第18話 PANTA『クリスタルナハト』

 1938年11月8日、ベルリンで起こったユダヤ人襲撃事件。商店街の窓ガラスが砕け散り、キラキラと輝いていたという事から『水晶の夜クリスタルナハト』と呼ばれています。これがホロコーストの始まりだったとの事です。ドイツ人にとっては忘れられない事件。それを日本人であるPANTAが、壮大なコンセプトアルバムとして表現したものです。その重いテーマの為、なかなか形にはならなかったけれど、『R☆E☆D』を完成させた自信と、もうすぐ事件から50年になるというタイミングがあったため、製作に踏み切る事になりました。


 まずは挨拶代わりに1987年1月に12インチシングル『プラハからの手紙』が発売されました。『プラハからの手紙』は10分を超える大作で、これから発売されるアルバムは、陽気の欠片もない、重いものであるだろう事が想像出来ました。何よりも歌詞が生々しい。難解な歌詞ばかりだけど、その雰囲気から凄惨な歴史が見えてきそうです。

『GESANG DES SOLDATEN DER ROTEN ARMEE』は、『赤軍兵士の詩』の続編と言える曲で、メロディは同じもの。歌詞に出てくる『ペンキ屋』は、ヒットラーの事です。『スカンジナビア』は、美しいナンバー。『アドルフ』という歌詞があるけれど、当初は『秀吉』だったらしい。


 https://www.youtube.com/watch?v=YmDoChJfE0E


 PANTAは神経症以降、体調は良くなかったそうです。胃潰瘍まで併発して。しかしながら、嫌な事をやっていたわけではないので、辛さを感じていたわけではないのは幸いでした。


 紆余曲折もありまして、PANTAにとってライフワークと言える作品とも集大成とも言われる渾身の傑作『クリスタルナハト』は完成しました。やれる事はやったけど、それでも悔いが残る部分がある。でもそれがあるから傑作だと語っています。

 PANTAは、重い歌詞だからこそポップでロックなものにしたいと心がけたそうです。1曲目の『終宴』は、音的にはストレートなロックですが、歌詞はまるで救いのない世界のように思えます。続く『ダー・ダー・ヤー・ヤー』も戦場を思わせる歌詞、更に続く『BLOCK25 AUSCHWITS』に関しては、歴史に詳しい人なら、ガス室を連想するでしょう。


 https://www.youtube.com/watch?v=bw2-ssGq_MQ


『クリスタルナハト』に関しては、今まで以上に難解な言葉も並んでいますが、PANTAは、「難しい言葉は確かに多いかもしれない。でもその為に辞典があるんだから(笑)」と語っていました。今はネットもありますし、昔よりも簡単に調べられるのでしょうけれど、その分、正確な情報を吟味しなければならない手間はあります。でも苦労して調べ上げて、その言葉の意味を知った時の達成感は大きいですね。もっとも、普通に調べてもわからない言葉もあるのも事実です。例えば『プラハからの手紙』の歌詞の『黒い9月の未亡人』。一見、普通の言葉に見えますが、実は『黒い9月』というのは、ミュンヘンオリンピックでイスラエルの選手を殺害したパレスチナのテロ組織の名前だったりします。『夜と霧の中で』の『夜と霧』は、ヒトラーが強制収容所への連行を命令した『夜と霧作戦』からでもあり、ドイツのフランクルによる『夜と霧』という強制収容所での体験について書かれた書物でもあります。ここでは絶望の中にも希望がある事を説いています。


 https://www.youtube.com/watch?v=KZinJJdLCLc


『聖樹』に出てくるパブロはピカソの事で、当然『ゲルニカ』は戦争の悲惨さを描いた彼の大作の事です。『メール・ド・グラス』に出てくる『ワンゼイの湖』は、ワンゼイ湖の秘密会議でユダヤ人の虐殺が決められたという事に由来するとか。どれだけネタを隠しているんだろうとは思いますが、こういった謎解きは一生終わりそうもないですね。


 https://www.youtube.com/watch?v=o2JLSCHZoRk


 突出して優れた曲があるというわけではないですが、アルバムを通して捨て曲など無く、それぞれが深い意味を持っているようです。そして最後の曲の『オリオン頌歌第2章』では、微かな希望も見えてきます。舌触りのよい音楽しか聴かないような人には、確実に拒絶されるでしょうけれど、日本ロック史に残る傑作のひとつと言えるものでしょう。


 https://www.youtube.com/watch?v=gABsLZ_GcJ4


 余談ですが、『クリスタルナハト』と次回作の『PISS』は、アナログ盤のジャケットと初回発売時のCDのジャケットが異なります。『クリスタルナハト』の初回CDは、カラーの写真を使用(アナログ盤はモノクロ)、『PISS』の初回CDは、写真がアップになっている別のフォトを使用(アナログ盤は全体が映っているフォトを使用)

 再発のCDは、アナログの仕様に統一されています。『プラハからの手紙』はアナログ盤には収録されていませんが、CD盤の方も収録はシュートバージョンになっています。(これがオリジナルらしいですが)


 そして意外ですが、PANTAはアニメやゲームにも興味を持っていたそうです。『攻殻機動隊』のような感じのものが好きだったようで、『新世紀エヴァンゲリオン』に関しては、研究本に自論を提供した事もあったほどです。

『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』がテレビ放送されると勧められた時には、映像の美しさや拘り等に絶賛していました。そしてヴァイオレットと『クリスタル・ナハト』に出てくる少女フロイラインが重なって見えたと言っています。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る