第4話 因縁の相手
私は無意識に、ありったけの力をこめて殿下を突き飛ばしていた。
不意を突かれた彼は横によろめく。
「な、なにをしているのですか!」
「何って、あの時の続きだが?」
「はあ?」
悪びれもせず、また私に
自分で言うのもなんだが、なかなか俊敏な動きだったと思う。昔取った杵柄は健在だった。
殿下を睨み付けつつ唇を拭う。首筋も頬も額も。彼に触れられたところを全部。
化粧が付こうが剝げようが構わない。
衣の袖で、遠慮なくゴシゴシと。
「……おい。さすがの俺でも、目の前でそんなことをされたら結構傷付くのだが」
「あなたって、前世でも現世でも、どうしてこうも手が早いのですか!」
「男なんて、皆そうだぞ?」
「違いますよ!!」
少なくとも、私の周囲にはこんな男は一人もいなかった。
はあ……とため息を吐くと、どっと疲れが出てくる。
「これが、あなたの復讐ですか?」
「復讐? なんのことだ?」
「だから、前世で私に殺された復讐を現世でするのですよね?」
「いや、しないぞ。別に、おまえを恨んでもいないしな」
「ええええ~」
軽くあっさりと言われてしまった。
こちらは真面目に深刻に考えていたのに、まったくの予想外だ。
「てっきりあなたに殺されると思っていたのに、まさか襲われるとは……」
「俺がおまえを殺すわけがないだろう。そうか! 俺に復讐されると思い込んでいたから、殊勝な態度だったのだな……」
殿下の顔が急に険しくなった。眉間に皺が寄っている。
「紛らわしい言動をして、俺を煽ったり期待を持たすな!」と怒られたから、「私は悪くないです!」と反論しておいた。
「あと、おまえなあ……皇太子を思いっきり突き飛ばすとか、他の者がいる前では絶対にやるなよ? 不敬罪で処罰されるぞ」
「あなたが手を出してこなければ、やりませんよ」
殿下からかなり距離を取って、私は寝台の上に腰を下ろす。
また性懲りもなく私に近づいてこようとする殿下を、猫のように毛を逆立て威嚇すると、彼は渋々引き下がった。
「前は受け入れたのに、何で今は俺を拒絶するんだ?」
「昔とは状況が違いますよ! あの時の私は、絶対に勝たなければならなかった。たとえ、どんな手段を使ってでも……」
「…………」
「でも、あなたを騙し討ちしたことは、申し訳ないと思っています。だから……あの時は本当にごめんなさい」
私が深々と頭を下げると、殿下は驚いたように目を見張る。
それから、フフッと笑った。
「おまえが謝ることは何もない。俺は、俺を倒すために全力を尽くしたおまえに負けた。ただ、それだけだ」
真っすぐに私を見つめる瞳は、夜空に輝く星のように澄みきっている。
そこに、深い闇は一切見えない。
その時々でころころと表情を変える黒い瞳を、私はじっと見つめていた。
「どうした? 俺の麗しい姿に見惚れていたのか? まあ、前世でも現世でも、俺はいい男だからな」
「ア~、ソレハ ヨカッタデスネ……」
「感情のこもっていない声で、淡々と受け流すな! ここは、完全に同意するところだろう!!」
がっくりとうなだれる殿下を放置し、私は話を続ける。
「ところで、一つ確認をしてもいいですか?」
「……なんだ?」
「今のあなたって、『人』ですか? それとも、鬼人が人に化けているとか?」
「俺は、正真正銘『人』と『人』の間に生まれた。だから、今は牙もないし爪も普通だろう?」
「なるほど、了解しました」
彼が『人』であるならば、心配はないだろう。
現世で彼と戦うことにならなくて良かった。
私はホッと胸をなでおろす。
「おまえ、まさか……現世でも鬼人退治をするつもりだったのか?」
「そんなつもりは全くありません! 今は平和な時代ですし、鬼人たちも約束を守ってくれていますからね。ただ、退魔の剣だけは気になっています。この国の宝物庫に収蔵されているそうですが…………本物ですか?」
「あれは本物だ。実物を見たことがある俺だから、わかる」
「そうですか……」
退魔の剣は、この平穏な時代には無用の長物だ。
このまま、二度と日の目を見ることがないことを願う。
「現在、剣の使い手はいない。継承者がいないからな。俺は何度か手に持ってみようとしたが、重くて持ち上がらなかった」
「あの剣は、正統な継承者以外は一人で持ち上げることも振ることもできませんからね」
「おまえなら、持てる……だろうな。今度、試してみるか?」
「結構です! 現世では、平凡な暮らしを望んでいますので。でも、せめてもの罪滅ぼしに、これからあなたへは誠心誠意お仕えします」
まだ半人前ではあるが、選ばれたからには官女としての務めはしっかりと全うするつもりだ。
「罪滅ぼしをする気があるのなら、おとなしく俺の妃になれ。生涯、大事にしてやる」
「それは、謹んでお断り申し上げます! 私は長生きしたいので!!」
ここは、全力で拒否しておく。
これから妃が何人も増えていくような人と一緒になって、嫉妬や権力闘争に巻き込まれて早死にするのは絶対に嫌だ。
私は、両親のように穏やかで幸せな普通の家庭を築いていきたいのだから。
「あなたは次期皇帝なのですから、その身分にふさわしい方々を後宮妃に選んでください。他国の王女とか皇女とか、国内の有力者の娘とか……周りにたくさんいらっしゃるのですから、選り取り見取り。選び放題ですよ?」
良かったですね!と微笑む私に、殿下は意味深な笑みを向ける。
「おまえは、この俺から逃れられると思っているのか? 三百年待って、ようやく再会できたのだぞ。前世でも言ったが、おまえには俺の子を産んでもらう。その資格があるのは、おまえだけだ。他の女は要らん! これは、覆らない決定事項だ!!」
「皇太子殿下の立場で、そんなことが許されるはずありません! それに、私は平民ですよ?」
「誰を
「あなたは、私を買い被り過ぎです! たった二回しか会ったことのない女の、何がわかるのですか!!」
「二度会えば十分だ。前世で俺はおまえに惚れた。現世でも気に入った。やっぱり欲しいと思った。それだけだ」
「…………」
私は、とんでもない男に目を付けられてしまった。
しかも、前世からの因縁があり、現世では権力を持っているだけに
このままでは、私の望む平穏な生活が、将来が、脅かされてしまう。
何としても、阻止したい。
「さあ、どうする? おまえに何か策があるのなら、聞いてやってもいいぞ」
「私と剣術で勝負しましょう! 私が勝ったら、あなたから解放してください」
「ハハハ、言っておくが俺は強いぞ? 幼きころから、真面目に鍛練を積んできたからな」
鬼人のときとは違い、腕力に頼らず腕を磨いてきたと殿下は豪語する。
「私だって、前世の経験があります! 勘を取り戻せば、勝算はあるかと」
「おまえがそれで納得するのなら、俺は構わないぞ。もともと、婚姻を無理強いするつもりはなかったからな」
自分の傍に置いて、時間をかけて私を口説くつもりだったと殿下は言う。
「おまえはなかなか強情そうだし、長期戦になるのは覚悟していた。その時間が少しでも短くなるのなら、俺にとっても好都合だ」
「では、勝負を受けるということで、よろしいですね?」
「ああ。勝負は受けるが、同時進行でおまえを口説いていく……だから、覚悟しておけよ?」
「!?」
強烈な視線を浴び、背筋がゾッと寒くなる。
あの目は、鬼人の頭領だったときと同じ、獲物を捉えて離さない狩人の目つきだ。
「そ、そちらは、どうかお手柔らかにお願いします……」
私は、こう返すだけで精一杯だった。
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