第5話 灯火

「え、オリオくん、水都ウエパ出身だったんだ?」

「ええ、うちの実家は聖杯教団の近くに商店を出していましたので……」


 毛布から頭を出した「てるてる坊主」状態でユリンは素っ頓狂な声を上げる。オリオはユリンのさらしのほつれを直しつつ答えた。


 二人の前では火にかけられたホットチョコレートが甘い匂いを立てている。


「それでボクの格好について何も言わなかったんだね……」


 ユリンは毛布の中でもぞもぞと座りなおす。水都ウエパは100の島、200の運河、400の橋を擁する美しい美術と教会の街、聖杯教団の総本山がある街でもある。ユリンも幼いころ基礎修行のため1か月ほど、滞在したことがあった。水都ウエパの人間であれば、聖杯教団の修行尼の装束についても知識があって当然だろう。


「はい。妹が病気になったときに教団の方にはお世話になりましたからね」


 オリオはユリンにさらしを返した。少女はそれを受け取ると毛布の中で巻き始める。


「そうなんだ……妹さんってオリオと同じぐらいの年?」

「……ええ、俺たち、双子なんで……同い年ですね」


 オリオは鍋から椀に注ぐ手を一瞬止めて、答えた。鍋を退けた焚火の火がパチリと音を立てる。


「はい。温かいうちに」

「ほあー……いい香り……」


 ユリンは念のため身だしなみを確認して、椀を受け取った。椀から立ち上る甘い香りに、ユリンは幼い日にウエパで出会った女の子のことを思いだす。オリオと同じ髪色、同じくらいの年。だとすれば、あの子はオリオの妹ではなかろうか。


 幼い日、教団の修練の合間にウエパの街を探検しているときにユリンはその子と出会った。お腹を空かせていたユリンにその子は持っていたチョコレートを分けてくれた。その子はウエパの街のことをユリンに教えてくれた。ユリンはその子に街の外のことや魚の取り方や虫の取り方を教えた。一度は街を抜け出して、先生に怒られたりもした。何か約束もしたかもしれない。たった一か月のおぼろげな記憶であったが、ユリンにとって大事な思い出でもあった。


「もしかして、妹さんって、オリオくんと同じ赤髪?」

「……っ! 妹を、見たんですか!!??」


 身を乗り出して反応するオリオにユリンは思わず椀を取り落とすところだった。オリオの足元で食器と鍋がぶつかって、大きい音を立てる。


「……え、と、子供のころの話……だよ?」

「……そう……ですか……」

「……妹さんに、なにかあった……の?」

「……」


 オリオの明らかな落胆におおよその事情を察しながら、ユリンは問う。オリオはそれを言うべきか、少し逡巡しているようであった。ユリンは椀のホットチョコレートを一口飲む。10年ぶりに味わうそれは昔よりも少し苦い気がした。


「ユリンさんは、『ダンジョン災』に巻き込まれた人間が生きていると思いますか?」

「……えっと……?」


 『ダンジョン災』、世界にダンジョンが生まれる時に発生する魔力の嵐であり、その場にあったものはダンジョンに再構成される謎の現象である。基本的には人の往来の少ない場所で発生するダンジョンであるが、街で発生した事象も記録上、いくつか存在する。そしてその一つにユリンは心当たりがあった。


「もしかして……1年前のウエパのダンジョン災で……?」

「……」


 オリオは無言で首肯する。ウエパの辺縁部でダンジョン災があったことはユリンも聞き及んでいた。数人の行方不明者が出ていることも。


「……」


 ユリンは返答に迷う。ダンジョン災で行方不明になった人がダンジョンの中で「発見」された例はある。だが、生きて保護されたという例をユリンは知らなかった。


「でも、俺は感じてるんです。妹がまだ生きてるって」


 双子の勘ってやつですけどね。オリオは無理に笑って言う。


「それが……オリオくんの……」

「はい。俺がここにいる理由です」


 ユリンは毛布を肩にかけなおした。焚火の焔がユリンの瞳の中で揺れる。


「……あっ……冷めてしまいましたね。すいません。温めなおします」

「あ……うん……」


 オリオがユリンの手から椀を受け取ると、鍋に戻して温めなおし始めた。ユリンは眉根を寄せて首をかしげて考える。


「「……これからのことなん(だけど)(ですが)……」」


 手持無沙汰になったタイミングで、ユリンとオリオの声が重なる。気恥ずかしい沈黙の中、オリオはユリンにどうぞと手で促した。


「えっと……その……なんて言ったらいいのかな……」

「ユリンさん?」


 切り出したもののぐちゃぐちゃで言葉がまとまらない。普段は何も考えずに喋っているユリンには珍しいことだ。オリオくんの助けになりたい。でも、オリオくんの足手まといになるかもしれない。邪魔になって幻滅されたくはない。


「いろいろと助けてもらっちゃったしさ……ここ出るまで……ボクをオリオくんの好きにしていいよ! 捨ててっちゃっても構わないし! えっと……どう……かな……」


 ユリンの長いまつげの奥で鳶色の瞳が揺れる。思わず乗り出した腕の間で控えめな膨らみが寄せられわずかな谷間をさらしの上にのぞかせる。


「え……と……それは……どういう……」


 オリオは後ろにのけぞって、眼を反らした。焚火の赤い光がオリオの顔を染め上げた。


「……え……と……あ……」

「……え……ぇとですね……」

「え……えっちなのは……ダメだから! ……って、そうじゃなくて……」


 ユリンはようやく自分が言った言葉の解釈の幅を理解した。オリオの顔を染めた焚火の赤い光がユリンの顔にも広がっていく。ユリンは驚いた猫のように飛びのくと毛布で全身を隠した。


 鍋の中でホットチョコレートがと音を立てた。オリオは慌てて鍋を火からおろす。炎の揺らめく音だけがダンジョンの中に響いている。


「パーティー、組んでもらえますか」


 オリオが居住まいを正して、ユリンに手を伸ばす。


「よろしく、お願いします……」


 オリオの手を握り返したユリンの声は、かろうじてオリオの耳に届いた。


 この選択がユリンとオリオ、二人の運命を大きく変えることになることを、二人はまだ知らない。

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