第3話 まさかの……


「こんなところに移動していたのだな。随分探したぞ」


「……えっ?」


 私を探していたと皇太子は言ったが、きっと人違いだ。

 だって、彼とは一度も面識がないのだから。

 それに、彼の視界に入るような場所へ行ったこともない。


「あ、あの……畏れながら、殿下は人違いをされています」


 私は、あなたの愛しの官女ではありません。

 顔をよくご確認ください!と、心の中だけでつぶやいておく。


「いいや、人違いなどではない。其方のその綺麗な琥珀色の瞳……どんなに姿かたちが変わろうとも、この私が見間違えるはずがない」


 『どんなに姿かたちが変わろうとも』って、どういう意味だろう。

 彼が何を言っているのか、さっぱり理解できない。……が、これだけはわかる。

 いまが非常にマズい事態であること。

 

 周囲から、恐ろしいほどの嫉妬と殺気を感じる。

 殺気に関しては、前世で鬼人たちに囲まれたとき以上かもしれない。

 私は、生きてこの部屋を出ることができるのだろうか。

 そんなことを思ってしまうくらいの圧だ。


「……ゴホン。耀明ヤオミン殿下、畏れながら次のご予定の時間が迫っております」


「すまない。思ったよりも、時間が長くかかってしまったようだ。では、行くか」


 傍に控えた従者の言葉に、皇太子がようやく動く。

 私を閉じ込めていた両腕がなくなり、ホッと息をつく。

 殿下が退室したら、素早くこの部屋を出て仕事に戻ろう。

 絶対に、誰かに絡まれるに決まっている。

 

 ここに長く残って良いことなど、何一つない!

 

 真剣に最短経路を思案していた私の体が、ふわりと宙に浮く。

 なぜか皇太子に抱きかかえられていた。

 

「えっ……なんで?」


 思わず、素で言葉が口をついて出た。

 

「なぜ、そのような驚いた顔をしているのだ? 其方は今日から私付きになるのだから、一緒に行くのは当然であろう?」


「でしたら、自分の足で歩きます! 下ろしてください!!」


 私を抱きかかえたのが、まさかそんな理由だったとは。

 ただの平民官女なのに、皇太子に抱きかかえられただけで、周囲へどんな誤解を招くかわからない。

 ジタバタと暴れた私を、「久方ひさかたぶりだったのにな……」と残念そうに言いながら下ろす彼。

 久方ぶりと言う意味もわからないが、ここはさらりと聞き流す。

 私たちのやり取りを、皆が呆気にとられながら眺めている。

 それらもすべて黙殺した。

 従者らしく一番後ろに控えた私を見て、皇太子は満足げに微笑んだ。

 

 突き刺さるような視線を全身に浴びながら、私は皇太子一行と部屋を出て行く。

 扉を閉めるときに、佩佩プイプイと目が合った。

 彼女の唇が素早く動く。口を読むと「がんばって」と言っている。

 それに笑顔で応え、私は部屋を後にしたのだった。



 ◇



 私が連れてこられたのは、耀明ヤオミン殿下の執務室ではなく離宮だった。

 公的ではなく、完全に私的な場所。

 貴人ともあろう方が出仕半月の得体のしれない平民官女を連れ込むなんて、危機管理は大丈夫なのだろうか。

 本気で心配になる。

 殿下は私の身柄を中年の侍女に預けると、執務室に戻っていった。

 

 そして……


 ひとり置いていかれた私は、途方に暮れていた。

 中年侍女の恵儀ワイイーさんから、とんでもない話を聞かされたからだ。



 ◇



「私は、ここに住むのですか!?」


「そうよ。ここは耀明殿下があなたのために用意された部屋だから、今日からこちらで生活をしてちょうだい」


「あの……なぜ家から通っては駄目なのでしょうか?」


「耀明殿下が、それを望まれているからよ」


「私は、これから具体的にどのような仕事をするのですか?」


「耀明殿下が望まれることをすべて、かしら……」


 説明を聞いているだけで、軽くめまいがする。

 殿下は一体何を考えているのか。

 

 私に用意された部屋は、離宮の最上階にあった。同じ階には、殿下の私室もあるらしい。

 それだけで、今朝の父の言葉が頭をよぎる。


『おそらく、皇太子殿下が宮廷内で官女の一人をのだろう』

『その方を正式に後宮妃として迎える前に、自分付きにして水面下でのだろう』


 いやいや、ないない!

 だって、殿下とはこれまで一度も会ったことも話したこともないよ!!!


 ……と、絶叫したい気分。

 

 恵儀さんによると、もうすぐ実家から私の荷物が届くとのこと。

 私の知らないうちに、どんどん話が進んでいる。私ひとりだけが取り残されている。

 殿下付きになった私を家族が心配しているだろうなと思ったら、胸が痛い。

 前世に肉親はいなかった私にとって、現世の家族はかけがえのない大切な存在だ。

 

 前世では、私は孤児だった。

 私に限らず、家族を亡くした子は多かった。

 そんな子たちを各国から集めて、師匠たちは退魔の剣の使い手を育てていた。

 もちろん、全員に適性があるわけではない。ない子のほうが多かった。 


 師匠に拾ってもらわなければ、私は道端で死んでいただろう。

 だから、前世での大切な家族と言えば、師匠と兄弟弟子たちだった。


『死ぬな! 俺たちは将来夫婦めおとになるんだぞ!!』


 今にも泣きだしそうな顔で叫ぶ、弟弟子だった彼の顔がふと脳裏に浮かぶ。

 私が二十歳で、彼は十七歳だった。

 継承者となった時点で、私は生涯独り身を貫くことを決意していた。

 いつ死んでもおかしくない退魔の剣の使い手が家族をつくるなんて、申し訳ない気がしていた。


「『将来夫婦になるんだぞ!』か……あれって、いま思えば求婚だったのかな?」


「……求婚とは、何の話だ?」


「昔、弟のように可愛がっていた子から言われ……って、ええええ!?」


 部屋に荷物が届くまで、恵儀さんが淹れてくれた美味しいお茶を飲みながら寛いでいたら、知らないうちに殿下が隣に座っていた。

 さっきまで一緒に居たはずの恵儀さんの姿は、どこにも見当たらない。


「お、おかえりなさいませ!」


 慌てて立ち上がり、揖礼ゆうれいする。

 貴人を前に座ることなど、あってはならない。

 しかし、殿下はすぐに「座れ」と言った。

 離れた場所に移動しようとした私の手を掴み、強引に同じ場所に座らされた。


「それで……その求婚を、其方は受け入れたのか? 事前の調査では、其方に許婚はいないはずだが……」


 明らかに不機嫌とわかる顔。イライラしたようにトントンと卓子を叩く人差し指。

 先ほど官女たちの前で見せていた、あの爽やかな笑顔はどこへ行ったのだろう。

 宝石のように輝いていた瞳も、今は暗く淀んでいる。

 大きな闇を抱えた黒い瞳に、なぜか見覚えがあった。

 

「これは、その……大昔(三百年前)の話です!」


「大昔ということは……チッ、前世での話か」


 軽く舌打ちをした殿下が、今度は頬杖をついた。

 私をとがめるような視線を送ってくる。

 口調が、顔つきが、態度が、まるで別人になった。


 まるっきり人格が変わってしまった殿下には、驚きを隠せない。

 

 でも……

 もっと気になることが。


「……今、『前世』とおっしゃいましたか?」


「ああ、たしかに言ったな。さらに言えば、前世のおまえは退魔の剣の使い手だっただろう?」


「!?」


「おまえは、女だてらに鬼人の頭領を討ち取った……己の命を道連れにして」


「…………」


 なぜ彼が、三百年前の出来事を具体的に知っているのだろうか。

 私が学んだ大陸の歴史では、退魔の剣の使い手と鬼人の首領が一対一で戦い、人側が勝利したこと。

 それにより、鬼人の襲来がなくなったことしか触れられていない。


 その時の剣の使い手が『女』であったことは、一切伝えられていない。

 どの歴史書にも、戦ったのは鬼人の『首領』と記載されている。でも、殿下は『頭領』と言った。

 たしかにあの男も、自分のことを頭領だと名乗っていた。


「あの時の俺は、こんな未練を残したままでは死んでも死にきれないと思った。大願を成就させるために、俺はどうしてもおまえにもう一度会いたかった」


「……あなたも、記憶を持ったまま生まれ変わったのですね」


 彼の正体も、目的も、すべてわかってしまった。

 まさか、こんなことが起こるなんて。今でもまだ半信半疑だ。

 でも、これは疑いようのない事実。


 前世の私は彼へあんなことをしたのだから、心底恨まれて当然だろう。

 私をわざわざ自分付きの官女にしたのは、復讐を果たすため。

 皇太子である彼ならば、平民の処分など容易たやすいことだ。

 抜擢された理由がわかり、妙に納得してしまった自分がいる。


「その表情……以前にも見たな。ということは、もう受け入れる覚悟ができているのか?」


「(復讐を受け入れる)覚悟はできておりますが、一つだけお願いがあります」


「なんだ?」


「私の家族には、一切手を出さないでください。彼らは関係ありませんので」


 前世での罪を、現世の家族にまで負わせたくない。


「安心しろ。俺は、おまえにしか興味はない」


「ありがとうございます」


 これで、私が皇太子から処罰されても、家族へ連座は適用されない。

 安堵したところで、私は心穏やかにその時を待つ。


 私が処罰される罪状は、間違いなく『不敬罪』だ。

 殿下の傍に護衛官がいないのは、呼ばれるまで外に待機しているから。

 彼らに、刑部まで連行されるのだろう。


「すぐに、護衛官が(私を連行しに)部屋にいらっしゃいますよね?」


「人払いをしているから、この部屋には誰も入ってこないぞ」


 人払い?

 ということは───殿下自らが直接手を下す?

 

 なるほど。

 それほど、私のことが許せないわけだ。


「あの……私は椅子に座ったままでいいのでしょうか? それとも、どちらかに移動しますか?」

 

 刺殺されるのか、毒殺されるのか、絞殺されるのかはわからないが、後処理のことを考えると自分で動けるうちに動いたほうがいい。


「おまえが本気で覚悟を決めると、こうも積極的になるのか……」


 戸惑いながら、殿下は私を抱き上げた。さっきは下ろせと騒いだが、今はおとなしく彼に身を委ねる。

 間近に見える彼の顔が緊張からなのか、やや紅潮している。

 今から敵討ちをするのだから、当然か。


 そのまま私は、奥の寝台に仰向けで寝かされた。ここが、私の死に場所となる。

 殿下が腰に差した剣を寝台の隅に置くと、私の上に馬乗りになった。

 一つに縛られた赤みがかった毛先が、肩からゆっくりと垂れた。


「その……なにか要望はあるか?」


「特にございません。どうぞ、ご存分に……」


 私は目を閉じる。見ていたら、きっと彼もりにくいだろう。

 まさか、前世よりも短い十五年で人生の幕を閉じることになるとは思ってもいなかった。

 それでも、私は十分幸せだった。

 もし来世があるのなら、今度こそ長生きしたい。


 首のほうへ手が伸びくる気配がする。

 同じように剣で刺し殺されるかと思ったが、どうやら違うらしい。

 ここは部屋の中だし、血が飛び散ったら後始末が大変だからかもしれない。


 殿下の手が、私の首筋を撫でるように動く。意外にも優しい手触りだ。

 そっと触れながら、どこを圧迫するのか考えているのだろう。

 私は、これから訪れるであろう苦痛に備えた。

 しかし、いつまで経っても首が圧迫されることはない。

 代わりに、柔らかいものが首筋に触れている。

 ちょっと、くすぐったい。

 

 しばらくすると、その柔らかいものが顔へ移動してくる。

 頬を通り、瞼、額へと移動している。

 殿下は、一体何をしているのだろう。

 絞殺は止めて、毒針を刺すことにしたのだろうか。

 より効果的な場所を、探しているのかもしれない。


 頭の中で納得したとき、両手で顔を覆われた。

 顔を塞がれての窒息死だ!と思ったら、唇を塞がれた。


 ───殿下が、私に何度も口づけをしていた



 

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