前世の宿敵と、現世で再会した私。宮廷でなぜか溺愛されています。

gari

第1話 序~戦いの終着点


 女の目の前に立つのは、精悍な顔つきをした一人の若い男。

 すらりと背が高く細身の体躯の彼は、人目をひく美丈夫だ。

 しかし、燃えたぎる炎のように赤い髪。闇夜を彷彿とさせる漆黒の瞳。

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべる口元からは、鋭い牙がのぞく。

 両手の爪は、すべて長く尖っていた。

 

 男は、紛れもなく『人ならざる者』だった。


「じゃあ、事前の取り決め通り、おまえが俺に勝ったら今後一切『人』への手出しはしない。だが、俺が勝ったら……」


 続きを促すように視線を送りつける男へ、女は無言のまま頭巾を被っている頭で大きくうなずく。

 正体を知られないよう、女は顔を隠していた。

 剣を握る手に、思わず力が入る。


「約束は、たがえるなよ」


 そう言うと、男は後ろを振り返る。

 背後に控える配下たちへ「てめえらも、いいな?」と念押しをすると、男は再び女へ向き直る。

 そして、戦いの火蓋ひぶたは切られた。



 女は先手必勝とばかりに勢いをつけて男へ剣を突き出すが、ひょいと軽くかわされる。

 それでも、上下左右、攻撃箇所を次々と変えながら何度も繰り返す。

 力では押し負ける女が男へ対抗できる手段は、持ち前の素早さと手に持つこの剣のみ。

 薄っすらと青白く光る魔剣。

 これこそが、人の切り札である『退魔の剣』だ。



 ◇



『人』は、一千年もの長きにわたり『人ならざる者』たちと戦ってきた。

 その中でも『鬼人』は、数十年に一度、大海を超え人の住む大陸へ襲来する。

 鬼人たちの目的はただ一つ。

 人と他種族たちへ、鬼人の頭領が己の配下の力を誇示するためだった。

 

 頭領が代替わりするたびに繰り返される理不尽な暴力の嵐。

 体格・腕力では到底敵わない『人』が、唯一鬼人たちにまさっていたもの。

 それは『知力』だった。

 先祖たちが長年培ってきた知識をもとに作られたのは、退魔の剣と呼ばれる一振りの武器。

 剣から認められなければ、一人で手に持つことも力を振るうこともできない魔剣の正統な継承者である女は、主に鬼人を倒すための剣技を幼いころから学んでいた。

 

 任期中に鬼人の頭領が代替わりしなければ、女の出番は一生ないと言ってもよいだろう。

 過去の継承者でも、戦うことなくその役目を終えた者は数多くいる。

 鬼人たちとは違い数十年しか生きられない『人』は、襲来の間隔が百年空けばその間に継承者が数代入れ替わる。

 前回、鬼人が襲来してきたのは、約三十年前。女が生まれる十年前のことだった。

 そのときは、人側に多数の死傷者が出た。

 ただ、人が敗北したことで頭領の地盤が揺るぎないものとなり、代替わりは当分先のことになると考えられていた。


 ───しかし


「鬼人だ! 奴らがやって来たぞ!!」


 最低でもあと二十年は襲来はない。

 そう思い込んでいた『人』の前に現れたのは、この男だった。

 前頭領に勝負を挑み、下剋上を成し遂げた若き頭領。


 頭領自らが人の国へ乗り込んでくることなど、前代未聞の出来事。

 この大陸は彼らに蹂躙しつくされ、今度こそ本当に人の世が終わる。誰もがそう思った。

 ところが、男は退魔の剣の使い手である女へ勝負を持ちかけてきた。

 自身の配下たちと一対一で勝負をしろ、と。


 勝負を受けるのであれば、他の者へ手出しはしない。

 男の言葉を信じ、女は前に出る。

 序列の下位から順番に挑んできた彼らを、余裕を持って次々と撃破した。

 自分の配下が倒されたにもかかわらず、男は楽しそうに笑っている。

 飲み込まれそうなほどの暗い闇を抱えた瞳を女へ向け、こう言った。


「おまえは、『人』にしてはなかなか見所がある。どうだ、俺の配下にならないか?」



 継承者が鬼人の頭領の配下に加わるなど、全くもって有り得ない。

 しかし、鬼人と不可侵条約を結ぶことができれば、この苦難に満ちた歴史にようやく終止符が打てる。

 もし女が頭領を打ち破り同じように下剋上を果たせば、『力』至上主義の鬼人たちを従えさせることができるかもしれない。

 絶対に、負けるわけにはいかなかった───たとえ、どんな手段を使ってでも

 


 ◇



 女の黒装束を切り裂こうとする鋭い爪を、剣で牽制する。

 退魔の剣で傷つけられれば、頑丈な鬼人であっても相当な痛手を負う。

 それがわかっているはずなのに、何を思ったか男は素手で剣先を掴む。

 魔剣に触れた指がただれていくが、構わず剣ごと女を自分のほうへ強引に引き寄せた。

 不意をつかれ、女の対応が遅れる。

 気づいたときには、もう片方の手で首を締めあげられていた。

 女の顔が苦悶で歪む。

 耐えきれず、手に持っていた退魔の剣が地へ落下する。

 剣先は、男の血で真っ赤に染まっていた。


「勝負あったな。では、まずはおまえの顔を拝ませてもらうとするか」


 無造作に頭巾を剝ぎ取られ、女の顔があらわになる。

 艶のある黒髪に、琥珀を思わせる美しい瞳。

 可憐な少女のようにも、成熟した色気をまとう大人の女性にも見える女に、男の口角が自然と上がる。


「やはり、女だったか。まあ、俺は最初から匂いでわかっていたがな」


 首を絞めていた手を緩め、女を優しく抱きしめた。


「力のある者は好ましい。それが、たとえ人であっても……だから、おまえがどうしても欲しかった」


 男は女のあごに手をかけると、顔を寄せる。

 女は顔を背けず静かに口づけを受け入れた。

 

「おまえはこれから俺の配下になるが、俺の子を産んでもらう。おまえに拒否権はない」


「……わかりました。では、私はあなたと共にいきましょう」


「へえ、もっと抵抗されるかと思ったが、意外に従順だな」


「その代わり、約束は守っていただけるのですよね?」


「ああ、もちろん」


 勝負を受けたのだから、今回は女以外の者には手を出さない。

 男から言質をとった女は、花が綻ぶように笑う。

 自分に見惚れている男のほうへ両手を伸ばし、今度は女から顔を寄せた。

 舌が絡み合う深くて長い口づけに、男は我を忘れる。

 口づけの次を求め、女の首筋に舌を這わせ始めた。

 されるがままの女は小さくため息をもらすと、男の耳元で囁いた。

 

「……そろそろ、この場から失礼しましょう」


「……他人へ見せつけるものでもないし、仕方ないな。で、どこへ行くんだ?」


「私たちに相応しい……場所ですよ」


 覚悟を決めた女の表情は、ハッと息をのむほどに綺麗だった。

 しかし、琥珀色の瞳の奥は何も感情を表していない。

 いつかこの瞳の奥に、自分だけに向けられる恋情を映し出したい。

 新たな野望を胸に、男は女のまぶたに口づけを落とした。


 女を抱きかかえたまま歩き出す男の首に、女は両腕をまわす。

 それは、男の視界が女の顔で遮られたときだった。


「では、共に逝きましょう……『継承者の名のもとに、退魔の剣に命じる───我の背を突け』」


 青白い輝きを増した剣が、主の命に従い動く。

 躊躇することなく、女と男の体を同時に突き刺した。

 

 瞬きをするような、あっという間の出来事。

 自分の身に何が起きたのか、男の理解が追いつかない。

 全身が震え、動くこともままならない。喉の奥から血が溢れ出す。

 驚愕の表情で仰向けに倒れ込んだ男の顔を、同じ剣で体を突かれた女が見下ろしていた。

 

「私が先に死んだら、あなたの勝ちです。でも、あなたが先に死んだら……私の勝ちです」


 女は冷静に淡々と告げる。

 やはり、その瞳には何の感情も見えない。男は、それをただただ残念に思う。

 視界が徐々に暗転していく。

 男はゆっくりと目を閉じた。

 

 勝敗が決まり周囲が慌ただしく動き始めるなか、駆け寄ってきた弟弟子へ女は指示を出す。

 そして、男の上に覆い被さるようにゆっくりと倒れた。


 ───使命を果たし永遠の眠りについた女の顔は、穏やかに微笑んでいるように見えた



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