17:見えてるか、花火

 いつも、答案用紙の名前のとこを空欄のままで出すやつだった。

 最初のうちは注意していた担任も結局諦めて、名前のない答案用紙はイコールあいつのものってことになるくらいで。

 あいつは、自分の名前が嫌いだった。だから俺たちはずっと、あいつのことをナナシと呼んでいた。


 ナナシが自分の名前を拒否する理由を、俺たちは知っていたはずだった。だけど、根っこのところでは理解できてなかったんだ。だから、なった。こんなことに、なってしまった。


 俺たちの目の前には、ナナシの死体が転がっていた。


◾︎


「花火やろーぜ」


 ナナシと俺がだべってるところに、アキラがやってきていきなりそんなことを言った。椅子をナナメにして、二本の脚をキィキィ言わせたナナシは、苦笑いをこぼす。


「どしたの? 急に」

「母ちゃんがさ、売れ残りが安かったって買って帰ってきたんだよ」

「湿気ってんじゃねーの?」

「や、たぶん大丈夫だけど……火、つかなくても怒んないで」

「そんなんで怒んねーよ!」


 自信なさげな返事に、俺はケラケラ笑った。アキラの家の庭でやれるって会話が続いたけど、ナナシは困ったように視線をさまよわせていた。


「おれ、無理かも」

「えー? マジで?」

「夏休み入ったら遊べなくなるんだろ?」


 俺たちは食い下がった。夏休みに入ったらナナシは父親と東京に行って、新学期が始まるまで帰ってこないと聞いていたから。

 休み時間の間中ずっと困ったような顔をして悩んでいたナナシは、放課後になってようやく「父さんに聞いてみる」と言った。

 俺たちはもう、その時点でナナシと三人で花火をすることが決まったと思って、大喜びで。ナナシがその答えを出すのに散々悩んだ理由とか、父さんに聞いてみるって言った顔が真剣だった理由とか、そういうのを何にも分かっていなくて、本当に、バカだったんだ。


◾︎


 目の前に転がるナナシの顔は、いつも着ているTシャツを着ていなかったら誰だか分かんないくらいにボコボコにされていて、歯は折れまくっていて、たぶん鼻も折れていて、左目は潰れていて、右目が見えないくらいにまぶたが腫れ上がっていた。

 めくれたTシャツの下にはアザだらけのお腹があって、脚も手も、めちゃくちゃな向きになっている。俺もアキラも、立ちすくむことしかできなかった。


 約束の時間になってもナナシが来ないから、二人でナナシの家に迎えに来て、だけど呼び鈴を鳴らしても誰も出てこない。

 家の電気はついていたから、どっかにいるんだろうと庭の方に回った俺たちは、少し開いた物置から飛び出す足に気が付いた。

 慌てて物置の扉を開けると、そこにはナナシの死体が転がっていて、ナナシがとんでもないことになっていて、俺たちはナナシが自分の名前を書きたがらないこととか、花火に行けないかもって言ったこととか、父ちゃんに聞いてみるだけなのに真剣だったこととか、色んなことが一気に、腑に落ちた。


「アキラ、駐在さん呼んできてくれ」

「は? お前は?」

「ナナシの父ちゃん戻ってきたら隠されるかもしんねーじゃん」

「……っ、分かった」


 アキラが走っていってから少しして、ナナシの父ちゃんが姿を現した。俺の予想は当たっていたみたいで、ナナシの父ちゃんの手にはずた袋が握られていた。物置にはろくなもんが入っていなかったから、慌てて買いに行ったか、どっかからぱくってきたんだろう。

 物置の前に立つ俺を見た瞬間、ヤバいって顔をして、それからすぐにギロリと睨んできた。俺みたいな子ども一人くらい、どうにかなると思っている顔だった。


「お前だろ、トオルをたぶらかすのは。あの女もなぁ、男に誘われるとホイホイついていくんだよ。だからトオル置いて出てっちまってよぉ。トオルはアイツに似てっからよぉ、俺を置いて行っちまうんだよ、許せるか? 許せねぇだろォォォォ?!」


 ナナシの父ちゃんは、もう完全にぶっ壊れていた。ぶっ壊れていたから、飛びかかってきたのもギリギリで避けられた。でも、一回は避けられたけど、次は無理だった。

 ぶん殴られて、馬乗りになられて、あぁ、こうやってナナシも殺されたんだなって思った。痛い。痛かったよな。怖かったよな。ごめんな、ナナシ。


「マサヤーッ!」


 血と涙でぐちゃぐちゃになった視界の向こう、アキラと駐在さんと、大人がいっぱい見えた。そっか、間に合ったんだ、俺は助かったんだ。

 助かった……。

 ごめんな、ナナシ。でも、お前の死体を隠させはしないから。ちゃんと、お前の父ちゃんに罪をつぐなわせてやるから。ボコボコにされた顔もなるべく綺麗にして、手も足も真っ直ぐにして、俺たちみんなで、しっかり送ってやるからな。


 ナナシの葬式は、町長が主体になってやってくれた。先生もクラスメイトも、みんなで一緒にナナシの納骨までして、最後に花火を上げた。


 売れ残りじゃないたくさんの花火をそれぞれ手に持って、先生は打ち上げ花火の前にしゃがんで。


「ナナシ、またな」


 七色の光が、夜を、照らした。

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