第8話 『訓練』

『本当にいいの?』


電話の向こうの古矢さんは最後の確認をとる。

これでもう三度目の確認。


今更俺の考えが変わることなどない。


「問題ありません。あいつらはこれ以上巻き込めない。これは俺だけの問題です」

『それを彼らが納得するとは思えないような気がするけど』

「そこはあなた方がどうにかしてください。あいつらが納得しようがしなかろうが、これ以上『ブラックマーケット』に襲われるなんてことがなければどうでもいいです」


古矢さんたちならその辺はどうにかなるはずだ。

こればかりは俺一人の力ではどうにもならない。


『君がそういうなら私たちは全力を尽くすけど………』


どこか納得がいかない、というかそれでいいのかと俺に問うかのような間がある。


「俺の考えは変わりません。明日そちらに伺うので、いいですよね?」

『まあ、私たちの立場でとやかく言うことじゃないね』


電話を切り、窓から外を眺める。


もうすっかり夜で、後は寝るだけという状況。

いつも眺めている景色なのに、今夜の景色はどこか違うように感じる。


「やっぱりそうなのか」


いつもの日常は終わった。

これからはこんな景色を見ることになるのだと自分に言い聞かせて俺は眠りについた。







6月27日 火曜日


違和感を感じた。


それをすぐに感じ取って景は大体予想がついた。

巴や美濃もすぐに気づいた。


学校に信が来ていない。


たったそれだけで、あいつはもう自分のやることを決めたんだと気づいた。


「やっぱり一人で行くんだよな」

「仕方ないんじゃない?信だし」


わかっていたことではある。

しかしそれでも十分悲しいことである。


苦しんでいる信の力になりたいという思いがある。


どうせ自分たちだって普通の生活には戻れない。


いつかそうなることが分かりきっていたのだから気にしなくていい。


そんな話をする機会さえ与えられなかった。


「なあ、今日の放課後、信のところに行こう」


その言葉に美濃と巴は頷いた。

思いは一緒。

信一人に責任を押し付ける気は最初からない。







「『ブッラクマーケット』の詳しい情報についてはどれくらい知ってるの?」


今日は学校を休んで早速『能力機動隊』の本部に来た。

『ブラックマーケット』がいつ攻めてくるかわからない状況でのんびりとはしていられない。


いつ襲われても、俺も対処できるようにしておかないと。


「いえ、ネットとかニュースで話されている内容くらいで、よくは知りませんね」


ネットで語られる情報はどれも信憑性が薄い都市伝説レベルの話ばかり。


ニュースで語られる情報はほぼないと言ってもいいくらい中身がない。


まあ要するに、詳しいことは何も知らないと言うことだ。


「そう、なら一度詳しく話をしておく必要があるね」


基本情報としての知識はあるがそれまでなのでこちらとしてはとても助かる。

すると古矢さんはあらかじめ用意していた資料を箱の中から出して机に置いた。


俺はそれを手に取り、ざっと流し読みしてみる。


「闇商売。薬、人身売買……」

「そこら辺は君としても馴染み深いかもね。最近被害に会ったばかりだし」


薬も人身売買もターゲットは稲葉先輩だ。

ここまで執拗に狙われるのは本当に不幸だ。


「………」


ペラペラと紙をめくっているとあるページでその手を止めた。


「シュウジ………」


かなり記憶に新しい名前だ。


『ブラックマーケット』のリーダー。


資料によれば偽名であるらしいが、本名は不明か。


「『ブラックマーケット』は非常に小規模の組織で、構成員の数は僅か五人。君たちが対峙したシュウジとラル、それ以外にも、コルボ、ユマ、ダイスがいる」


全員の顔写真がある。

本当にここら辺のことは気にしてはいないらしい。


「写真が揃ってるのが変だと思う?」

「いえ、まあ、それだけ強いってことなんですよね」

「そう言うことだね。小規模だけど力は強力。だから今まで一人も逮捕できてない」


リーダーのシュウジは特に強力と見ていいだろう。

掌を起点にし、物を反発させる。


資料の説明によればその最大威力は未知数。


なら俺が予想した通り、本当に人の体に穴を開けるくらいのことはできるかもしれないのか。


「悔しい話だけど、彼らは本当に侮れない。この前私はシュウジを少しだけ圧倒できたけど、あれは私の情報を何も知らなかったからだよ。ただ不意をつけただけ。次はあんなにはうまくいかない」


その戦闘の現場を実際には見ていないのでわからないが、古矢さんが言うのならそうなのだろう。


「俺でも太刀打ちできますか?」


答えは分かりきっているが一応聞いてみる。


「無理だろうね。君は経験から戦いにはなれているようだけど技術がない。対して向こうは経験も技術も豊富。今のままだと戦ってもすぐに殺される」


はっきりと言うがそうしないといけないのだろう。

下手に希望を持たせては実戦で痛い目を見る。


「どうすればいいですか?」

「まずは技術を身につける。君に足りないのはそれだから。私は教えるのとか下手だけど、まあ、実際に手合わせすればそこそこ強くなるんじゃない?」

「え?」


嫌な予感がするのだが、これは気のせいだろうか?


「じゃあ行こうか。訓練場で待ってるから、すぐに来てね」

「え、ちょっ」


ちょっと待ってくれ。

訓練をするのはいい。


今のままじゃ実戦に参加してもすぐに死ぬことになるのはわかっているから。


だとしても、その訓練の方法が実戦方式。

古矢さんと本気で戦えと言うのか。


不意をつけたとはいえ、シュウジを地面に倒して踏みつけたあの人相手に?


そんなの無理だ。


恐怖に体を震わせながらも俺は訓練場に行った。


古矢さんはすでに準備を済ませていつでも訓練を始められる状態だった。







そして始まった実戦訓練。


一度目の手合わせは僅か二秒で戦闘不能に追い込まれた。

二度目も二秒。

三度目は三秒。

四度目は二秒で意識を吹っ飛ばされた。

意識を取り戻して起きるとまた訓練開始で二秒後にダウン。


これ何の役に立つんだろうか。

ただただ俺が古矢さんに叩き潰されるだけの時間が続いている。


ていうかいちいち痛い。


「君は本当に技術がないんだね」

「それさっき古矢さんが確認してましたよね?」


俺が古矢さんにボコボコにされるだけで時間は夕方に突入していた。

気を失っていた時間が長かったのだろう。


「う〜ん、どこから注意した方がいいんだろう?」


この反応は、注意するべ気ところが多すぎてどこから手をつけるべきかわからないと言う様子。


「まずはそうだね。私の動きを真似しよっか」

「真似、ですか」


無理ですと言いかけて口を閉じた。


ここで抵抗してもダメだ。

ここは知識豊富な古矢さんに任せておくべきだ。


素人が口を出しても時間を無駄にするだけだ。


「今度は手を抜く。実際に攻撃も当てない。君の実力に合わせて動くから、その間に私の動きを覚えて模倣して」


決して簡単なことではないと思うが文句を言ってられる状況ではない。


「わ、分かりました」


それにしても、本当に当てないんだよな?

この人がどの程度寸止めに自信があるのかわからないが信用していいんだよな?

全然ウッキウキで高校生男子の顔面にパンチを繰り出してくる大人気ない第一部隊隊長だけど、大丈夫だよな?


無理矢理信用して訓練開始。

古矢さんに本気で攻撃を当てるつもりで向かっていくがその全てが受け流される。


その場から動かすことすら叶わない。


やがて古矢さんの拳が振るわれ、当てないと約束していたはずの拳が俺の顔面を直撃した。

信用した俺がバカだった。


「あ、ごっ、ごめん!」


寸止めする気があったのかどうか疑いたくなるほどの威力だった。


「ふ、古矢さん、寸止め下手ならやめてくださいよ」

「いやあの、つい心に火がついちゃて」


素人の高校生男子相手に火をつけるなよ。


「そうなんですか、お願いですからもう当てないでくださいね」


もう信用しない。

次は絶対避けてやる。


そんな気持ちでもう一度古矢さんに立ち向かう。


でもまあ結果はわかっていた。

またも顔面に直撃する華奢だが威力は半端じゃない拳。


この人は記憶障害でも持っているのだろうか。

しかしもうこんなのに構ってなんかやらない。


ついに怒りに火がついた俺は一発だけでも彼女を殴ろうと諦めず立ち向かい続けた。







「うん。なかなかいい動きになってきたよ」


手を叩きながら地面に倒れ伏す俺を見下ろして何かを言っている古矢さん。

結局一度も攻撃を与えることは叶わなかった。


相変わらずボコボコにされただけである。


ついには俺を殴ったことへの謝罪もなくなってしまったことがとんでもなく悲しい。


「なんかもう、色々どうでもいいです」


殴られたことを気にするのはもうやめた。

こんなの気にしてたら俺はこの人に対して殺意すら抱いてしまうかもしれない。


「今日はこれくらいにしとこうか。私との実力差を思い知って心が折れても困るし」


くそ、なんか悔しい。


「次は当てますから」

「できるかな〜?」


最初会った時の頼りになる感じはどこへやら、今は意地悪な感じが漂っている。


「とか言ってるけど、実際君は飲み込みが早い」


だから、急は雰囲気の変化に俺は意表をつかれて体が硬直してしまう。


「君は私に攻撃を当てようと奮闘するので精一杯だったから気づかなかったかもね。私は途中から、君の攻撃を受け流すだけじゃ対処ができなくなってた。悔しいけど、その場から移動しないといけなくなるほどにね」

「え、マジですか」


俺がそこまで急成長したことにも驚きだがあの訓練法でちゃんと成果が出たことに対して一番の驚きが。


「あんな訓練でもちゃんと効果あるんですね」

「口で教えたりするのは苦手だから、実戦が一番手っ取り早いでしょ」


あんな、ただボコボコにされただけなのに。


「だから明日からは実際に能力を使っていくよ。そこで新しい使い方でも覚えたらいいんじゃないかな」

「新しい使い方ですか?」

「うん。例えば私のテレポートだけど、私は最初自分を移動させることしかできなかったんだよ」

「はあ、そうなんですか?」

「でも研究してね、私以外のものもテレポートさせることができるようになったの。君の能力の分身も、研究すれば新しい使いかたが身につくかもね」


新しい使い方って、分身をどうやって使うなんて思いつかないのだが。

いやまあ、それも訓練中に思いついたりするかな。


「まあ、やってみます」


次の訓練からも大変なことになりそうだ。

怖い。


「あ、まだここにいたのか。ちゃんと休憩の時間とりましたか、隊長?」


次の訓練について話をしていると真辺さんが訓練場を訪れた。


「大丈夫。きちんと弟子の体調管理してるから」

「信用しづらいんですよ。あなたスパルタだから」


俺もまったく同意見だ。


「信くん、君の友達が訪ねてきているよ。会議室に待たせてる」

「……………」


友達、というとやはりあいつらのことだろうか。


「巻き込まないって約束でしたよね?」


そう言って古矢さんに視線を向けると彼女は首を傾げた。


「巻き込んでないよ。これは彼ら自信が決断したことなんでしょ。何をどうする気かは知らないけど」

「はあ……」


ため息をついて立ち上がる。


まだ少し体が痛いが行かないわけにはいかないだろう。


「ちょっと行ってきます」

「うん、行ってらっしゃい。ちゃんと話し合いをしてきてね」







訓練場から立ち去る信の背中を見届けて蓮生は蜜にタオルを渡した。


「ありがと」


タオルを受け取り、訓練で流れた汗を拭いた。


「ちょっと眼鏡が曇っちゃってる」

「そんなことはどうでもいいですけど、いいんですか本当に?彼らを今回の戦いに巻き込んで、問題になりません?」


通常、『二次元サークル』と稲葉凛が『ブラックマーケット』に狙われているという時点で保護をすべきだった。


しかし蜜がそうしなかったことに、蓮生は少し疑念を抱いていた。

こんなことをしてよかったのかと。


「彼らはもう元の生活には戻れない。このままじゃ、彼らは何もせずに死ぬことになる」


彼らのことだ。

稲葉凛を手に入れるべく『ブラックマーケット』が行動した時、絶対に稲葉凛を守るべく動くという確信が持てる。


そうなれば、生きて帰ることは叶わない。

全員が無駄に命を失って、稲葉凛はどこかの顧客に買い取られるか買い取られず始末される。


それはあまりにも酷だ。


だから蜜は彼らに戦いを教えようと思った。


これからも生きていけるように、自分で自分を守る術を教え込む。


「私たちの仕事は、市民を守ること。自分の行いを後悔し続ける彼らを、私は見たくない」


保護されて安全が確保されるとしても、きっと気は晴れない。

そんな思いをさせ続けるのは辛い。


「後悔のないように、一生懸命に生きてほしい。だから私は彼らに決断を委ねたの」

「そう、ですか」


そこまで考えが至っていなかった蓮生は少し反省した。


「そういえば、あなたはうちの最強の隊員でしたね」

「まあね。No. 1の称号は伊達じゃないよ。それより汗流したいから、シャワー浴びてくるね」


タオルを蓮生に向かって投げて小走りで走り出す蜜はどこか楽しそうにしている。


その雰囲気に少し違和感を感じて蓮生は首を傾げる。


「なんでそんなに楽しそうなんです?面白いことでも思い出しました?」

「いいや?だってこのあとは完全にオフでしょ?」

「まあ、はい。……まさか」


なんとなくこの先のことが予想できて蓮生は目を細める。


「今日は泊まっていい?なんか疲れちゃったからさ。蓮生くん」

「はあ、まあ、いいですよ。でも、あの子たちの様子を確認してから帰りますからね」

「はいはーい」








こういう事態にはなるだろうと思っていた。

俺が遠ざけようとしても、こいつらは俺のところに来るだろうと。


「なあ、お前どうして一人でここに来てるんだ?」


景が俺に対して少し怖い笑顔で問いかけた。


「俺はただ、これ以上お前らを巻き込みたくないと思ったからここにいるんだ」

「余計なお世話だってわからなかったのか?俺たちは誰もお前のせいで命を狙われてるなんて思ってないぞ」


怒りの感情がよく伝わってくる。


俺だけが責任を負おうとしているこの状況が気に入らないのかもしれない。

もしも俺が同じことをされたなら、やはり景たちと同じようなことを言うだろう。


「それでもだ」


それでも、やはり俺は妥協できない。


最初から覚悟はできていた。


だからと言って、俺のせいで今の境遇に立たされていると言う事実は変わらない。

その責任を取りたいと思うのは自然のことではないだろうか。


「信の考えてること、大体わかるよ」


美濃が声を上げた。


「君は全部わかってる。それでも自分のせいで私たちを危険に晒してしまったことを許せないんでしょ」

「……………」


全て見透かされている。


俺は何も言い返せずに黙ったまま下を向く。


「だから自分だけ死地に足を踏み入れて、今度は死を覚悟して危険に立ち向かおうとしてる。私たちは、それを君一人がやろうとしてってところが許せない」


美濃の言うことはもっともだ。

何も言い返せない。


「理屈じゃないんだ」

「………………」

「こればっかりは理屈じゃないんだ。俺の気持ちの問題なんだ。俺はお前たちを死なせたくない。お前たちには生きててほしい。そんなお前らを俺のせいで失うなんて耐えらない」

「だからお前だけ死ぬ気で戦うってか?俺たちがたすかれば、その後のことはどうでもいいって言ってるみたいだ」

「そう言うわけじゃない。でも、死んだらそんなことも考えられなくなる。だから俺は」

「お前、自分の言ってることが全部そっくりそのまま自分に返ってることくらい、気づいてんだろ」


痛いところをつかれて俺はまたも口を閉じる。

わかっているとも。


こんなの全部ブーメランだ。

こいつらだって、俺に対して同じことを思ってるに違いないんだから。


「お前、自分が犠牲になれば全部解決するなんて勘違いを起こしてるみたいだが、それは違うぞ」

「でも、苦しむよりはマシだろ。お前らが傷ついて苦しむところを見るくらいなら、俺は喜んで犠牲になる」


沈黙が流れた。

もう俺を諦めてしまっているのか、今の俺に何て言葉をかけたらいいのかわからなくなってしまっているのか。


両方だろうか。


しかしそんな沈黙を、巴が破った。


「私たちを苦しませたくないから、私たちに傷ついて欲しくないからって、本末転倒だよね」

「………………いや、でも」

「私たちの体が傷つくのは我慢できないけど、心は傷ついても我慢できるの?」

「………………」


いや、できるわけがない。


仮に、俺の身を犠牲にしてみんなを守ることができたとして、そのあとはどうなる?

誰かを踏み台にして得た幸せを、こいつらは、素直に喜べるだろうか。


断言できる。


喜べない。


俺のやり方では、本当に守りたいものを守ることができない。

守ったとしても、そんなものはただのまやかしに過ぎない。

彼らを傷つけていることから目を背けて、自分にとって都合のいい部分だけを見ているに過ぎない。


自分が犠牲になることで守れるものはたしかにあるかもしれない。

でも、それを守ったと言っていいのかどうか。


俺には答えを出せない。


「お前の犠牲で俺たちを守れるなんて考えるなよ」


そんな俺に、景は正面から答えを提示した。


「誰かの犠牲の上に成り立つ幸せなんかないんだ。それは守りたい人に一生分の傷を負わせることになるんだからな。それがどれだけ深くて痛いものなのか、お前理解できてんのか?」


俺には、そんなことができるか?


今まで目を背けてきた部分に改めて目を向けさせられて、まだ自分の意見を通すだけの度胸が、勇気があるのか?


「いいか、信。お前がなんと言おうと、俺はお前と一緒に戦う。こうなったのはお前だけの責任じゃないし、お前だけが犠牲になっても俺たちのことは守れない。お前の命はそこまで軽くないんだ」


犠牲にしていい命など存在しない。


例え誰がどんな行いをしようと、命の価値が変わることなどないのだから。


「俺は、これからもお前らに迷惑をかけるかもしれないぞ?」

「その時はお前も道連れだ。お前を一人で行かせたりなんかしねえからな」


そうか。

ああ、そうなのか。


「幸せもんだな俺は」

「何それ、今更気づいたの?」

「どれだけ自分のことを軽視してたのかわかる一言だね」


巴と美濃が俺を叱りつけるように言った。

俺のためにここまでしてくれる友達がいる。


一人よりも二人。

道連れは多ければ多いほどいいものなんだな。


「じゃあ、お前らも道連れにしてもいいのか?」

「ああ、どんと来いよ。何が相手でも、全員揃ってりゃ解決なんて簡単だぜ。そ、全員揃ってりゃな」

「は?」


なぜそんなところを強調するのか一瞬頭を悩ませたその時、俺たちが話し合いの場として使っている会議室に一人、来客があった。


「どうも」

「稲葉先輩………」


少し、予想はできていた。


ひょっとしたら来るかもしれないなんて考えていた。

それはほぼ確信に近かった。


「先輩、これは」

「私の責任じゃない。とか言うつもり?」


そう言われて俺は口を閉じた。

それは通じないだろう。


『ブラックマーケット』に狙われた一番最初のきっかけ。


それは間違いなく稲葉先輩が標的になってしまったこと。

やめろなんて言えるわけがない。


「信くんは、私の気持ちわかるでしょ?」

「わかります、けど」


認めざる負えない。

しかし認めたくない。


そんな複雑な感情が心の中を駆け巡る。


「自分がしてしまったことの責任は自分で取る。みんなが戦うって言ってるのに、私だけ安全なところからなんて考えたくない」


ここまで決意が固まっているのか。


ならもう何を言っても無駄だろうな。

というか、俺は彼女の考えを俺は否定できない。


それは自分の行いを否定することと同じだからだ。


「そう、ですね。でも、本当に危険なんですよ。命の危険だって」

「それはないよ」


また新しい人がきた、なんて思ったら古矢さんだった。

それに真辺さんもいる。


「彼女は今回の商売のターゲットだ。彼女が殺されることは絶対にない」

「古矢さん…………」


この人が言うなら信憑性がある。

もちろん絶対というわけではない。


彼女を殺した状態でもいいという依頼の可能性もなくはない。


そんな心配をしていると、俺の心が読み取れたのか真辺さんが俺の肩に手を置いた。


「それに、もしも彼女が殺されそうになったとしても、俺たちが必ず守る」


ここまで言われた。

みんな覚悟はできている。

ならば、言えることはもう何もない。


「そう、ですね。これ以上反論とかしても、時間の無駄ですよね」

「そういうこと。大人しく諦めてね、信くん」


先輩が微笑んでそう言った。

できればこの戦いには巻き込みたくはなかったけれど、こうなった以上仕方ない。


「わかりました。素直に諦めますよ」







『能力機動隊』からの追跡を一時的に逃れるため、拠点を別の場所に移していた『ブラックマーケット』。


彼らはいつも通りのんびりしながらも、稲葉凛の動向は常に追っていた。

しかし『能力機動隊』からの妨害もあり、追跡が途切れてしまうことを多々ある。

その途切れた瞬間で、稲葉凛の動向が一気に追えなくなってしまったことに違和感を感じる。


「どうなってるんだこれ」


ラルが違和感を口にしたとき、ナイフの手入れをしていたダイスがラルに近づく。


「どうした?」

「稲葉凛の動向が追えなくなった。妙だな。妨害で追えなくなったのはほんの数秒だったのに」

「追えなくなる前はどこにいたんだ?」

「稲葉凛が通ってる学校だ。もっとわかりやすい場所で消えてくれたら、その後の動向を予想することもできたのに、学校となるとちょっと難しいな」


追跡ができなくなり頭を抱えるラル。


予想できる範囲を追跡しても反応が全くない。

まるでこの世界に稲葉凛の存在などないかのように。


「たしかにちょっと妙だな」


違和感が強すぎる急な変化。


「『能力機動隊』の仕業じゃなさそうだな」


話を聞いていたシュウジがやってくる。


「誰かわかったり?」

「しない。予想はできなくはないけど」


『能力機動隊』じゃないならシュウジ以外にとっては全く自体が掴めないよくわからない状況になっている。

だというのに。


「そんなに慌てなくてもいいはずだ。ここまでするのはちょっと意外だけど、表立って行動することはあんまりないやつだ」


一体それが誰なのかわからないラルとダイスはポカンをすることしかできない。


「誰だよそいつ。わざわざ稲葉凛の追跡を個人で妨害していいことがあるのか?」

「それはわかんねえよ。俺としても、あいつの行動はちょっと予想がつかない」

「はあ、そうなのか………」


シュウジにもよくわからない状況であることが確認できた途端ラルとダイスは追跡を妨害した人物が誰なのかという話に興味をもたなくなった。


「にしても困ったぜ、どこを追っても………」


再び追跡を始めてたラルを見てダイスはナイフの手入れに戻った。

そんな二人を見たシュウジももういいかと思い近くに置いていたソファに寝転がった。


「お前が来るなんて、どうなってるんだろうな」


この場にはいない、シュウジにとってのたしかな脅威に向けた言葉。


以前直接対峙して力比べをした。


お互いに手の内は十分に理解していにも関わらず惨敗してしまったあの経験。


忘れることなどできるはずがない。


「もう一度対峙するのは勘弁してくれよ」

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