ダチュラの口付け 第10話

 きっとあの二週間は、夢だったんだ。

 そう思ってしまうくらいには、二人は疲弊した。


「王弟さまを探せ!」


 ローリエの声がする。二人は空き家に駆け込み、身を潜めた。

 事の発端は、タンジが町に出ていた時のこと。もう回数も重ねてきていたからと、油断してしまった。

 王弟探しに出たローリエとすれ違った時、動揺してしまった。そして、それをローリエに怪しまれた。

 伊達に長く共にいた幼馴染ではない。髪の色も肌の色も瞳の色も違うタンジを、彼は一眼で見破った。


「王弟さま!」


 そうして今、追いかけられている。タンジの危機を悟ったレンジアに、一度は隠されたものの、ローリエは諦めずに付近を探し続けている。


 まだ、犯人がレンジアであるとはばれていない。今ここでタンジが出て行き、嘘の証言をすれば。全部、自分のせいにすれば、丸く治る。


 そう考えたところで、レンジアがタンジの手を握った。


「タンジ。私の可愛い家族。幸せだったわ、あなたと出会ってから」


 外では、近衛兵の足音が増え続けている。

 古びた窓からは、夕陽が射し込む。レンジアの髪が、キラキラと輝く。

 嫌な、予感がした、レンジアが何かをする予感。


「ばかなことは考えてはダメよ。あなたを逃したのは、他でもない私。あなたは何一つ悪くないわ」

「レンジア、やめろ、何をしようとしてる」

「タンジ」


 ぎゅ、と。繋がれた手に力がこもる。


「……ここに飛んできた時、変な魔法をかけられたみたいなの。魔力が、どんどん減っていく」


 追いかけられるタンジを空から拾った時、レンジアは確かに見た。ローリエが、見慣れない魔法陣を持っているのを。そして、それが不気味に光ったのを。

 足音は増えるばかり。この空き家に入られるのも、時間の問題だ。


「……もう、逃げられないわ」

「何言って、やめろ、逃げられる! お前のことはおれがおぶってく、国の外に行けばもう見つからない!」

「ダメよ。あなたは、この国で幸せになりたいんでしょう?」

「お前がいなきゃ意味がない!」


 タンジが叫ぶ。レンジアは目を見開いた。


「場所なんかどこでもいい、王室じゃなくても、お前の家じゃなくても! お前さえ、いてくれれば、おれは……」


 涙ながらに訴えるタンジに、レンジアは微笑んだ。


「私は幸せ者ね」


 レンジアが、最後の魔力を集約する。


「王や兵には正直に言いなさい。曇の魔女によって連れ出されたと」

「おい、やめろ、そんなもの捨てろ!」


 手には、鈍く光るナイフ。固められた魔力で作られたそれを、タンジに握らせた。そして、その上から自分の手で掴む。


「あなたは、悪い魔女に連れ出された可哀想な子。そして、その魔女を殺して逃げ出した勇敢な子。いいわね」

「やめろ、レンジア! いやだ! レンジア!」


 女性とは思えない力で、レンジア自分の胸を貫いた。


「タンジ」


 二人の服を、流れ出した血が侵食していく。


「しあわせになってね」


 目の光が消えていく。ナイフを握るタンジの手を掴んでいた、彼女の力が抜けていく。


「あ……」


 タンジの顔が絶望に染まる。

 ナイフが手から滑り落ちた。同時に、空き家のドアが開く。


「王弟さま! よくぞご無事で……!」


 タンジの無事に涙ぐむローリエには振り向きもしない。もう動かないレンジアの亡骸を前に、呆然としているだけ。


「ああ、よかった、やはり魔女に拐かされていたのですね……」

「……」


 誰にも聞き取れなかった小さな声は、絶望に染まっていた。


「王室に帰りましょう。隣国は、婚姻を待ってくれています。これで、王弟さまは幸せになれるのです」

「黙れ!!!」


 ローリエが差し伸べた手は振り払われた。

 タンジはレンジアを刺したナイフを掴んで首に当てる。


「誰が、隣国に婿入りしたいなんて言った! 誰が、おれの幸せを決めた! 何が幸せだ、おれの幸せは……っ」


 レンジアはもう、動かない。


「……たった今、死んだのに」


 動けない兵を嘲笑う。首の薄い皮膚に、刃が食い込む。


「やめろ、タンジ!」

「レンジアだけが、おれを理解してくれた」


 ローリエの悲鳴のような声と、タンジの首から吹き出した血が重なる。

 タンジはそのまま、レンジアの遺体を守るかのように倒れ込んだ。

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