動き出したもの

 ゲームのことなど、自分が悪役貴族であったことなど、完全に忘れて異世界をティランがエンジョイしている中。

 この世界の裏側では、ひっそりと物語が進みつつあった。


「……アフトクラトル辺境伯閣下」


 ニンス王国の辺境。

 ヴァール帝国と国境も接している、すべての貴族の中で最も大きな辺境の膨大な領地を運営する名家、アフトクラトル辺境伯領。

 その領地を統べる当主へと一つの黒い影が近づいてきていた。


「……お前か」


 アフトクラトル辺境伯家の広大な屋敷の一室、執務室で作業をしていた男。

 ティランの実の父でもあるアフトクラトル辺境伯家の当主、デセーオ・アフトクラトルは視線を上げて自分の元にやってきた黒い影へと視線を送る。


「えぇ、私めにございます」


 黒い影。

 文字通り、この部屋に確実にいながらもただの黒い影しか見えない男はデセーオの己を呼ぶ声に頷く。


「何用か?」


「かねてよりのことを」


「……」


 黒い影の言葉を聞いたデセーオは一つ、指を鳴らす。

 それによって発動されるのは一つの強固な結界魔法だった。

 ただでさえ、二重の結界で隔離されているアフトクラトル辺境伯家の屋敷。

 そんな中でも、その心臓部である執務室を隔離する一つの結界。

 ここまでやった上でなお、更にもう一つの結界を作りだして、万全の状態となったところでデセーオが口を開く。


「どうだ?ニンス王国へと叛意を翻すための準備は」


「問題ございません。すべてが思い通りに進んでおります」


「……」


「国内にバレない程度の偽金を流通させることで経済への影響を与えると共に、武具の流出なども僅かに進めております。まだこれらが真価を発揮するのは数年後でしょうが、それでも事は進めております。また、鉱山経営がうまく行かないようにするなどの根回しも順調です。それと例のものも」


「ならば、良い」


「ハッ。ご満足していただけたのなら良かったです」


「あぁ、満足だ。お前らの力を改めて評価しよう」


「ありがとうございます……それにしても、ご子息はよろしいので?」


「放っておけ。あいつに俺の色を付けるつもりなどない。あいつは別で動く。好きなようにな」


「なるほど……負けた後のケアは万全と。勝った時のケアはどうするおつもりで?」


「本命を残している」


「なるほど。そうでしたか……御見それいたしました。それでは、私めの方はこれで失礼させていただきます」


「あぁ、また頼む」


「承知いたしました」


 短くやり取りをまとめ終えた後、黒い影は静かにこの執務室から消えていく。

 そして、執務室にただ一人残ったのはデセーオとなる。


「ふぅー」

 

 一人、執務室へと残されたデセーオは深々とため息を吐いて、天を仰ぐ。


「……我が家の悲願は未だ潰えておらぬ」


 そして、デセーオはそのまま口を開く。


「我らは、かつてのように一つの国として再び起き上がる」


 彼の口から漏れ出してくるのは長年の、ずっとアフトクラトル辺境伯家が、かつてニンス王国に敗れて併合されたアフトクラトル王国が王族の末裔としての切実なる願いだった。

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