15:夏の夜空とモラトリアム
残業を終えてアパートに帰ってくると、玄関には女子高生の死体が転がっていた。
「おう、また家出か?」
「ヴゥゥゥゥゥゥゥゥ」
「ゾンビか? ハロウィンは三ヶ月先だぞ」
顔を覗き込めば、死体は妹だった。
うん、知ってた。
俺は妹を跨いで通り過ぎ、コンビニで買ってきたあれこれを冷蔵庫にしまう。ひとまずこれは明日の朝食に回すとして、何か簡単にでも料理を作ってやらなきゃいけないだろう。たぶんまた、腹ペコのまま家出してきたんだろうし。
「めーしーくーわーせーろー」
「そうめんでいいか?」
「よーいー」
やたら聞き分けの良いゾンビの声を背中に聞きながら、俺は鍋に水を入れて火にかける。
妹は近頃、実家から逃亡して俺の部屋に来ることが多い。最初のうちは俺が帰宅するまで玄関先で座り込んでいたのだが、さすがに危ないということで合鍵を渡したのだ。そうしたら、だいたい週に一度のペースで転がり込んでくるようになった。
そうめんを冷水でしめ、めんつゆと一緒に食卓へ運ぶ。すると、ゾンビはみるみるうちに人間へと戻り、生気を取り戻した。そうめんってすげえ。
「っはぁー、生き返るぅー」
「そろそろ料理くらい覚えたらどうだ」
「んー、考えとくー」
絶対に何も考えてない妹の返答を聞きながら、一緒にそうめんを啜る。
ちなみに母親とは既に「妹」「りょ」だけのメッセージのやりとりを終えている。変な奴のところに行かれるくらいなら、俺の部屋に家出したほうがまだ良い、というのが母親と俺の共通見解である。
腹が満たされてくると、気持ちの余裕も出てきたのだろう。めんつゆに生姜チューブを絞りながら、妹がポツリと呟いた。
「進路希望調査票ってのを提出させられてさぁ」
「あぁ」
「空欄のまま出したら、先生に叱られた」
妹から生姜チューブを受け取って、自分のめんつゆに絞る。
今回の家出はそれが理由か。
妹は最近、音大に行きたいと考えているのだという。なんでも、昔からやっているピアノを本格的に学びたいと思っているらしいのだが。ただ、プロを目指すなどの具体的な将来像までは、まだ考えられていないようだ。
「父さんはまだ反対してんの?」
「うん。最近は一言も口きいてない」
「頑固だなぁ、まったく」
父さんは大学時代、バンドを組んでプロを目指していたらしい。だが結局、夢は夢のまま終わって普通の会社員になった。その反動からか、俺たち兄妹は幼い頃から「夢なんか見るな」「現実的に生きろ」と刷り込まれて育てられたのである。余計なお世話だ。
「兄ちゃんも高校時代、調査票とかあった?」
「あぁ、もちろん」
「なんて書いたの?」
何だったかなぁ……あぁ、たしか。
「理系の国立大を出て会社員」
「うわ。夢がないね」
「そう見えるように書いたからな。万が一にも父さんの目に入ったら面倒だと思って、本当の夢は胸の内に秘めてたんだよ。あの頃は」
あぁ、なんか思い出してきたな。
高校生の時の俺は、テレビで見たロボットコンテストに憧れたんだよ。自分とそう歳の変わらない奴らが、楽しそうにロボットを作っててさ。失敗して涙する姿すら、俺の目には眩しく映ったんだ。
「未来のことなんて何も考えてなかったよ。ただロボットを作りたくて、工学部に入った」
「ふぅん。でも結局、しっかり就職したよね」
「まぁ、せっかく学んだことは活かさないとな」
今の俺は医療機器メーカーで働いている。
趣味が仕事になってしまうと、思うようにいかないことも多いけど、総合して見れば自分なりにそこそこ納得できる人生は歩めてるかなとは思う。
「兄ちゃんのことを見習ってしっかり将来のことを考えろ――って父さんは言うんだけど」
「へぇ。俺を見習うんだったら、やっぱり好きなことをやるべきじゃないか。音大でピアノを勉強しながら、先のことはゆっくり考えればいいさ」
そんな話をしていると、窓の外からドンという破裂音が聞こえてくる。あぁ、そういえば。
「今日は花火大会だったな。窓から見えるぞ」
「ほんと? 見る見る」
「かき氷は?」
「いる! イチゴで!」
窓をガラガラと開けて興奮し始める妹に、つい苦笑いが漏れてしまう。俺は大学時代に買ったかき氷機を棚から引っ張ってきて、冷凍庫から氷を取り出してセットする。
ガリガリと氷を削っていると、俺の背に、花火の音がドンドンパラパラと響いた。
妹の氷にイチゴのシロップをかけ、自分のにはメロンのシロップをかけて、盆に乗せて窓際に運ぶ。すると、妹は夜空を見ながら呟く。
「――咲くのが一瞬だけだとしても。花火を打ち上げることが無意味だなんて、私には思えないよ」
そうだな、と心の中で同意しながら。
俺は妹と並んで座り、夜空に咲く色とりどりの花火を眺めて、生ぬるい夏の風を感じる。口に運んだかき氷は、冷たくて甘かった。
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