ダチュラの口付け 第3話

「レンジア。授業」

「レンジア、町に出るから護衛」

「レンジア」


 タンジは、レンジアによく懐いた。これにはリンドもニッコリである。


「タンジは最近どうだ?」

「楽しそうに過ごしておられますよ」

「そうか。歴史の授業もちゃんと受けているようだし、これは隣国に行っても安心だな!」


 リンドの言葉に、レンジアは耳を疑った。


「隣国に……?」

「ああ。まだ正式に決定したわけではないんだが……タンジには、隣国に婿入りしてもらおうと思っている」

「それは、王弟さまには……」

「まだ言っていない。あいつは嫌がるだろうが……正直、この国で王弟として生きるより、隣国で王になった方が幸せになれるだろう」


 まるで、全てをわかっているかのように。

 タンジの全てを、理解しているかのように。

 リンドの言葉はスルスルと流れてくる。


「……嫌がると、わかっているのに、婚約を結ぶのですか」

「ああ。だって、その方が、あいつは幸せになれる」


 どうして、タンジの幸せをリンドが決めているのだ。


「……そう、ですか」

「これはまだ秘密で頼むな。時が来たら、良い日取りを占ってもらおう」

「……承知、いたしました」


 レンジアがかろうじて頷く。リンドはそれに、嬉しそうな表情を返す。

 弟の幸せを願う兄。童話ならハッピーエンドが定石だが、現実はそう簡単にいかない。

 リンドの言う『タンジの幸せ』は、リンドが勝手に定義づけたものだ。そこにタンジの意見など、欠片も反映されていない。

 タンジは、国を出たいなど考えていない。

 それは、出会って間もないレンジアですらわかることだ。しかし、リンドの言うことも一理ある。


 タンジはこの先、絶対に王にはなれない。


 リンドが定義した『幸せ』の条件に入っている、王になると言うこと。リンドが死なない限り、この国でタンジが王になることはない。この兄弟は歳が三つしか変わらない。例えばリンドが亡くなっても、タンジが王位を継承できる確率は、ほぼゼロに近い。

 そうすると、タンジはリンドの言う『幸せ』にはなれないのだ。

 しかし、隣国に婿入りすれば、隣国の王になれる。そうすれば、『幸せ』になれる。


「……幸せ、か……」


 レンジアが呟いた言葉は、謁見の間の外から聞こえた大きな物音によって掻き消された。


「……誰かに聞かれたか。レンジア、申し訳ない。聞かれていた場合は、対処を」

「承知いたしました」


 杖を握って、謁見の間から出る。

 聞いていたであろう誰かが、廊下の角を曲がっていく。レンジアは一定の距離を置いて、その後をついていった。

 バタンと、また大きな音を立ててドアが閉められる。怒っているとわかるほど、力任せに。


 レンジアはドアの前に立った。


「……王弟さま」


 返事はない。


「王弟さま、入りますよ」


 レンジアがドアを開ける。

 タンジは大きなベッドにうずくまっていた。


「……聞いてしまいましたか」

「……」

「王弟さま」

「黙れ……」


 喉の奥から絞り出された声。レンジアは眉間に力を入れた。


「知ってるだろ、お前は……おれが! どれだけこの国を愛しているか! この国に残りたいか! それなのに、なんで……っ、なんでお前は、否定してくれなかった!」


 タンジが歴史を学んでいたのには、理由があった。

 二度と同じ過ちを繰り返さないように。教科書に載せられない事件も、揉み消された出来事も、タンジは全てを吸収している。それは、全て、この国を良くするため。


 そして、この国に残るため。


「おれは隣国になんか行きたくない! そんなのはっ」


 泣き叫びながら、タンジはベッドにあるクッションを殴りつける。力に負けたクッションは破けて、中の羽毛が舞った。

 レンジアはそれを、唇を噛んで見つめている。


「そんなのは、おれの幸せじゃない!」


 ふわふわと羽毛が踊る中を、タンジの悲痛な叫びが劈いた。

 肩で息をしながら、タンジはまたベッドの上にうずくまった。


「……出ていけ」

「……」

「出ていけよ。どうせお前はリンドの味方だろ。おれをこの国から追い出すんだろ。そんなやつと一緒にいたくねーよ」

「……王弟さま」

「早く出てけよッ」

「タンジ!」


 レンジアが名前を呼ぶ。タンジは顔を歪めながら、振り向いた。


「大丈夫よ」

「……何がだよ。何も大丈夫なんかじゃねーだろ!」

「大丈夫」


 レンジアの力強い言葉に、タンジが止まる。


「私が、絶対になんとかするから」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る