3.

 今から半年前。僕は彼女を乗せた車で、この山を走っていた。そこで僕は事故を起こし、彼女を死なせてしまった…。

 ここまで話すと、老人が悲痛な表情を浮かべる。

「まさか。あなたが、あの事故の当事者だったとは」

「…」

 老人の言葉に、僕は何も返せない。その時のことを思い出して、気持ちが不安定になっているからだ。

 そのまま黙り込んでいると、老人が沈黙を破るように口を開く。

「怪我は治られたのですか」

「ええ。治療の甲斐あって、先月退院しました。意識を失うほどの重症でしたが、幸い後遺症もありません」

「それはよかった」

「ただ、心の傷は癒えないままです」

 僕がそう答えると、老人は言葉を詰まらせた。

「事故から目を覚ました日から、胸にぽっかり穴が開いたままなんです。いつもいた彼女はもう、この世にいないんだって」

「…」

「…その日は、いつものデートでした。会社の取引先で出会った僕たちは、週末にドライブするのが好きだったんです。ですが、その日は、互いの忙しさから1ヶ月ぶりのデートだったんです」

 口を噤んでいる老人をよそに、僕は話を続ける。

「互いの近況話やショッピングと楽しく過ごせていました。ですが、その帰り道に、些細なことで喧嘩になったんです」

「…聞いてもよろしいんですか」

 老人の気遣うような言葉に、僕は頷きで返す。

「僕がさりげなく聞いてしまったんです。『他の男と浮気なんてしてないよね?』って」

「おやおや」

「冗談のつもりだったんです。久しぶりの再会っていうのと、その1ヶ月間連絡が普段より遅かったっていう不安があったものですから…」

「…」

「笑って否定してくれるかと期待してたんですが、逆に怒らせてしまったんです。『久しぶりのデートだっていうのに、なんでそんなこと言うの』って」

「…」

「彼女の言う通りですよ。ですが、その時の僕は怒り返してしまいました。不安からさりげなく聞いただけなのに、そんなに怒られるのが理解できなかったんです」

「そんなことがあったんですね。…まさか、その喧嘩に夢中になって…」

 老人の推測に、僕は頷きで肯定の意を示す。

「喧嘩に夢中になってしまい、気がついた時には、壁が目の前でした」

「なんと…」

「ほんと、馬鹿なことしてしまいましたよ…」

 過去の自分への怒りと後悔で声を震わせる。そして、僕の頬を涙が伝って行く。

「まさか、あんなことになるなんて…。過去に戻れるなら、戻りたいものです…」

「お客様…」

「僕がこの山に来たのは、彼女の元に行こうと思ったからなんです」

「後追い、ですか」

「ええ。…僕さっき、怪我は治ったって言ったじゃないですか」

「それが何か?」

「実は僕、ガンを患ってるんです」

「なんと…」

 僕の告白に、老人は絶句している。彼の反応に対し、僕は口角を少し上げる。

「もって半年です。ガンに殺されるよりも、一日でも早く彼女の元に行きたいんです…」

 そこまで話したところで、僕は口を閉ざした。


 僕が話を終えてから、老人は黙り込んだままでいる。そうしてしばらく経った頃、老人が俯いたままの僕を見て口を開く。

「お話しいただき、ありがとうございます」

「いえ…」

「…実は私、言いそびれたことがありまして」

「え?」

 気になった僕は顔を上げ、老人の目を見る。

「言いそびれたことって?」

「この店には、死者が訪れるんです」

「…はい?」

 老人の答えを受け、僕はキョトンとする。

「死者が訪れる?」

「ええ。この山で事故や事件に巻き込まれた者。そして、自殺した者もです」

「何を言って…」

 僕が困惑したまま答える、その時だった。


 ガタッ。


 背後から聞こえた物音。突然の物音に少し驚いた僕は、そっちに振り向いた。その瞬間、僕は言葉を失った。

はるか…?」

 僕は目を見開いたまま、視線の先にいる人物の名を呟く。テーブル席に新聞を読んで座っていた客は、事故で死んだはずの彼女だったのだ。

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