代わりの人

増田朋美

代わりの人

暑い日であった。それにしても一雨来てほしいものであるが、そんなことはサラサラないとでもいいたげに、暑い日々が続いている。こんな暑い日なので外出するにもままならず、その日も蘭は、エアコンの効いた部屋の中で、のんびりと本を読んでいるところだった。のだが、

「おーい蘭。ちょっと風呂を貸してくれ。もうずっと風呂に入ってないから、暑くてたまらんのだ。」

と言いながらやってきたのは、華岡であった。どうも蘭は、この明るすぎる性格の警視が苦手であった。

「どうしたんだよ。」

蘭がそういう前に、華岡はどんどん蘭の家の風呂場に行ってしまった。

「ああ家の風呂に比べると、車椅子のやつの風呂ってのは、広くていいなあ。じゃあ、入らせてもらうぜ。」

全く、華岡も困ったものだ。人の風呂を平気で使うんだから。華岡は風呂につかっている間、蘭は茶菓子を用意しながら、大きなため息をついた。華岡が風呂から出てくるのには、一時間近くかかった。

「それにしても、今日はどうしたの?なにか又事件があったのか?」

髪を拭きながら、戻ってきた華岡に蘭は言った。

「俺が来たからには、殺人事件の捜査に決まってるでしょ。あのな、お前、菅原絹代という女性を知っているな。知らないとは言わせないよ。お前に、背中に菊の花を入れて貰ったと言ってたからな。」

華岡はすぐに蘭に返した。

「ああ、菅原絹代さんは確かに僕のところに来ているよ。彼女がどうかしたのか?」

「実はな、菅原絹代を被疑者として取り調べているんだが、彼女、俺達のことをまるで信用しないらしく、一度も喋ろうとしないんだ。だから、お前だったら、話をしてくれるんじゃないかなと思って。」

華岡がそう言うと、

「被疑者って、何の被疑者なんだよ。」

蘭は思わず言った。

「もちろん殺人事件さ。蘭、お前は知らないのかい?テレビや新聞でも話題になっているのだが?」

「ごめん。新聞は読まないし、テレビは壊れたままにしていて、新しいのを買いに行く暇が無いんだよ。」

蘭がそう言うと、華岡はため息をついた。

「まあ事件の概要を話すとだな。吉永高校近くの道路で、高野という男性教師が、刃物で滅多刺しになって発見された。凶器は見つかっていないが、遺体に、10箇所以上刺し傷があったことから、犯人は、明確な殺意があったと睨んでいる。それで、吉永高校近くの刃物屋に聞き込みを入れたところ、若い女が、包丁を買いに来たという証言が得られて、似顔絵などから菅原絹代と断定された。彼女に話を聞こうと試みたが、全く何も喋らないので、俺達は困っているわけだ。お前だったらなにか知っているんじゃないかと思ったんだが、、、。」

「そうなんだね。そんな事件があったなんて知らなかったよ。本当に菅原さんの起こした事件なのだろうか?」

蘭は、華岡の話に、そういったのであるが、

「まあ、少なくとも、刃物屋を、菅原絹代が訪れたのは、間違いない。そこから俺達は、犯人だと思っているんだが、とにかく何も話をしないんだ。一言も口を聞こうとしない。そういうわけなので、犯行の動機などもさっぱりわからず、俺達は、迷宮入りしている。」

と、華岡は言った。

「それで僕に何をしろと言うんだよ。」

蘭が思わずいうと、

「だから、俺達は困ってるんだから、お前も手伝ってくれ。お前は少なくとも、菅原絹代の背中に、菊の花を入れたんだろ。それなら、お前の言う通り、刺青師は、客がどうしても気持ちを切り替えられないのを、手助けするのが仕事だって、いつも言ってたじゃないか。そうなると、人生のおっきなターニング・ポイントになると思うぞ。だから、お前も俺達の捜査に協力してくれないか。な、頼む!」

華岡は、蘭に頭を下げるのであった。

「そうだけど、僕みたいな人が、手伝いをしていいものだろうか?」

蘭は困った顔でいうと、

「よし!じゃあ、交渉成立みたいだね。それでは、お前も手伝ってくれ。俺達ではできないこともあるって、ちゃんとわかってるから、俺もちゃんと、お前の指示も受けるよ。」

華岡は、急いで言った。

「とりあえず、彼女、菅原絹代に合わせろよ。」

蘭がそういったたため、華岡は蘭をパトカーに乗せ、富士警察署まで連れて行った。車椅子の蘭に、警察署の入口をくぐるのは難しかった。華岡に手伝って貰って、富士警察署へ入らせて貰ったのであるが、入口を突破して、接見室に連れて行ってもらうためには、かなり時間がかかった。

接見室に行って、アクリル板越しに菅原絹代に会った蘭であったが、蘭が見た菅原絹代とは、明らかに違っていた。蘭の下へやってきた絹代は、とても前向きで、これからも頑張ろうという態度だった。でも、ここにいる絹代は、なんだか全身の力が抜けてしまったような感じで、そのような感じではまったくなかった。

「菅原さん。お望み通り、彫師の先生を連れてまいりました。これで、ちゃんと話をしてくれるだろうな?」

と華岡がいうと、

「先生、来てくれたんですか。」

とても小さな声で絹代は言った。

「あの、失礼ですが、背中を拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」

蘭は思わずそう言ってしまう。絹代はわかりましたと言って、着ていたジャージをめくった。確かに、立派な菊の花が背中に大きく入れられている。けれど、それが、美しく見えないのは、絹代の態度に張りがないというか、そういうことから来るのだろう。蘭は、急いでもう良いよと言うと、絹代さんは、ジャージをもとに戻して椅子に座った。

「まあとにかくだな。とにかく、彼女に、その事件を起こした理由というか、それを聞いてみてくれ。よろしく頼むよ。」

華岡は警察らしくそう言っているが、蘭はどうやって事件のことを話したら良いのか困ってしまった。確かにここにいるのは、蘭が背中を預かった女性であるが、どうしても同一人物とは思えないのである。

「ほら頼むよ。お前だって、お客が話してくれるのを聞いてるんだから、話をすることは出来るだろう?」

華岡は急き立てているが、

「なにかお辛いことがあったんですか?」

蘭は思わずそう聞いてしまう。

「俺が知りたいのは、事件の動機とかそういうことなんだが?」

華岡はそう言っているが、

「お辛いことって、先生、いいましたよね。あたしはね、いつも辛い気持ちでいきてますよ。だから、先生のところに来たんじゃないですか。それでは、いけませんか?」

と絹代はそう答えたのであった。

「多分そういうことであるとは思うけど、それでもつらい思いを我慢して生きていくと、僕におっしゃってくれましたよね、あのとき。それは忘れてしまったんですか?」

蘭は優しくそう言うが、

「ええでもね、先生はそう言ってくれるけれど、他の人達はそういうことは無いじゃないですか。みんな私のことを、役にたたないただの精神障害者と思い込んでいるのです。だから私は、こういうことをするしか役にたたないんですよ。」

絹代はそう言ってしまう。しかしそこですぐに華岡が、

「今、こういうことをするしか役に立たないっていいましたね。それでは、事件の黒幕がいたということか!」

とすぐにそれをついたのであるが、

「ちょっとまってください。まず彼女の話を聞くことから始めましょう。すぐに事件のことを話をさせるのはやめたほうがいいですよ。」

蘭は華岡を止めたが、しかし、華岡は、もうその話に食いついていた。

「もしかしたら、誰かに、代理でやってくれと、頼まれたのか?」

「華岡。」

蘭はそういったのであるが、

「それでは、あんたに、代理で殺人を依頼した人物は誰だ?その名前を話してくれるか。そうすれば事件の方向性も又変わってくるから!」

華岡の方は、興奮してしまっている。

「いえ、それはいえません。あたしがやったことです。高野という教師は、暇があれば授業態度が悪いとか、進路決定が遅すぎるとかで、怒鳴ってましたから。」

と、絹代は話し始めた。

「でも、絹代さんが吉永高校を卒業したのは確か5年前で、直近では無いよねえ。高野先生にひどいことされた経験があったんですか?」

蘭が優しくそうきくと、

「ええ。ありました。あたしは、ひどいことされても、一生懸命耐えてきたのです。その高野先生が原因で、私がおかしくなったようなものだから、それで私は、頭にきて高野先生を刺しました。どうですか、それなら間違いないでしょう。あたしの話だけで信じられないんだったら、」

絹代さんはそういうので、華岡が凶器はどこに捨てたと聞くと、自宅のゴミ箱に捨てたと答えた。蘭は、それを聞いて本当にそうなのかと思った。

「本当にあるんですか?」

と蘭は、思わず聞いてしまう。

「家宅捜索でもすればいいじゃない!あたしの家の、台所のゴミ箱にあるはずですよ。あたしが、高野先生を殺したのは間違いないんです。それで辻褄あってるんだから、サッサと私を逮捕してくれればいいでしょう!それもしてくださらないのですか?」

「いやあ、ねえ。本人の自供だけでは、警察は動けないので、、、。それに、あんたは、自分は、役に立たないとか、そういうことを言った。それの真偽もはっきりさせないと、警察は、動けないんだ。」

逆上した絹代さんに華岡は言った。その怒り方といい、まさしく精神障害者という感じだった。

「少し待ってくれますか。彼女は、精神疾患を持っているんです。その彼女が錯乱したら、正確な事件の答えが得られなくなると思います。」

蘭は華岡に言った。華岡も、そうなったらたしかに困ると思って、

「本日の取り調べはここまでにしましょう。」

と言って、椅子から立ち上がった。

「あの!本当にこの事件は私がやったんです。私が高野先生を恨んで、それでやっただけのことですから、他に黒幕がいるとか、そういうことは、ありません!」

そう言っている絹代さんの声を最後まで聞くことはなく、蘭は、接見室をでなければならなかった。

その翌日。蘭は、一人で介護タクシーに乗って、吉永高校に行ってみた。もともと女子高校であったため、女子生徒が非常に多いのは確かである。だけど、尻が見えそうなくらい、スカートを短くしている生徒、ブレザーの下からブラウスの裾を出している生徒、髪を金髪に染めている生徒など、本当に真面目そうな生徒は誰もいない。なんだかそのような生徒たちは、とても反抗的で、確かに一部の大人であれば、殴られることもあるのではないかと予感してしまうことだろう。蘭が、学校の正面玄関へ車椅子で向かうと、生徒たちは何あの人といいたげな顔で、蘭を眺めていた。

「失礼いたします。」

蘭は、受付事務員に言った。

「はい。何の御用でしょうか?」

と、受付事務員が間延びして言うと、

「僕は、伊能蘭というものですが、こちらに通学していた、菅原絹代という生徒について伺いたいことがありまして。校長先生におあいしてもよろしいでしょうか?」

蘭は、急いで言った。

「では校長室へいらしてください。」

受付係に言われて蘭は校長室へ向かう。しかし、蘭を出迎えた中年のおばさんの校長先生は、まだ昨年赴任してきたばかりで、五年前に、菅原絹代という生徒がいたということなど知らないような感じで、のらりくらりと蘭の話を聞くだけであった。これでは、何も収穫は得られないと思った蘭は、すみませんでしたとだけ言って、校長室をあとにするしかなかった。

蘭が、何も収穫が無いと思って、残念そうに吉永高校をあとにしようとすると、一人の女子生徒が出てきて、蘭の車椅子に手をかけた。

「あの、正門まで送ります。」

そういう女子生徒は、やはり制服のスカートを短くして、確かに不真面目そうな生徒ではあるが、ちゃんと蘭に対して敬語をつかっているので、悪そうな生徒ではないようだ。

「いえ、大丈夫です。車椅子は一人でいけますから。」

と蘭は、そういうのであるが、

「あの、高野先生と、菅原絹代さんのことを調べているんですよね?」

と、彼女は言うのである。

「なにかご存知なんですか?」

と蘭は聞くと、

「ええ、菅原絹代さんは、姉の同級生だったんです。」

と彼女は答えた。

「あたしの知ってることが、絹代さんを逮捕することにつながってしまうことになるのかわかりませんが、少なくとも、絹代さんは、とても優しくて、真面目な人でした。明るい人という感じではなかったけど、勉強はよくできてて、姉はすごい人だと思っていたそうです。」

「じゃあ、友達付き合いとか、そういうことはあったのでしょうか?」

蘭がそうきくと、

「いいえ。それはありませんでした。姉の話によると、服装が悪いことを指摘されることもなく、高野先生からも可愛がられていたそうです。だから、姉たちは、それが面白くて、彼女にちょっかいを出したこともあったそうですが、彼女はそれに怯むことなく、学校に通っていました。姉は、どうして一人ぼっちの彼女が、毎日学校に通うことができたのか、不思議だと言っていました。」

と女子生徒は答えた。

「そうですか。それほど、孤立していたということですか。だけど、どうして、彼女は、そういうことをすることができたのでしょうか?なにか、する秘訣というか、そういうことがあったはずですよ。誰か親友がいたとか、そういうことがなければ、孤立したまま、3年間も学校に通うことができたというのは、まず不可能ですよね。」

蘭がそう言うと、女子生徒は、ちょっと考え込むように言って、

「ええ。姉は、二度と、その話をすることはありませんでしたが、というのは、結婚して家を出ていってしまったのでもう聞けないんですよ。だけど、姉が一度だけ私に漏らしてくれたことがあって。実は、姉のクラスで、自殺に追い込まれた生徒さんがいたそうなんです。名前も所番地も聞けなかったけど。でも、そういう生徒さんがいたことは、確かなんだって姉は言ってました。」

と、言った。

「ゴメンなさい、それ以上のことは授業があるんであたし言えないですけど、絹代さんのこと、しっかり調べてくださいね。お願いします。」

「はい。わかりました。貴重な証言をありがとう。」

蘭は、申し訳無さそうな顔をして、女子生徒さんに頭を下げ、吉永高校を出ていった。そのまま自宅へ戻ると、又華岡がやってきていて、又風呂を貸してほしいといった。蘭が、又かと呆れた顔でいうと、華岡は汗を拭きながら椅子に座って、

「それでなあ。俺達も、ちょっと、吉永高校の生徒や他の関係者に聞いてみたんだが、吉永高校の3年生のクラスに、自殺した男子生徒がいたらしいんだ。名前は、竹本とか言ったな。えーと、確か、竹本良治さんとか、そう言ってたな。なんかとても優秀な子だったらしいけど、生徒があまりにも真剣に勉強する気がなかったのと、友達ができなかったのを寂しくて自殺したらしいんだ。」

と、蘭に言った。

「実は僕も、吉永高校に行って見たのだが、同じような話を聞いた。その人が竹本良治さんというのかい?」

蘭は急いでそう言ってみると、

「そうらしいんだ。」

と、華岡は言った。

「それで、竹本良治さんと、菅原絹代さんが、なにか関係があったんだろうか?」

蘭は華岡に聞いてみたが、

「それがねえ。そのあたりは、菅原絹代さんが何も話さないので、はっきりしていない。だけど、どこか関係があるんだとは思うけど、、、。」

と華岡は腕組みをした。それと同時に、華岡のカバンの中にしまい込んでおいた、スマートフォンがなった。

「はいはいもしもし。は?それは本当か!俺すぐ行くよ。すぐ待ってくれ!」

華岡はそういうことを言って、急いで電話アプリの電源をきり、猪突猛進に、蘭の家を飛び出していった。それと同時に、メモ用紙が一枚落ちた。蘭がそれを拾い上げると、メモには、竹本紗夜という名前が描いてある。竹本という名字から、蘭はピンときた。もしかしたら、竹本良治さんの、身内ではないか?

蘭は、そのメモ用紙を財布の中にしまい、急いでスマートフォンを出して、竹本良治と検索を入れてみた。もしかしたら、SNSとかそういうものが見つかるかもしれない。そうすると、やはり見つかった。竹本良治さんの名前でSNSに投稿している写真があった。その写真には、若い男性と女性が一緒に写っている写真だった。男性の方は、おそらく竹本良治さんで、女性の方は、髪型は変えているけれど、間違いなく菅原絹代さんだった。そうなると、蘭は、こういうことかと考えた。竹本良治さんと、菅原絹代さんは、おそらく同級生でおつきあいをしていたのだろう。しかし、良治さんが自殺してしまい、自殺に追い込んだ高野先生に、絹代さんが復習しようと思ったのだ。しかし、絹代さんが、ああしてめった刺しにしてしまうだろうか?そこが疑問であった。だって菅原絹代さんは蘭が見た限りでは、とても明るくて、優しい女性だったはずなのでは?

そうこうしているうちに、蘭のスマートフォンがなった。誰だと思ったら華岡からであった。

「ああ蘭か。多分俺、お前のところにメモ用紙を落としたんだと思うんだけどさあ。後で手紙でも送ってくれないかなあ?実は、竹本紗夜が、自殺を図ったみたいで、俺今病院を出られそうに無いんだ。」

そう言っている華岡の声を聞いて、蘭は、もう聞いて見ようと思って、

「それでは、竹本紗夜さんというのは、やっぱり、竹本良治さんの。」

と言ってしまった。

「ああそうだ。竹本良治さんのお母さんだ。」

「じゃあ、そういうことなら、やっぱり、竹本紗夜さんという人が、菅原絹代さんに、高野の殺害を?」

思わず聞いてしまう。取り調べはこれからなんだろうけど、蘭は聞いてしまった。そう思ってしまう蘭に、華岡は、

「とにかくメモ用紙は、後で送ってくれ。」

と言って電話を切った。

蘭はどうして菅原絹代さんが、そうなってしまったか、自分には彼女を止められなかったか絶望的な気持ちになって、がっくりと落ち込んだが、それでは、行けないと思った。改めて、菅原絹代さんに会いに行こうと思った。



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代わりの人 増田朋美 @masubuchi4996

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