第2話 新たな人生の始まり
「
後ろから呼び掛けられ、私は書物を抱えたまま振り返る。
ハアハアと肩で息をしているのは
私の幼なじみであり、同じ宮殿へ出仕している親友だ。
「あのね、佩佩。宮廷内で大きな声を出しながら走って、
「あっ……」
佩佩が小さく舌を出しながら首をすくめた。
普段から口うるさい上官の顔が思い浮かんだのだろう。
昔から変わらない彼女の癖に、ついフフッと笑いがこみ上げる。
「それで、私に何か用事があったのでしょう?」
「そうだった! さっき官女たちへ臨時招集命令が出されたの。明日、皇太子殿下付きの官女を決めるんだって!! しかも、皇太子殿下が直接選ばれるのよ!!!」
「……うん? それがどうかしたの?」
佩佩がなぜこんなに興奮しているのか、まったくわからない。
首をかしげる私へ、彼女はさらに言葉を続けた。
「だって、選ばれたら憧れの殿下付きになるのよ! もしかしたら、これがきっかけで見初められるかもしれないのよ!!」
興奮し鼻息の荒い佩佩は、拳を握りしめながら力説している。
宮廷内の噂では、皇太子殿下は見目麗しく品行方正。身分を問わず下々の者にも心を砕いてくださる優しい方だそうだ。
しかし、私は本物を一度も見たことがない。噂が真実かどうかもわからない。
皇族は雲の上の方々だから、下っ端官女がおいそれとお目にかかれないのは当然のことだが。
「ハハハ……私たちが選ばれることは、万が一にもないわよ。官女と言っても、私たちのような平民出自の者ではなく、高官や豪族の関係者からよ。だって、皇太子殿下付きなのだから」
「そんな……」
私も佩佩も、都内では一応
でも
高位官吏や地方豪族の娘や関係者の中から選ばれるに決まっている。
これは、明確な身分が定められている
子どもの頃に読んだ書物には、身分の低い娘が皇帝や高官に見初められ幸せになる物語がたくさんあった。
しかし、あれはあくまでも創作上のお話。
現実を突きつけ佩佩の夢をばっさりと打ち砕くと、私はすぐに歩き出す。
今は仕事中である。しかも、かなり忙しい。
無駄口を叩いている暇はないのだ。
がっくりとうなだれる佩佩を急かしていると、鋭い視線を感じた。
周囲を見回すが、道を忙しなく行き交う武官や官吏・官女がいるだけで、それらしい人影は見当たらない。
「どうかしたの?」
「誰かに、じっと見られていたような気がしたけど……」
「もしかして……『若くて見目も良く』て、さらに『出世頭の高官』の目に留まったんじゃない? だって、美鳳は美人だし、昔から人気があったし、それに───」
「はいはい。さあ、早く行くわよ!」
佩佩の背中をポンと押す。
この幼なじみは、いつまで経っても、十五歳になっても、夢見がちな少女のままだ。
それを微笑ましく思いつつ、私は早足に歩いて行った。
◇
鬼人の頭領との戦いで命を落とした私は、それから三百年後の同じ大陸で再び生を受けた。
自分に前世の記憶が残っていると気づいたのは、学校で大陸の歴史を学び始めてから。
自身が幼いころに空想した話だと思っていたものが、実際に自分が経験したものだと知ったときの衝撃は大きかった。
私の死後の話を簡単に要約すると、鬼人たちは約束を守ったということ。
三百年間、鬼人の襲来は一度もなかったそうだ。
鬼人たちと戦った私としては、己の命をかけた甲斐があったというもの。
しかし、残念なこともあった。
それから百年くらいは鬼人の襲来に怯えていた各国が、大陸が平和になった途端に覇権争いを始めたことだ。
群雄割拠時代へ突入し、戦乱で再び多くの人命が失われた。
弱国が強国へ併呑され、大国となったもの同士が争う。
私からみれば、鬼人の襲来していたときよりも酷い時代だったと感じるほど。
ともかく、大陸全土を巻き込んだ争いは数十年間続き、終結したのが約百五十年前。
以来、個々での紛争は続いているが、大戦には至っていないとのこと。
私が今住んでいるこの
だから、皇家の宝物庫には退魔の剣が収蔵されているそうだ。
そもそも本物なのか。
元継承者としてはとても気になるところだが、再び剣を手に生きるつもりはまったくない。
私は現世では一平民として、生涯平凡な生活を送ることを望んでいる。
◇◇◇
私の実家は、異国の品々を扱う商会を営んでいる。
優しい両親に、可愛い弟。衣食住に困らない恵まれた家庭環境。
日々を穏やかに過ごすことができることに、心から感謝したいと思う。
後宮に使える女官や宦官たちとは違い、私たち官女は毎日実家から宮殿へ出仕している。
いつものように家族で朝餉を食べていたら、父が唐突に話を切り出した。
「商売仲間から聞いたぞ。今日、宮廷に仕える官女の中から、皇太子殿下付きを決めるそうだな?」
「さすが、父さんは情報が早いわね」
商売柄、父のもとには国内外の様々な情報が集まってくる。
「……もし
「フフッ、心配しなくても美鳳が選ばれることは絶対にない。なぜなら、もう選ばれる方は決まっているはずだからな」
不安げな表情を浮かべる弟の頭を優しく撫でている母を見やりながら、父は自信たっぷりの顔で言い切った。
「えっ、そうなの?」
「こういうものは、公平を期するために行われるものだ。しかし、今回の場合は形式的なものでしかない。おそらく、皇太子殿下が宮廷内で官女の一人を見初められたのだろう」
「ふ~ん。そういうもの、なんだ」
「ただ、殿下は十七とお若いし、まだ後宮もない」
「殿下が、そんなにお若い方とは知らなかったな……」
私が宮廷へ出仕するようになってから、まだ半月くらいしか経っていない。
宮廷内の細かいしきたりも、皇族の方々のことも、ただいま猛勉強中だ。
「その方を正式に後宮妃として迎える前に、自分付きにして水面下で婚姻準備を慎重に進めるのだろう。まあ、よくある話だな」
「不敬な言い方をすれば、『その官女が他人のものになる前に、自分の手元に置いておこう』というわけね……なるほど」
「こら、美鳳。普段から口は慎みなさい。本当に不敬罪で、処罰されてしまうぞ」
「わかっています」
父からのお説教をさらりと受け流し、私は宮殿へ向かった。
◇
外廷にある正殿の広間に集められたのは、上は十九歳から下は十五歳までの官女たちだ。
ざっと見たところ、百名くらいはいるだろうか。
その年齢に該当している私と佩佩も、一応この場に呼ばれていた。
『枯れ木も山の賑わい』と言うし、平民の私たちはただの賑やかし要員だと思っているので、部屋の後ろのほうでおとなしく結果だけを見届けるつもりだ。
官女たちの一番前。皇太子の目に留まりやすい最前列を陣取っているのは、実家の身分が高い官女たち。いわゆる、生粋のお嬢様方である。
綺麗に化粧を施し、髪型に一部の乱れもない。
尋常なく気合が入っている彼女たちに、夢見がちな佩佩も軽く引いていた。
しばらく待っていると、今から皇太子殿下がいらっしゃるとの先触れが。
周囲が一斉に自分史上とびきりの笑顔を浮かべる様を、私はぽかんと口を開けて眺めていた。
部屋の扉が開くと、皆が一斉に頭を下げる。
私も慌てて周囲に
従者と護衛官を引きつれ颯爽と現れたのは、豪華な衣装に身を包んだ一人の貴人。この国の皇太子である
やや赤毛の長い髪を後ろに束ねた背の高い人物で、噂通りの見目麗しい男性だった。
彼は、用意されていた台の上から私たちを見下ろす。
「頭を上げてくれ。今日は私の我儘に付き合ってくれて、大変感謝している」
周囲が頭を上げたので、私も顔を向ける。
黒
目の動きと真剣な表情。
彼は明らかに誰かを探しているようだ。
周囲からは、息を呑む音や「素敵ね……」と感嘆のため息が時折聞こえてくる。
(!?)
昨日と同じように、また鋭い視線を感じた。
顔を向けると、皇太子と一瞬目が合ったような気がするが、きっと気のせいだろう。
部屋の後ろに隠れるように立つ私のところまでは、さすがに彼の視線は届かないはず。
きちんと背筋を伸ばして立っていたが、少し気を抜き姿勢を崩した。
この大勢の中から、果たしてお目当ての官女は見つけられたのだろうか。
私が余計な心配をしていると、皇太子が台から下りた。
同行しようとする護衛官を、手を振るだけでその場に押し留める。
一人で、官女たちの中に入ってきた。
一番前にいたお嬢様方は、皇太子に目の前を素通りされたようだ。誰一人、見向きもされなかったらしい。
彼女たちの中から選ばれると思っていた私は、ちょっと意外だった。
皆が彼の行き先に注目している間に私は素早く最後列へ下がり、さらに隅へ移動する。
ここは、部屋の四つ角の一つ。
前以外誰もいないから、ここならボーっと突っ立っていても邪魔にはならないだろう。
ちょっと疲れたので、壁に背中を預ける。
目を閉じると、身じろぎもせず周囲の動向を探り始めた。
前世の記憶があると認識してから、私の体の中ではある変化が生じた。
これまで剣術や体術など一度も習ったことがないのに、体が俊敏に動くようになったのだ。
おそらく前世の経験に反応してのことだと思うが、身体能力が格段に上がった。
今も、目を閉じているのに周囲の動きが気配だけで察知できる。
『昔とった杵柄』とはよく言ったものだ。
せっかく前世で身につけたのだから、これからも鍛練だけは続けていこうと思っている。
自身と家族の身を守るためにも。
皇太子はどんどん奥へと入ってくるが、一向に足が止まる気配がない。
目的地が定まっているのだろう。行動に迷いがない。
愛しの女性を無事見つけられて良かったね…と思っていたら、彼は急に立ち止まった。
うろうろと動き回りあちこちを探している。
どうやら、途中でお目当ての官女を見失ったらしい。
皆が同じ官服を着て、髪色も大体同じだから、仕方のないことかもしれない。
これはまだまだ時間が掛かるなと思ったら、急に眠気が襲ってきた。
昨夜、
前世では常に緊張を強いられていた生活だったが、現世では何も考えなくていい。
自分のやりたいことが好きなだけできる。
平和な時代というのは、本当に素晴らしい。
フフフと微笑んだ後、ふと皇太子の気配が消えていることに気づく。
あれ?と思いながら目を開けると、私の目の前にいつの間にか人が立っていた。
視界にはその人物の
彼に、欠伸をしていた姿を見られていたかもしれない。
『○○罪』の文字が頭をよぎり、サーッと血の気が引く。
急いで横に逃げようとした私の体は、背面の壁に素早く伸ばされた両腕によって動きが封じられたのだった。
「見つけた」
おそるおそる顔を上げると、皇太子が満面の笑顔で私を見下ろしていた。
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