第6話 決戦

 ガンっ……ギィン……


「……やり……づらいっ……」


 あれから半日と少し、ダンジョンの大部屋――おそらく最奥で、ユリンは想定外の敵に苦戦を強いられていた。


 ユリンの聖水量はほぼ100%、籠手の聖気も十分だ。短期決戦でダンジョンの主と渡り合うには十全の準備と言える。だが、それが逆にユリンを追い込んでいた。


(オリオくんにも姿を消して待機してもらってるけど……)


 ユリンは首の後ろのチリチリとした空気から、2つの気配の攻防を感じる。


(そっちもそっちでやってるってことだよね……)


 ユリンは構えると眼前の敵に集中する。ユリンの目の前にいたのは、ユリンそっくりの姿をした黒い影であった。


(「ドッペル」……人真似魔物、それを見ると死ぬ……って、そういう意味じゃないと思うんだけどなあ……)

 

 首と脇腹の打撲を聖杯祈祷で治療しながら、ユリンは仕掛けるタイミングを計る。ドッペルもまた、左上腕と脇腹、砕けたあご骨を治療しつつユリンとの間合いを測っていた。


 ドッペルはユリンの体術を完全に模倣している。聖水量100%の《聖水の加護》を受けたユリンの一撃は正に必殺であるが、同じ加護を受けているドッペルに同程度の守りがある以上、それは必殺に足りなかった。


(長引くと、限界が来ちゃう……。早く、決着をつけないと……)


 お互い聖水量は限界のはず……。この場で限界を迎えたら……。ユリンは何かがお尻からぞわりと背筋を上がってくるのを感じ、それ以上考えないことにした。


(速攻!)


 ユリンは旋棍を創造し、石畳を踏みぬく勢いで踏み込むと一瞬でドッペルに切迫する。ドッペルも旋棍を創造し、それを受けた。蒼に輝く二つの竜巻が激突し、旋棍同士が打ち合う音がダンジョンの壁に響く。馬の尾のようなユリンの髪が激しく波打ち、ぶつかり合う二つの音は加速する。そのリズムは馬の速歩から、駈歩、そして襲歩に達する。


(反応速度は同じ……でもっ!)


 ドッペルの繰り出す型は当然、ユリンの熟知しているものだ。であれば、ユリンは先の先を取れる。ユリンの型はドッペルと打ち合う中で、より洗練されていく。先読みの分だけユリンの速度がドッペルの速度を上回り、ドッペルのダメージが蓄積していく。


 キィン


 ……ついに、一際高い音を立てて、ドッペルの手から旋棍がはじけ飛んだ。


(……っ……一気に決めるっ!)


 受けたダメージ以上に、限界を超えた駆動でユリンの身体は疲弊しきっていた。聖水量の限界もとっくに来ているはずである。だが、ユリンの頭は疲労を通り越して、クリアに澄み渡っていく。


「【聖杯祈祷】《女神の鉄槌》!」

[……【聖杯祈祷】《女神の鉄槌》]


 ユリンの蒼光をドッペルの蒼光が迎え撃つ。だが、それも天才格闘美少女の読みのうちであった。


 ユリンは《女神の鉄槌》の発動をディレイして、右手の籠手を軸に斜め前に回転する。逆立ちからの左後ろ蹴りがドッペルの左肩を突き、無理やりに突き出されたドッペルの右腕をユリンの右足が捕らえる。右腕を蹴り上げられたドッペルの蒼光が天井に突き刺さり、右腕に蒼光をまとったユリンがドッペルに正対した。表情のないはずのドッペルの顔に驚愕の色が浮かぶ。


「はあああああああっ!!!」


 気合とともに、ユリンは右腕を全力で振りぬいた。蒼銀の光から放たれた質量ある何かがドッペルの身体を撥ね飛ばし、光の粒子でできた実体のない羽毛がそれを追う。ドッペルは石畳の上を何度かバウンドし、壁にたたきつけられた。


「ごふっ……ひゅ~……」


 発声を行わない魔物が、模倣した人体構造上上げざるを得ない悲鳴を上げて、部屋の隅で立ち上がろうともがく。


(まだ、消滅してない!!??)


 籠手に込められた全ての聖気を使っても、ドッペルを倒し切れていない。ユリンは《聖水の加護》の堅牢さを見誤っていた。


「……っ……でも……とどめ!」


 だが、ドッペルはすでに立ち上がれないほどに消耗している。ユリンはとどめを刺そうと床を蹴ろうとして……。


 ぷしっ……


 自身の限界の音を聞いた。


「は……うぅっ……」


 聖水がこぼれそうになり、両手で聖印を押さえてしまう。手放した旋棍が地面に落ちる高い音が大部屋に響いた。


(ど、どう……しよ……?)


 戦いの最中であることも忘れて、ユリンは狼狽する。腰が引けて、つややかなお尻を突き出す恥ずかしいポーズになってしまっていることにすらユリンの意識は回っていない。


(《聖水の儀》……? オリオくんが見てる……のに……??)


 ユリンの眼が泳ぐ。内ももを聖水が伝う。聖杯教団の修道尼の服は本来、戦闘中においても《聖水の儀》を滞りなく行うためのものである。ユリンもその訓練を受けている。しかしながら、ユリンの少女らしい羞恥心は、その実現を困難なものにしていた。


 そして、もう一人のドッペルはその隙を見逃すほど、優しくはなかった。


「逃げろ!」

「……ふぇ?」


 ユリンの前にオリオが姿を表し、《落雷の杖》をユリンの背後に向けつつ声を荒げる。そこには黒い影を帯びたオリオ、オリオのドッペルが《雷獣の牙》を無防備な少女の首筋に押し当てようとしていた。


パァン

バチィ


 オリオの《落雷の杖》とドッペルオリオの《雷獣の牙》、二つの工芸品がユリンを挟んで咆哮を上げた。ドッペルオリオは額を撃ちぬかれ、そのまま消滅する。だが、その牙はすでにユリンに届いていた。


「あ……が……」


 ユリンのポニーテールがビクンと跳ねる。髪留めが千切れて長い長髪がさらりと落ちた。痛みでユリンの思考は真っ白に塗りつぶされる。白目を剥いてそのまま頭から倒れこみそうになる。


「ユリンさん!!」


 石畳に頭を打ち付けそうになるユリンをオリオが何とか支えた。ガクガクと震えるユリンの膝の下、聖水の水たまりが広がっていく。


(オリオ……くん……?)


 両肩にかけられた手にユリンは意識を取り戻す。最初に感じた感情は安らぎ、しかし太ももを伝う熱い感触がそれを羞恥で即座に上書きした。


「……や……だっ……」


 オリオを突き飛ばす。熱くなる耳と冷たくなる耳の後ろ。ユリンは自らの身体をかき抱くとぺしゃりと水たまりに座り込んだ。


チョロロロ……


 目の前が真っ白だった。オリオが肩を揺さぶって何かを言っていたがユリンは意味のある言葉としてとらえられない。自らから失われていく聖水の音とうるさすぎる心臓の鼓動だけがユリンの耳を支配していた。


(オリオくんに……オリオくんに……見られちゃった……ボクの……恥ずかしいところ……)

(聖水量75%……50%……漏れちゃう……戦えなくなっちゃう……)

(ドッペルは? とどめを……とどめを刺さないと……)


 混乱するユリンの思考。脱力と羞恥心がもたらす不思議な感覚にユリンはぼろぼろと涙を流して懊悩する。それでもユリンの生存本能はユリンの思考を超え、その身体を緊張させた。キュウと自分を折りたたむようにして、聖水の流出を何とか押さえる。


「俺が片をつけてきます」

「ひゃ……え……」


 自らを抱きしめてブルブルと震えているユリンにオリオはマントをかけた。短杖をリロードし、立ち上がろうとするドッペルユリンに駆け寄る。オリオはドッペルの肩を踏んでうつぶせに転がすと首筋に短杖を向け、引き金を引いた。


 パァン


 乾いた音が響く。血しぶきがダンジョンの床に散る。


「ぐぅ!?」


 うめき声をあげたのはオリオの方だった。ドッペルの左手がオリオの手首ごと《落雷の杖》をつかんでいる。オリオの手首がみしりと音を立てた。左耳を吹き飛ばされたドッペルが機械のように身体を起こす。


 ドッペルの蒼銀の籠手は彼女の太ももの間で、あふれ出た聖水を貪っていた。ドッペルがオリオを妖しくねめつける。ドッペルには心がない。それゆえに、人前で《聖水の儀》ができないというユリンの弱点を模倣してはいない。


 ドッペルの蒼銀の籠手がうっすらと輝き、治療の祈祷を発動する。左耳の傷の血が止まる。オリオは右手をつかまれたまま、《雷獣の牙》を取り出そうとする。だが、それよりもドッペルの動きの方が早かった。


「うぁ……」


 万力のような力でオリオの手首にドッペルの指が食い込む。身体の自由が利かず、オリオは《雷獣の牙》を取り落とし、膝をついた。

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