終止符を打ったと伝えられている。


 耀明も幼少から地道に鍛練を続けてきたこともあり、剣術の腕は他の者に負けないという自負がある。

 伝説の武器を前に、耀明は柄にもなく興奮した。


「父上、剣を手に取ってみてもいいでしょうか?」


「構わぬ。ただし……おまえが手に持つことができればな」


 父は楽しげに笑っている。

 台座に置かれた剣を手に取ろうと、柄の部分に手をかけた。

 そのまま持ち上げようとした耀明だったが、剣はまったく動かなかった。


「『退魔の剣』は、正統な継承者でなければ手にすることも振るうことも叶わぬ魔剣なのだ」


 剣に認められた者でなければ、手に持つこともできない。

 この台座に安置するときには、大人が数人がかりで運んだと記録に残っているとのこと。


(この国の皇太子であっても、認められないのか……)


 耀明が初めて味わった敗北。

 悔しさに唇を噛みしめた息子を、父は目を細め眺めていた。



 翌日から、耀明は定期的に宝物庫へ通うようになっていた。

 剣を手にしては、持ち上げられるか試す日々。しかし、どれだけ頑張ってもびくともしない。

 どうすれば、剣を手に持つことができるのか。

 魔剣を前に、耀明は思考を巡らす。


(柄ではなく、剣先を持ってみたらどうだろうか?)


 なぜ、この考えに至ったのか。

『行き詰ったときは、発想を転換せよ』と、老師たちから教えられたからなのか。

 耀明は自分でもよくわからない。

 ただ、剣先を手に持つ自身の姿が頭に思い浮かんだのだ。

 そして、この行動が耀明の運命を大きく変えることになる。


 錆一つない剣先を両手で慎重に持つと、耀明は力をこめて持ち上げる。

 わずかに剣が浮いたような感覚があり、つい気を取られた。


「痛っ!」


 てのひらが、横一線に切れていた。

 血がぽたぽたと垂れ、剣先を赤く染めていく。

 耀明は慌てて懐から手拭いを取り出し、大事な剣を拭った───その時だった。


 ズキッと頭に激痛がはしり、立っていることもままならない。

 耀明はそのまま床へ倒れ込む。

 扉の外で待機している護衛官を呼びたいが、苦痛で声をあげることもできない。

 薄れゆく意識の中で、綺麗な琥珀色の瞳を持つ黒髪の女の姿が見えた。



 ◇



 目を覚ましたとき、耀明は寝台に寝かされていた。

 頭痛は治まっており、掌の傷も治療されている。

 

 宝物庫は、皇族の中でも定められた人物しか入室は許されていない。

 一向に出てこない皇太子を心配し、護衛官が宰相を通じて皇帝へ連絡。

 駆けつけた父によって、息子は発見されたのだった。


 大人たちから散々小言をくらい、当分の間は宝物庫への出入りを禁止されてしまった耀明だが、落ち込んだ様子はない。

 意識を失っている間に見た夢について考えていた。


 夢の中で、耀明は鬼人の頭領となり、配下たちと船に乗り大陸へとやって来た。

 そこで戦ったのは、退魔の剣を手に持つ黒装束の人物。正体は美しい女だった。

 青白く光る魔剣を軽々と持ち、果敢に攻め立ててきた。

 最終的には、耀明と女は共に魔剣で命を落とす。

 そして、夢から醒めた。

 

 あまりにも現実離れした夢。

 しかし、抱きしめた女の匂いや触れた肌の感触がはっきりと残っている。

 やけに現実味を帯びている。

 艶のある黒髪に琥珀色の瞳が、いつまで経っても頭から離れなかった。



 ◇



 二日後、耀明は職務に復帰した。

 彼の筆頭補佐官を務めるのは、宰相の息子であり幼なじみでもある侯志賢ホウジーシェン

 護衛官は、平民からの成り上がりながら腕の立つ豪龍ホウロンだ。


 休んでいる間に溜まった事務処理を手早く片付けながらも、時折、耀明の手が止まる。

 どこか遠くをぼんやりと見つめ、ため息をつく。

 これまでとは様子の違う心ここにあらずの耀明に、志賢は眉根をよせる。


「お怪我から復帰されたばかりで、お体も本調子ではないのでしょう。耀明殿下、少し休憩にいたしましょうか?」


「ああ、そうだな……」


 文官たちを休憩に行かせ人払いをし、部屋には三人だけが残る。

 耀明が腕を上げ伸びをすると、大きな欠伸がでた。


「具合が悪いのなら、もう一日休んでも良かったのではないのか?」


「自分の過失で負ったケガだからな、そうそう休むのは躊躇われる」


「でも、耀明様は働きすぎなんですよ。少しくらい休んだって、問題ありません!」


 三人だけになれば、気安い関係に落ち着く。

 他の者の前では品行方正な皇太子ぜんとしている耀明の、素の自分に戻れるちょっとした息抜きの時間でもある。


「……なあ、おまえたちは『前世』って、信じるか?」


「『輪廻転生りんねてんしょう』が本当にあるのなら、命あるものは何度も生まれ変わっているのだろう? だったら、前世があってもおかしくはないよな」


「僕は信じますよ!」


「もし……前世で惚れた女が現世で別人に生まれ変わっていたとしたら、どうする?」


 突拍子もない話に、従者二人は思わず顔を見合わせる。

 

「探し出して会いに行くか? それとも……」


「……それって、相手も前世のことを覚えていたらいいですけど、自分だけだったら悲しくないですか?」


「ハハハ! たしかに、そうだな……」


 豪龍の率直な意見に耀明が声を上げて笑い、休憩時間は終了となったのだった。



 ◇◇◇



 それから二年後、十七歳となった耀明には、国内外から婚姻話がちらほら持ち込まれるようになっていた。

 しかし、皇位を継ぐのは当分先の話である。

 本格的な後宮妃選びもまだ先であるが、筆頭補佐官の志賢ジーシェンは本人の意向を確認していた。

 

 本日の執務はすでに終えている。

 とうに日は沈み、夜のとばりがおりていた。

 執務室には、三人以外人影はない。 


「もし、宮廷内に気に入った女子おなごがいたら、先に婚約を結ぶことは可能だぞ?」


「それなら、官女たちのなかに『黒髪に琥珀色の瞳を持つ娘』がいないか調べてくれないか?」 


「さっそく手配しよう。それにしても、やけに具体的だな?」


「その娘は、『愛しの女』の生まれ変わりなのさ」


「「はあっ?」」


 驚きに目を丸くする志賢と豪龍に、耀明はクスッと笑う。


「最近、夢の中によく現れる。彼女と同じ黒髪に琥珀色の瞳の少女が、この国の官女姿で。きっと、現世の俺に会いに来てくれたのだろうな」


「……おまえ、それを本気で言っているのか?」


「ああ、俺は至って真面目に言っている」


 耀明には確信があった。その少女が、女の生まれ変わりであると。

 たしかな根拠もある。

 この夢を見るようになる前日、ある出来事があった。

 


 ◇



 その日も、耀明ヤオミンはほぼ日課となっている宝物庫を訪れていた。

 ケガをしたため魔剣に触れることは禁止されてしまったが、頼み込んで入室だけは許可を取っていた。

 剣を手に取ることはできなくなったが、眺めているだけでも十分満足できる。

 いつものようにじっくりと観賞していると、ふと違和感を覚えた。

 剣がうっすらと光を帯びているような気がしたのだ。

 試しに灯りを消してみると、ぼんやりと淡く光っている。

 入室時にはなかった異変。

 思わず叫びそうになる口を、慌てて塞いだ。


 すぐに脳裏に浮かんだのは、以前見た夢のこと。

 女が手にしていた退魔の剣も、青白く光っていたことを思い出したのだ。


(やはり、あの夢は俺の前世だったのか……)


 半信半疑だった夢の内容は、大昔に本当にあった出来事だった。

 そして三百年のときを超え、再び魔剣が光を取り戻した理由は一つしかない。


 ───主の帰還


 剣は、主の帰りを静かに待っていたのだ。



 ◇



「その女子が見つかったら、どうするつもりだ? 前世を覚えているか、尋ねるのか?」


「機会があれば聞くかもしれないが……一目会えば、彼女かどうか俺にはわかる」


 あの夢を見たときから、耀明の心を捉えて離さないもの。

 ずっと恋焦がれていたもの。

 それが、手の届くところに来ている。


「……今度こそ、逃しはしない」


「なんか、耀明様の目つきが怖いんですが……」


「おまえって、女に興味はなかっただろう? どういう心境の変化だ?」


「彼女は特別だ。俺にとって、唯一無二の女だからな」


 目を閉じて、女と少女の姿を思い浮かべる。

 二人は同じ黒髪・琥珀色の瞳なのに、雰囲気はまったく異なっていた。

 

 女は凛として美しく、気高い荘厳さを兼ね備えていた。

 少女のほうは、可憐ではかなげ。ふんわりとした優しい空気を身に纏っているようだった。

 きっと、現世では幸せに暮らしているのだろう。


(おまえは、俺だけのものだ……)


 目を開けた耀明の瞳には、激しい恋情の炎が宿っていた。



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