第4話 『ルール破り』

六月十七日 土曜日


今日は起きてからずっと何もしていない。


学校から出されている週末課題はあるが、それもやる気が起きずに手が出せずにいる。

とりあえずスマホの電源を入れてゲームアプリを開いてみたりもした。

しかし三十分で飽きてスマホの電源を切ってしまった。


やることがない。

ないわけではないがやりたくないことしかできることがない。


この現状をどうすればいいか俺としては考えるまでもなかった。


「こういう時こそ趣味に走るべきだよな」


俺は玄関に置いていた覆面を被って外へ出かけた。





やっはり暇で暇で仕方がないときは体を動かすのが一番だ。

前みたいに景たちと一緒に自警団ごっこも楽しかったが、一人でするのもこれはこれで楽しい。


何度やっても屋根から屋根へと飛び移ることもやめられない。


はずむ気持ちで、圧倒的な解放感を味わいながら空を舞う。

これほど楽しく気持ちのいいことは他にはない。


しかし目的を忘れてはいけない。


俺は趣味である自警団ごっこのために外に出たのだ。


となれば俺が走るルートは人が少ない場所だ。


人が立ち入らないような場所を探してはそこを通り何か事件が起きていないか確認する。

事件が起きているところを目撃したらすぐさま駆けつける。

あまりヤバそうな事件には首を突っ込まないように気をつけるのはいつもと変わらない。


例えばの話、ナイフを持った男同士が本気で斬り合っているような現場には関わらないようにする。

自警団ごっこをしているとはいえ俺はまだ高校生だ。

そんな本気の事件に首を突っ込んでいいような歳ではない。


再度そのことを頭に叩き込み、俺は屋根から屋根へと飛び移る。


もうこの動作にも慣れてきたものだ。

最初の頃は何度も落ちそうになって本当にヒヤヒヤしたことがあるが、経験の積み重ねだろうな。


「それにしても……………」


今日はなかなか事件に遭遇しないな。

いつもなら十分くらい走れば事件に遭遇するんだけど、今日はなかなか遭遇しないな。


珍しく平和な日らしい。


いいことではあるのだが、趣味のために外に出てきたことを考えると少し興醒めだ。

不謹慎なことを言っている自覚はあるが、その意識は拭えない。


「ま、もう少し走るか」





今日は土曜日で学校は休み。

週末課題も朝に終わらせてしまってやることがない。


だから気分転換にカフェに行くことにした。


まだ昨日買ったミステリーの本が途中なのでカフェで読もう。

正直あまり期待はしていなかったけれどいざ読み進めていくと面白くて止まらなくなってしまった。

早く続きが読みたいという気持ちが全面に出て自然と早歩きになっていることもお構いなし。


私は小さく鼻歌を歌いながらカフェへの道を歩いていく。


「あれ、もしかして、凛ちゃん?」


その声が誰に向けられたのか確信はなかった。

名前が同じなだけの他人という可能性もあった。


けれど、多分私に向けたものなのだろうと思い視線を向けると、そこには見知った顔があった。


「…………」


彼女に話しかけれられて、私は弾んでいた歩みを止めた。

私の名前を呼ぶ彼女の声を聞いたのは何ヶ月ぶりだろうか。


「綾……ちゃん」


彼女は本谷綾もとやあや


去年は私と同じクラスで、いわゆる友達と言える関係性だった。

しかし姫乃くんの件をきっかけにその縁を切るべく距離をとった。


それが九月のことだから、綾ちゃんとまともに話すのは約九ヶ月ぶりくらいなのかな。


「何してるの?すっごく楽しそうにしてるけど」


綾ちゃんは前と同じように親しく接してくれる。


それを嬉しいと思ってしまう自分に怒りを感じた。


自分から彼女との距離を空けておきながら勝手な女だと自分を罵る。


「その、ちょっとカフェに行こうと思って………」


気まずさが声に出ているなと自覚する。

もっとうまく平静を装わないと。


「カフェ?なんか凛ちゃんのイメージにぴったりだね」

「何そのイメージ」


謎のイメージに首を傾げると綾ちゃんはクスクスと笑い出した。

何が面白いのかは全然わからないけれど、聞かなくていいかな。


「ねえ凛ちゃん。この後予定変更して、私と一緒にお散歩しない?」


突然の誘いに唖然としてしまった。


どうしてわざわざ私と?


今たまたま会っただけなのに。


「一緒に?」

「うん。こうして話すのも久しぶりだし、私は暇なの」


正直に言うと抵抗しかない。

今の私にとっては彼女と話すだけでも気まずい思いに押しつぶされそうになる。

早くこの状況から逃げ出したい。


「ごめん。えっと、予定変更はちょっと………」


なんとかこの場から逃げるための口実を考えてみる。


それでもなにも浮かばなくて言葉が出てこない。


「どうして?誰かと待ち合わせでもしてるの?」

「そう言うわけじゃないけど………」


そういうわけじゃないんだけど、単に綾ちゃんと一緒にいるのが気まずいだけなんて言えない。


「じゃあいいじゃん。ほら行こ!」


綾ちゃんは私の腕を引っ張って走り出した。


私も戸惑いながらもされるがままに、彼女に置いていかれないよう走る。

綾ちゃんは私と久しぶりに話すことができて嬉しいのだろうか。

一年生の頃はそれなりに仲が良かったけれど、何を言ってもそれは一年生の頃、過去の話だ。


今ではもう仲良くも何ともない。


ただ同じ学校に通っているだけの同級生でしかない。


私はそう思っていたが、綾ちゃんは違うのかもしれない。

まだ私のことを友達として見てくれている。


素直に嬉しい。

最近は一人の環境にも慣れてきていたが、やっぱり友達がいるというのも私の心に安らぎを与える。


少しだけ口元が緩む。

去年も、こうやって綾ちゃんに腕を引っ張られてどこそこに連れ回された記憶が蘇った。

人から距離を置くようになった今でもいい思い出として心に残っている。


今日はどこへ連れていかれるのだろう。

今日はどんな楽しいことが待っているのだろう。

まだ走り始めたばかりなのに、楽しみで仕方がない。





「………………?」


人気のないような場所を重点的に見て回っていると、見知った顔の女性が知らない顔の女性に腕を引っ張られて路地裏に入っていくのが見えた。


「あれって確か、稲葉先輩と………」


しかし俺は首を傾げた。

稲葉先輩はわかる。

だがあの稲葉先輩の腕を引っ張っていた女性は一体誰だ?


見覚えがなかったな。


雰囲気的にすごく楽しそうに見えた。

もしかして、仲のいい友達か?


「なんだよ。友達いるんじゃないですか」


子を心配する親のような気持ちになってしまった。

いかんいかん。


俺は稲葉先輩よりも年下なのに。


「ちょっと覗きに行こうかな……?」


いやしかし、それは思いっきりストーカーだよな。


偶然見つけたからとはいえ、後をつけるのは人としてどんなものだろうか。

と、理性で尾行したい欲求を抑えるが、あるアイデアが思い浮かんだ瞬間、その理性は一瞬にして消えてしまった。


「そうだ。安全確保だ。女性が二人だけで路地裏に入るなんて危険極まりない。何かがあってからじゃ遅いんだから、俺が安全確保のために陰ながら護衛しよう」


なんて独り言を自分に言い聞かせ、俺は稲葉先輩が入って行った路地裏に向かって走り出す。

どんな言葉を並べようと、俺の行いがストーカー行為であることからは目を背けて。





走り出してからそう時間はかからなかった。

私の腕を引っ張りながら走る綾ちゃんとの行き先は。


「えっと………。ここは?」


とても怪しい場所だった。

不穏な空気がどこまでも続いている細い路地裏。


人気が一切なく、普段通る人もいないのではないかと思わされるほどに静かで、寂しくて、暗い。

こんなところに来て、綾ちゃんは何がしたいのだろう。


「ねえ綾ちゃん。ここで何するの?」


私は恐怖の気持ちを抑えながら綾ちゃんの腕に手を伸ばす。

すると。


「おお、連れてきたか」

「………え?」


全く知らない男の人の声。

物陰から出てきた二人の体格が大きい男の人。


恐怖を抑えられなくなった私は反射的に逃げようと一歩下がると。


「どこ行く気?」


その声を聞いて、私は金縛りにでもあったかのように動けなくなる。


誰かになにかされたわけじゃなく、純粋に、単純な恐怖心で体が動かない。

その声色はさっきまでの楽しそうなものとは全くの別物だった。


「ねえ、どこに行くの?」


ゆっくりとこちらを振り向く綾ちゃんの表情。

私の隙を見て別人と素早く変わったのではないかと思えるほどに、その表情のどこにも光と言うものを感じられない。


別人のように低く、私を恐怖のどん底に突き落とすには十分すぎるほどに冷徹さを帯びた声。


「綾……ちゃん…………………?」


いっそ別人だと言われた方が納得がいくほどに、今の綾ちゃんからは異常性を感じる。


さっきまであんなにも楽しそうだった背中からはひたすらこちらを威圧するかのような圧を浴びせられ続ける。


「どこにも行かないよね?もう少し一緒にいようよ。これからが楽しいんだから」


笑顔で私に語りかけじわじわと距離を詰めてくる。

そんな彼女に恐怖するがやはり体が動かない。

わからないことによる恐怖。


今彼女を刺激するようなことをすれば、私自身がどうなるかわからない。


「そうそう、こっからが楽しいんだぜ。お嬢ちゃん」


見知らぬ男性二人が私に向けて不気味な笑顔を向けながらゆっくりと近づいてくる。


男性二人に、何をするかわからない女性一人。


今の私に逃げ場はなかった。


「嬢ちゃんさ、薬とか興味ある?」

「………薬?」


男性はズボンのポケットから小瓶を取り出した。


中には白と青のカプセル剤のようなものがいくつか入っており、それを私に見せつけた。

あの薬は一体なんだろう。


「そうそう薬。別に怪しいもんじゃないぜ。これを飲めば、ちょっといい気分になれるってだけ」


なんだか変なことを言っているけれど、どう考えても怪しい。


「えっと、私、薬には興味なくて、ごめんなさい……」


そう言って思い切ってその場から離れようとすると綾ちゃんに力強く腕を掴まれた。


「あれ、わかってない?」

「……………なにが?」

「今この状況で、あんたに拒否権とかないよ?」

「………え?」


一瞬の困惑。

それがいけなかった。


かつての友達の言葉に体が固まった瞬間に、男性の一人に体を押さえつけられてしまった。

怖くて悲鳴を上げながら必死に抵抗するが純粋に力の差で負けており、私を押さえつけている男の人は私が抵抗しようともがいているところを見て笑っていた。


両腕の自由を奪われ完全に抵抗できなくなった。

涙を流し、ただただ今の状況に恐怖する。


「大丈夫だよ凛ちゃん。すぐに終わるから」


手が空いているもう一人の男の人は小瓶の中から一つ、カプセル剤のような薬を出し、それを手に持ったまま私に近づいてくる。

その行動から、私になにをしようとしているのかがわかり、一層恐怖が湧き上がる。

もはや抵抗どころか声を出すことにさえ恐れを感じ、無気力な人形のようにされるがまま。


怖い。

どうして私がこんな目に?


「心配すんなよ。怖いのは一瞬だけだ。あの薬さえ飲めば、恐怖心なんてもんは全部忘れさせてくれるぜ」


怖い。


「………いや…」


怖い。

いやだ。

いやだいやだいやだいやだ。


どうして。


助けて。

誰か助けて。

誰でも構わないから。


だからどうか。


「さあ、いくぞ」


そうして、男性が私の口に薬を持つ手を近づける。


飲まされる。


抵抗しても逃げられない。


こんな路地裏に助けがくるはずもない。


私はもう、だめなんだろう。


なんだかもったいな。

できればあと一度だけでも、信くんと話がしたかったな。


私のことを初めて信じてくれた学校の後輩ということくらいしかわからないけれど、もっと彼と関わりを持ちたかった。


それが、私にある唯一の心残りかも。

月曜日にはまた会いに行こうと思っていたのに。


本当に、私の人生はうまくいかないことばかり。


信くんとなら、今からでも学校生活をやり直せるかもなんて妄想もした。

試すくらいはしたかった。


「記念すべき一個目だ。よく味わっ」


瞬間、その場にいた全員が目を見開いた。


あまりにも突然すぎる出来事に驚きすぎて誰一人として声を出せない。

突然、私の視界の上から下にかけてなにか大きな黒い影が通り過ぎた。


それも、私に薬を飲ませようとしていた男性の頭を巻き込んで。


地面にめり込んだ男性の頭の上に足を乗せたままの誰かは静かに、しかし素早く視線を上げた。


その鋭い眼光を目にした時、私は恐怖を感じたが、光の先にあるのは私ではなく私の後ろにいるもう一人の男性に向けたものだと気づいた。


それと同時に、私の顔のすぐ横を何かが素通りしていき、ゴッっ!!と鈍い音を立てた、


その音がなんなのかは分からないけれど、それよりも私は目の前にいる誰かに目が釘付けになる。

首から上の部分を全て覆った覆面が怪しさを際立たせる。


しかし、そんなビジュアルであるにも関わらず。


「大丈夫ですか?」


その声は、とても優しいものだった。





考えるよりも体が先に動くなんてことが本当にあるんだと自分でも驚いている。


路地裏に入っていく稲葉先輩を見た時はとても楽しそうに見えたから友達と遊んでいるんだと勝手に推測した。

ストーカーみたいに思われるかもなんて冗談まじりに思いながら様子を見に行った時、それを見て、俺は思考を完全に放棄した。


頭の中は真っ白になって、反射的にビルから飛び降り分身に自分を投げさせ落下速度を加速。


そのまま勢いに身を任せ、稲葉先輩に向かって手を伸ばしていた男の頭を踏みつけ地面にめり込ませた。


そして素早く視線をもう一人の男に移す。


涙を流す稲葉先輩の体を押さえつけている男。


そんな手で触るんじゃねえ。


怒りが込み上げ、感情に任せて手を伸ばし、男の頭をビルの壁に押し付けた。


鈍い音がして少し出血も見られたが死んではないだろう。


男二人を気絶させた俺は稲葉先輩の調子を確認する。


死んではいないか。

どっちらも怪我はしているが。


「大丈夫ですか?」


稲葉先輩はじっと俺のことを見ている。

覆面を被っているから不審者だと思われているのかもしれない。


「えっと、はい」


稲葉先輩は震える声で答えた。

明らかに怖がられている。


「無事で良かったです」


あまり怖がらせるのは良くない気がしてきたのでそれだけ伝えて俺は知らない女へと視線を移した。


「あんたは誰だ?」


そう聞くと見知らぬ女は肩をびくつかせ一歩後ろに後ずさった。

ああもうめんどくせえな。


「悪いけど質問に答えてくれないか?返答次第じゃただじゃおかない」


俺の脅しを聞いた瞬間、女は危険を察知して逃走を図った。


それに反応した俺は分身を出して女を取り押さえさせる。


「余計なことは考えない方がいい。あんまり抵抗されると俺の気分が悪くなる」


稲葉先輩はあまり話したことがない、というか一回しか話したことがない、ほぼ赤の他人だ。


それでも見知った相手が傷つけられていた現場を発見しては見て見ぬフリはできない。

二度とこういうことが起きないように徹底して対策しなければならない。


そのための質問だが女はいつまで経っても答えない。


痺れを切らし、俺は質問を変えることにする。


「じゃあ質問を変える。この薬はなんだ?さっきの状況から察するにただの薬ってわけでもなさそうだったけど」


俺は男が持っていた瓶の中に詰められているカプセル剤のような薬を見せつける。

さっき、二人の男はこの薬を使って何かをしようとしていた。


まあ飲ませようとしていたのだろうが。


「あなた、その薬が何かわからずに突っ込んできたわけ?」

「ああ、これが何かは知らないけど、よからぬ何かってことぐらいはわかる」

「ずいぶん甘く考えてるのね」

「そこまで態度が前衛的だと流石の俺も驚く。その抑えられ方なら、ちょっと捻れば骨の一本くらいはいけると思うぞ?」

「本気で言ってるわけ?」

「冗談と受け取るのはそっちの自由だ。選択は任せる」


もちろん本当にやる気などない。


しかし今の俺の見た目なら、十分に相手を騙せる。

少し悩むかのような表情を見せた女から余裕が一気に消えた。


「悪いけど、あなたにはなにも言えないわ」


俺はしばらく相手の目を見るが、多分これ以上はなにも言ってくれないだろうと思い諦めることにした。


「これ以上はなにも聞き出せそうにないですね。後は警察に任せましょう」


そう言って俺は薬を稲葉先輩に渡した。

もうこれ以上は俺の出る幕じゃない。


「警察に通報して、これを証拠品として渡してください。何かの手掛かりくらいにはなるかもしれません」

「うん。わか…………、え?」


稲葉先輩は薬を受け取るとなぜか首を傾げた。

どうしたんだ?

そんなに俺の顔を見たりして。


もしかして覆面が破れていたのかと思い手で触って確認するが無傷だった。


いったい彼女はなにを見ているのだろう。


「どうかしました?」

「あ、ううん。なんでもない………」


なんだ?


よくわからないが、俺はこの場から離れよう。


しばらくは女は分身に抑えさせておけばいいだろう。

警察が来る前までは出せておけるはずだ。


万が一もあるし、去ったフリでもして遠くからこの現場を眺めておけば安全は確保できる。


「じゃあ俺はこれで。まずは警察に通報して、ここであったことを全部話してください」


そう言って俺はその場から去った。


その後、すぐに通報した稲葉先輩は警察に保護された。

謎の薬も渡していたので後は警察がどうにかしてくれることだろう。


「もう大丈夫そうだ」


それを見届けた俺は許は家に帰ることにした。

今日は自分のルールを破って大胆な行動に出てしまった。


しかし顔は誰にも見られていないし、大丈夫なはずだ。

また明日から平和な生活を送れること間違いなしだ。


「疲れたし、帰ってご飯食べてから昼寝でもするか」





「おりょ」


街のどこかにあるもう使われていない建物。


その中には五人の影があった。


一日中ずっとパソコンの画面を眺めていた青年は何かに反応して声を上げた。


「どうしたんだラル。ずっとなにもせずにパソコンを見てると思ったら突然声を出したりして」


ずっと本を読んでいた男にラルと呼ばれた青年は笑顔を向けてパソコンを指差した、


「いや、ちょびっと厄介なことになってたからさ。コルボも見ろよ」


コルボと呼ばれた男は寝そべっていたソファから立ち上がりパソコンの画面を見る。


「なんだこれ」


画面には街のどこかの動画が流れていた。

しかしその動画がなんなのかわからずコルボはぼーっと動画を眺め続ける。


「最近雇ったチンピラにカメラくっつけといて、一部始終を観察してたんだけど」


そう説明されたコルボは少し思い出した。

そう言えば最近、薬を売らせるために新しい人材を雇っていたっけ。


「たしか、女一人と男二人のグループだったか」

「そうそう。そいつらがターゲットにしてた稲葉凛って子に予定通り『ホワイトブルー』を売りつけようとしてたんだけど、謎の邪魔が入ったみたいでな」


「邪魔?」


なんのことだろうと思いコルボは今も動いている映像を見続ける。


「こいつだよ」


ラルは動画を早送りしてその邪魔をコルボに示した


「覆面?」


動画に写っているのは覆面を被った謎の人物。


何者なのか一切わからないが、身のこなしが普通よりは少し上くらいか。

だがそこらへんのチンピラと大して変わりはしない。


「顔は見えない。名前も不明。手掛かりは身長と体格から推測する体重、それから」


ラルは停止させた動画を拡大してあるものに注目させる。

コルボはそれを見て小さく呟いた。


「腕時計か」


覆面の男は長袖を着ていたが一瞬、稲葉凛に『ホワイトブルー』を手渡す瞬間、腕に嵌められている腕時計が見えた。


しかしそれがなんの手掛かりになるのかわからず首を傾げる。


「この腕時計がどうかしたのか?」

「この腕時計、調べてみたところ、この世に存在しないんだ」

「なんだって?」


存在しない、というのを言葉のままに受け取っていいものかわからず悩む。

そんなコルボの表情を見て面白がるような顔になったラルは解説を始めた。


「何かの手掛かりになるかもしれないと思ってダメもとで調べたんだ。この見た目と一致する腕時計をネットで探しに探したが一致するものはゼロ」


そこまで聞いてようやく理解したコルボは後に続いて自分で解説してみる。


「存在しない腕時計。この覆面を被った誰かしか持ちえない腕時計ってことか」

「これは重大な手掛かりだ」

「確かにな。これをベースにすれば、この覆面を被った誰かをすぐに見つけられる」


過去の監視カメラの映像などを調べれば、この腕時計をつけた人物が必ず写っていることだろう。


この世に一つしか存在しない腕時計を使っている者を見つけるなどあまりにも容易い。


「それから稲葉凛だが、こんなことになるんならあの女から稲葉凛の素性を聞いておけばよかったって後悔してたとこだぜ」


それは稲葉凛の素性を調べることに時間がかかったということではなく、その手間が加わったことが悔やまれたのだろうと理解が及ぶ。


「で、稲葉凛の素性は?」

「稲葉凛。身長170cm、体重53kg。年齢は16歳。今は楠木高校ってところに通ってる高校二年生だ」


パソコンに移し出された表にはそれ以外にも数多くの情報が書かれていた。

好きな食べ物と嫌いな食べ物。

さらには一日のおおよその行動パターンなどなど。

稲葉凛という女子高生には一切プライバシーというものが存在しないのかと思わされるほどに、流石のコルボですらもドン引き案件だった。


「お前は仕事が早いな」

「まあ、暇つぶしに調べただけだけどな」


暇つぶしにしては情報が多いが、それ以上は気にしないようにする。


「まあ、稲葉凛の方はあんまり気にしなくていいだろ。問題はこっちの覆面だ」

「そうだな。こいつのせいで商売がうまくかなかった。落とし前はつけて欲しいよな」

「それも大した問題じゃないと思うけどな」


『ブラックマーケット』としてはとり逃してしまった謎の覆面だったり、薬を売りつけることに失敗した稲葉凛のことだったり、商売をしくじった三人組のことだったりと、それらのことは心底どうでもいいことである。


一つ気になることがあるとすれば。


「俺らが気にするべきは、稲葉凛に薬を売ることができなかったことによって生じた予想外の損害だ。稲葉凛に売れなかったことで出なかった収入をどうにかしたいところだ」


薬一個だけでも相当の収入が入っていたにも関わらず、例の三人組のミスと覆面のせいでその分の収入が入らなくなった。

『ブラックマーケット』としては、その分の収入をどうにかしたいところなのだ。


「そうだな〜」


コルボは頭を抱えてどうするか対策を考える。


最近、さまざまな依頼を受けるか候補があったから、その中から損害を帳消しにできないだろうか。


「そういえば」


何かを思い出した様子のラルはパソコンを操作して今朝届いたメールを開いた。


それは『ブラックマーケット』への依頼を出す内容のものだった。

まだ受領したわけではなく、受領するかどうかの検討段階に入っているもの。


「人身売買の依頼か」

「しかも美人の女をご所望らしい」

「そんなのどっから調達するんだ?美人って釘刺されてるところ見ると、適当に誘拐するんじゃ依頼者が満足してくれないだろ」

「ちょうどいいのが見つかってると思うんだけどな」


ラルはまたパソコンを操作してさっきまで見ていた映像を出す。


途中で停止させ、ラルが拡大したのは。


「なるほど稲葉凛か。たしかにこんくらいの別嬪さんなら満足してくれそうだ」


コルボもラルの意見には賛成だった。


「一応写真を送って、こいつでもいいか確認を取ろう」


大体の方針は固まった。


その遠くで、タブレットをいじっている男が同じ映像を見ていた。


稲葉凛に手を出すという意見は男としても反対する理由がない。

しかしその場合、この覆面が出てこない可能性がないか?


そんな疑問が男の中にはよぎっていた。


しかし。


「まあ、それはそれで面白いか」


いつも簡単な仕事ばかりでは面白くない。

たまには楽しみがあってもバチは当たらないだろう。


その顔に、不気味な笑顔が浮かび上がる。


これから起こる面白そうな出来事に期待を膨らませる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る