第12話 宰相の再婚

 エリザベートの喪が没後1年で明けてすぐにベネディクトは、没落男爵家の令嬢だったカロリーネという女性と再婚した。カロリーネはパトリツィアの2歳下になる娘ガブリエレをツェーリンゲン公爵家に連れてきており、再婚後すぐに公爵家の使用人達の中で2人に関する噂が流れた。カロリーネはどうやらエリザベートの生前からベネディクトの愛人で、ガブリエレは連れ子ではなくパトリツィアの異母妹らしい。それを聞いたパトリツィアはショックを受けたが、公爵令嬢らしくその感情を表に出すことなく冷静に振舞った。


 最初は大人しくしていたカロリーネとガブリエレだったが、ベネディクトが帰宅することがめったにないことをいいことにパトリツィアとラファエル姉弟をいじめ始めた。使用人はいくらそれを見つけても、公爵夫人であるカロリーネとその娘ガブリエレに抵抗したり、反論したりできるはずがなかった。それどころか少しでも姉弟に同情的な姿勢を見せた使用人は次から次へと紹介状なしに解雇され、残った使用人達も心の中では姉弟に同情していても解雇に怯えて2人に味方できなかった。カロリーネはベネディクトが帰宅した時だけ猫を被って良き継母のように振るまっていた。


 ベネディクトは屋敷の内々のことは元々執事に任せていて、再婚後はカロリーネが主導権を握って使用人を大幅に入れ替えても何も言わなかった。腹心である側近達は元々、執事の管理下にはなく、ベネディクトが直接彼らの指揮権を握っていたからだ。


 ガブリエレはパトリツィアにいつも『お義姉様ばかりずるい』と言って彼女の物を取り上げ、二度と返さなかった。カロリーネはそんな実娘を咎めないばかりか、『どうせ沢山いい物を持ってるのだからいいでしょう?』と積極的にパトリツィアの物をガブリエレと一緒になって奪った。


 2人はパトリツィアの実母エリザベートの形見も容赦なく取り上げた。パトリツィアは形見がとうとう青いサファイアのネックレスだけになった時、クローゼットの奥深く、ブリキの箱の中のがらくたの下に隠したが、それもとうとう見つかってしまった。


「ねえ、お義姉様、こんないい物をまだ隠していたのね。ずるいわ! 私に頂戴!」


 そう言ってガブリエレは形のいい唇を尖らせた。意地悪な物言いや邪悪そうな微笑みがなければ、かわいい令嬢がちょっと拗ねているだけと誰もが勘違いしてしまうだろう。彼女のふわふわな明るい茶色の髪や、白絹のような肌にほんのり紅色に染まった頬、新緑のような色の瞳を持つくっきり二重の目は、そう思わせるのに十分だった。


「ガブリエレ、それだけは駄目よ……お願い。お母様の形見はもうこれしか残っていないの」

「あら、お義姉様。お母様はまだ生きてるじゃない。縁起悪いこと言わないで。お母様に聞いたら、それは私にくれると言っていたわ。元々お母様の物なんだから、お母様が誰にあげても文句は言えないでしょ?」

「そ、そんな……」


 そうして最後の母の形見のネックレスも取り上げられてしまった。パトリツィアは、もしかしたら父が形見を取り返してくれるかもしれないと一縷の望みを持ってベネディクトに訴えた。


「なんだ、パトリツィア、そんなことか。あの程度のサファイアのネックレスなら買ってやるから我慢しなさい。国宝級のものじゃないんだから、妹にやっても惜しくないだろう?」

「でも、お母様の形見はもうあれしか残っていなかったのです。他の物は皆、カロリーネ様とガブリエレに取られてしまいました」

「彼女達はここに来るまで苦しい生活をしていたんだ。そのぐらい我慢しなさい。それにカロリーネをいい加減、母親と認めたらどうなんだ?」


 ベネディクトに全く取り合ってもらえず、それどころか意地悪な継母を母と呼べと言われ、意気消沈してパトリツィアは父の前を辞した。


 自分は我慢すればいい。そう思っていたパトリツィアだが、自分では何も抵抗のできない幼い弟ラファエルに対するいじめだけは看過できなかった。それどころか命の危険すらあった。


 ツェーリンゲン公爵家の跡取り息子ラファエルがいなければ、パトリツィアが王太子妃となった後、ガブリエレに婿をとらせて公爵家を継がせることができる。3歳以下の幼い子供の死亡率は高いから、事故か病気に見せかけて殺せば不自然に思われない。カロリーネは乳母を自分の息がかかった女性に変えた。ベネディクトは跡取り息子には執心していたが、養育は妻と使用人任せでめったに帰らない屋敷で起こっていることに関心を持たなかった。母方の祖父母は既に亡く、実家は母の従兄に当主が代替わりしており、パトリツィアも没交渉でとてもではないが頼れなかった。


 乳母が変わって警戒したパトリツィアは弟と一緒に寝るようになった。新しい乳母が来た最初の夜、心配になってラファエルを見に来たら、彼の顔の上にクッションが乗せられていたのだ。一晩中側にいるはずの乳母はそこにいなかった。パトリツィアはすぐさま自分の部屋にラファエルを連れていき、自分の専属侍女ナディーンの伝手で母乳の出る下女をこっそり手配した。だが、その後やがて秘密の乳母代わりの下女の事がカロリーネにばれて解雇されてしまった。カロリーネは、1歳を超えているラファエルに母乳は必要ないとして、手配した乳母は母乳が出ない女性だったので、ラファエルは突然強制的に乳離れすることになった。


 パトリツィアは、カロリーネや家庭教師にいくら苦言を言われても授業の時も連れて行った。自分へのいじめはじっと我慢しても、弟のためなら継母に反抗するのも怖くない程に強くなれた。そうして育っていくパトリツィアとラファエルの姉弟の絆が普通の姉弟よりも強く結ばれていくのは当然のことだった。

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