第29話 叔父と甥

 王弟ヨアヒムが頻繁に宰相の屋敷を訪れている事は、ルイトポルトとアントンも聞き知っていたが、カロリーネとガブリエレ目当てと分かっていたので、放置していた。ヨアヒムとカロリーネの関係は公然の秘密でルイトポルト達も知っている。知らなかったのはガブリエレとパトリツィアだけだったが、パトリツィアは2人の関係に気付いてしまった。


 最近、ヨアヒムと宰相ベネディクトが近づいているとヨアヒムの屋敷に送り込んであるヨルクからアントンに報告があり、アントンはルイトポルトに忠告した。


「叔父上が宰相に近づいている? あの権力にはおよそ興味のない叔父上が?!」

「ええ。ご自身は今でも本当は権力が欲しい訳ではないでしょうよ」

「では宰相と宰相夫人の意思か……」


 ルイトポルトは、幼い頃のヨアヒムとの朧気な思い出を脳裏に浮かべていた。パトリツィアが生まれる2年前、ルイトポルトが5歳だった年までは祖父の先代国王が在位しており、ヨアヒムもまだ王宮敷地内の『離宮』に住んでいた。ルイトポルトの祖母で当時の王妃は、夫の愛妾の産んだヨアヒムを目の敵にしており、ヨアヒムが息子のアルフレッドと孫のルイトポルトと接触するのを嫌がっていた。アルフレッドは歳の離れた異母弟ヨアヒムと関わらずに無視していたが、ルイトポルトは全く自分を顧みない両親や過干渉の祖母よりも、年が近くて優しい叔父が好きだった――もちろん、大好きな祖父の次ではあったが――祖父は、ルイトポルトに世継ぎの王子として時に厳しく接することはあっても自分を心から愛してくれた。


 ルイトポルトは祖父存命の頃、まだやんちゃ坊主でよく乳母や護衛の目を盗んで王宮敷地内を探検していた。ある日、ルイトポルトはお付きの者達の隙を突き、行ってはいけないと言われていた方向へ行くのにとうとう成功した。禁じられていた場所にこっそり行く事ができた高揚感は、怪しげなうらびれた建物が現れると、なお一層高まり、中に入らない選択肢はなかった。


 ルイトポルトが建物に近づくと、子犬が出て来てキャンキャン鳴いて威嚇してきた。ルイトポルトは、腰が引けながらも落ちていた枝を拾い、子犬を叩こうとした。すると子犬は吠えるのを止めて逃げ始め、ルイトポルトと子犬の力関係は一変した。子犬は後ろ脚を悪くしていて引きずっており、幼児のルイトポルトでも追いつきそうになったその時、割と身なりの良い少年が話しかけてきた。


「犬さんがかわいそうだよ。もう追いかけないであげて」

「どうして? 遊んであげてるのに」

「そっか。でも犬さんは脚が悪いんだ。それに疲れたと思うんだよね」


 その少年は子犬をひょいと抱き上げ、犬も反抗する様子を見せなかった。ルイトポルトはそれが羨ましくてたまらなかった。


「僕にも抱っこさせて!」

「この子、君には重過ぎて抱っこは無理だよ」

「えー、そんなことないよ!」

「君はまだ小さいから無理」

「えー、そんなぁ。でも遊ぶのはいいでしょう?」

「今日は駄目。この子は疲れてるし、ちょっと臆病なんだ。でも僕と2人で遊べば慣れてくれると思うんだよね。明日、また中庭においでよ」

「えっ、明日遊べるの?」

「うん、でもルイのおばあ様とお父様、お母様には内緒だよ。怒られちゃうから」

「うん、わかった! でもどうして僕の名前知ってるの?」

「僕はルイのお父様の弟なんだ」

「えー?! お父様の弟?! 子供なのに?」

「子供じゃないよ! もう12歳だよ」

「12歳? 子供だよ!」


 出会いの日の翌日からこっそり離宮に行くのがルイトポルトのルーチンになった。ヨアヒムは離宮でこっそりその子犬を飼っており、ルイトポルトは子犬と遊ぶのを楽しみにしていた。だがその幸せな毎日も祖父の崩御で1年後にぷっつりと断ち切られてしまった。それとほぼ同時期にルイトポルトが離宮に行くのも祖母にばれてしまって監視が強化されてしまい、ヨアヒムが離宮を出て行く前に別れを告げることもできなかった。子犬をヨアヒムが連れて出ていったのか、それとも離宮を維持管理する使用人達が面倒を見てくれたのか、ルイトポルトには分からなかったが、二度とその犬を見かけることはなかった。


 ルイトポルトは、ヨアヒムとの思い出を振り返って切なくなった。だがそんな感傷はヨアヒムが宰相に加担した以上、もう不必要なものだとルイトポルトは無理矢理断ち切った。

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