21:スターマインに死の華は咲く

 住多川すみだがわの河川敷を、花火職人たちがせわしなく行き交っている。いまだ蒸し暑い空気の中、俺と克哉かつやは少し離れた場所で、連続発射打ちスターマイン用装置の最終点検を行っていた。

 制御機器シーケンサー異常なし。打ち上げ筒ブロック1異常なし。ブロック2異常なし……几帳面な言葉のひとつひとつに、触れれば切れそうな真剣さが宿っている。だろうな、俺も克哉も、この日のために生きてきたのだ。あの日から、ずっと。

 やがてすべての点検を終えると、克哉は、汗を含んだ満面の笑みを俺に向けてくれた。


「あとは、玉を入れて火をつけるだけだ……篤志あつし、やっと、ここまで来た」

「ああ。長かったな、克哉」


 握手を求め右手を差し出すと、克哉は静かに首を振った。


「まだ何も終わっちゃいない……最後の時まで、それはとっておいてくれ」


 克哉は屈託なく笑う。反論しかけて、やめた。

 目の前の約700本の打ち上げ筒。すべて速火線で連結され、シーケンサーで指令を送れば同時に点火される。そして中身は天高く打ちあがり、夜空に大輪の花を咲かせるはずだ……中身が花火玉でさえあれば。

 目の前に積まれた玉が本当はなんであるか、知っているのは俺と克哉だけ。

 こいつらは全部、爆弾だ。すべてが炸裂すれば、河川敷一帯を火の海に変えるに足るほどの。


「十八年かけて、ようやくここまで来た。最後の最後で失敗なんて、笑い話にもならないからね」


 克哉は、ひとつだけでも人間数人を粉砕するに足る爆薬の玉を、感慨深げにやさしく撫でた。そうして、丁寧にひとつひとつ、打ち上げ筒へと収めていった。



 克哉は著名な花火職人の息子だった。克哉の父は、住多川花火大会で長年重要な役割を務め、夏の夜空を炎の華で飾り、市民を楽しませてきた。

 だが、あの日――十八年前、花火大会を半月後に控えた日のことだった。

 克哉の家が、燃えた。

 住居兼作業場だった木造の家には、またたく間に火が回り、すぐに花火が山と積まれた倉庫へと達したという。激しい爆発音が近所中に響き渡り、俺たちの小学校にも聞こえたくらいだった。

 そして。

 賑やかだった三世代同居の家族は、皆、花火に焼き尽くされた。学校にいた克哉だけを残して。


 一家の葬儀が終わってしばらく後、住多川花火大会は予定通り行われた。

 花火の上がる音が、俺たちの家にも聞こえてきた。心密かに克哉を心配していると、不意に、玄関のチャイムが鳴った。出てみると克哉が立っていた。手に、ぐしゃぐしゃの紙を握っていた。花火大会のチラシだった。


「酷いよね」


 予定プログラムに、不自然な空欄がいくつもあった。修正テープか白い紙かで露骨に隠されたそこに、本来何が入っていたのか、容易に想像はついた。


「みんなが、父さんのこと……消してしまった。まるで、最初からいなかったみたいに。ずっと、昔からずっと、花火大会のために……みんなのために、あんなに一生懸命働いてたのに」


 どーん、どーんと、遠くから花火の音が響く。


「篤志。僕は憎いよ」


 克哉は、うつむいていた。抑えた声に、こらえがたい震えが混じっていた。


「父さんを、母さんを、おじいちゃんおばあちゃんを……こんなふうに、消してしまった連中が」


 プログラムの空欄を、克哉は潤みを含む目で睨んだ。


「なにもかも、なかったことにして……笑って花火を見てる連中が、憎いよ」


 不意に、克哉は笑いだした。どこか狂気に満ちた、笑いだった。


「殺してやる。みんな、かならず、殺してやる」


 俺は黙って、克哉の手を取った。それより他に、してやれることが思いつかなかった。


 以来。

 花火職人を目指す克哉を、周囲は親孝行な子と褒めそやした。克哉は毎年、勉強のためと言い、花火大会を遠くから眺めていた。その目に宿る狂気に気付いているのは、俺以外にいないようだった。



 十八年後、住多川花火大会。

 夜は更け、プログラムは進行する。中盤の山場、克哉のスターマインが近づいてくる。

 克哉は、ゆっくりとシーケンサーの前に腰を下ろした。汗ばんだ喉仏が、数度動くのが見て取れた。

 と、不意に、克哉は俺の方を振り向いた。思わず、どきりとする。


「篤志。いままで、ありがとうな」


 差し出された右手を、握る。互いに、じっとりと汗ばんでいる。

 数度強く振り、名残惜しく、離れる。

 克哉はふたたび打ち上げ筒の方を向く。俺はゆっくりと背後に回り――懐から拳銃を取り出した。この日のために、密かに手に入れていたものだ。

 震える手で、銃口を克哉の背へ向ける。

 知っているさ。おまえの恨みを。あの空欄を見た瞬間の絶望を。

 でもな。

 おまえの手が血に染まるところを、俺は見たくない。黒焦げ死体で埋めつくされた河川敷も、できれば見たくない。

 だから、許してくれ。おまえの罪を、俺が全部被ることを。

 おまえの時を、甘美な復讐の絶頂で止めてしまうことを。

 目の前で死体になったおまえは、できれば、見たくないけれども。

 二度三度唾を飲んでも、喉はカラカラのままだ。俺は、静かに、銃の引き金を引いた。


【了】

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