トワイライト・ナイトメア

ほらほら

第1話 桐谷翔太

 ……ここは、何処だ?


 いや、知っている。それは、過去の出来事。そして何度も見た光景。


「ギャハハ、マジかよー。こいつ本当にやりやがった」

「〇〇君最低〜。やめてあげなよ〜」

「お前も笑ってんじゃん」


 声が耳にこびりついて離れない。高校の教室に笑い声が響く。クラスメートたちの冷酷な視線に晒されるたび、ここが自分の居場所ではないのだと痛感した。翔太の心は冷え切り、無力感が押し寄せる。笑い声と侮蔑の言葉が交錯し、彼の心をえぐる。


 教室の隅に追いやられた翔太は、声を上げることもできず、ただその場に立ち尽くすのだ。


 それが夢だと知りながらも。


「……はっ」


 目を醒ます。呼吸は荒く、全身は嫌な汗でびっしょり濡れていた。


「夢か……」


 もうずいぶん見ていないのに。


 翔太は、頭を左右に振り気だるい気持ちを抑えベッドから起き上がる。


 窓の外は夕暮れのオレンジ色に染まっていた。

 翔太が眠る前はまだ朝方だった為、随分と寝入ってしまっていたようだ。


「……もう夕方、仕事は……休み、だよな」


 コンビニの夜勤バイト。ようやく半年、大学中退後転々としてきた職では割と続いた生業も、すっかり嫌でたまらない。


「……出かけよう。そうすれば気分も晴れる」


 自分にそう言い聞かせると、翔太は立ち上がり服を脱ぎ捨て風呂場に入る。


 築四十年、家賃五万円のボロアパート。一人暮らしには充分な広さ。

 だが、風呂場は痩せぎすの翔太ですら息苦しく感じるほど窮屈だった。


 ぽたぽたと水の漏れる蛇口を捻り、未だ冷たい水を被ると、ようやく少し嫌な汗が引く。

 ボディソープをスポンジにつけ、力任せにゴシゴシと体を洗う。泡が辺りに飛び散り、水はけの悪い床を濡らす。


 数分間は無心で体を洗い、ようやく満足すると翔太は風呂場を後にする。

 濡れた髪を乾かす気力も湧かず、バスタオルを頭に載せたまま、鏡に映る自分の姿を見る。痩せこけた頰と落ち窪んだ瞳。その目は、まるで死人のように光が無い。翔太は鏡から目を逸らし、服に着替える。


 財布とスマホをポケットに突っ込むと、そのまま玄関に向かう。ボロボロで、擦り切れ、汚れた靴。それはまるで自分の人生を表しているようだ。翔太は自嘲気味に顔を歪める。だが、その笑みもすぐに消え、無表情に重い鉄の扉を押し開け、外へと踏み出した。


 外は夕暮れ時、仕事帰りのサラリーマンや、学校帰りの学生、主婦で賑わっていた。しかし、誰一人として翔太には目をくれず通り過ぎて行く。翔太は、それが当たり前というように受け入れ歩き出す。自分を知るものがいない町をひたすら歩く。自分はこの世界に必要ないのだと自覚しながら。


 翔太が向かった先は駅前のパチンコ店だった。自動扉が開くと、騒音が耳に突き刺さる。翔太は虚ろな目で店内を一瞥すると、ふらりふらりと台を物色する。どうせ出ないのだから適当に座れば良いのにと、我ながら馬鹿らしくなる。


 どの台も液晶画面がピカピカと光っており、目がチカチカする。


 ……元来、人がたくさんいる所は苦手だった。

 だがそれ以上に無為に時が過ぎてゆくのを実感するのが恐ろしかった。玉が出てくるのを眺めていれば少なくともその間だけは、自身の空虚さを忘れていられる。


 翔太は人と関わらないよう隅っこのパチンコ台を選ぶ。それは翔太なりの防衛本能なのか、それとも自己否定なのか。

 翔太にも最早分からないのだった。


 ****


 二時間程遊べば翔太の日給分の金などあっという間に吹き飛び、手元には僅かばかりの菓子類が残る。


「はぁ」


 それを口に放り込み、当てもなく夜の街を彷徨う。


 公園に、本屋、ゲームセンター。

 行くあてもなくただ歩く。


 駅前のロータリーでは学生とおぼしき若者らが陽気に騒ぎ立て、それを道行く人が疎ましそうに一瞥する。


 飲み屋やカラオケの客引きが、気だるげに声を上げ、それを迷惑そうにサラリーマンが避けて通る。


 翔太はそんな光景を無感動に見つめ、また歩き出す。


 やがて日もとっぷりと暮れ、辺りはすっかり闇に包まれた。それでも翔太は歩き続ける。


 行くあてもなく、ただ歩く。

 まるで亡霊のように。

 いや、亡霊そのもの。きっと自分はもう死んでいるのだ。


 翔太は、まるで他人事のようにそんなことを考える。


 プルル……ルル


 スマホが鳴る。画面を見ると、バイト先の店長からの着信。

 翔太はそれを無視する。どうせろくな事ではないのは分かっている。


 だが……


 ルル……ルルル


 鳴り止まない着信音。翔太は舌打ちするとスマホを耳に当てる。


「はい、桐谷です」

「あっ桐谷君? 悪いんだけどさ、このあとシフト入ってくれないかな。

 ちょっと穴が空いちゃって」


 挨拶も前置きもなく、いきなり用件を切り出す店長。だが、翔太にとってそんなことは日常だ。

 どだい、自分なんかに対して敬意を持ってもらえると期待するのが間違っている。


 だが、それでも翔太の心に苛立ちが湧き上がる。

 それは、店長にではなく、今日は休みだと、そんな当たり前の主張すら出来ない自分自身に対して。


 結局、翔太は店長の言葉に了承の意を示すと電話を切る。

 翔太は、暗い道を一人歩く。

 その足取りは酷く重い。

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