第3話 冒険商人オリオ

「せいっ……! はっ!」


 ユリンは飛び上がり、眼前の魔物に蹴りを見舞う。額、胸、みぞおちと正中線の急所に沿って正確に撃ち込まれた蹴撃に、豚の頭部をした人型魔物オークは汚い呻きを上げて身体を折る。どうぞとばかりに差し出されたその首に、天才格闘少女は踵を打ち下ろし、魔から生み出された生命を停止させた。


(これ……で……何体目……だっけ……)


 塵となって醜い魔物は消滅していく。しかし、それを見やるユリンの眼には憔悴が浮かんでいた。息が上がり、細い肩とさらしに包まれたつつましい膨らみが大きく喘ぐ。健康美にあふれた小麦色の肌には玉のような汗が浮かんでは流れていた。


「……はぁ……んっく……ねぇ……いー加減、荷物かえしてよ~? はぁ……ブタさんの顔見てると、おなか、すいちゃったや……」


 ユリンの眼前と背後には同種の魔物が群れをなして、ユリンの退路を塞いでいた。意識を取り戻し、荷物を忘れたことに気づいて戻ったユリン。だが、荷物はすでに魔物に持ち去られていた。慎重に荷物の痕跡を追ったユリンだったが、それ以上に狡猾な魔物によって、いわゆる魔物の巣へと誘い込まれてしまう。それから1時間と少し、ユリンは次から次へと襲ってくる魔物を屠り続けていた。


(《聖水の加護》があれば……ブタさんなんか……よゆーなのにぃ……)


 ただの数をそろえた魔物、普段のユリンであれば敵ではない。だが、聖水量ほぼ0%、《聖水の加護》を失ったユリンにとって、タフネスを頼みに力押しで来る豚頭は相性が悪かった。体重差によってユリンの一撃は必殺になりえず、繰り出すために必要な手数はユリンの体力を少しずつだが確実に奪っていく。


「……はぁっ……キミがっ……ランチでもおごってくれるの?」


 軽口を叩きながらも疲労を隠せないユリンに、豚頭魔物たちの中から一回り大きな豚頭が立ちふさがる。一振りでユリンの頭を三回砕いても余りある鈍器を軽々と持ち上げ、大豚頭は生臭い息を漏らしながら笑う。


「でも、ひき肉ステーキは……ごめんかなっ!」


 攻め込まれると不利。ユリンは大豚頭に距離を詰めようとする。しかし……。


「……は……ぇ……?」


 ユリンは激しい空腹感とめまいを感じてよろめいた。その隙に大豚頭がユリンに距離を詰めてくる。足がもつれる。大豚頭の耳障りな呼吸音がユリンの耳をざわつかせた。


(身体……動かない……まず……い……?)


 治癒術をかけているが、身体の脱力感もめまいも消えてはくれない。ハンガーノック。長時間の戦いの中でユリンの身体は急性のエネルギー切れに陥っていた。鈍くなる思考、動かない脚。大豚頭がその得物をユリンの脳天に振り下ろそうとする――


 ババババババババッ


 「にょえ!?」


 爆竹の大きな破裂音がユリンの背後で炸裂した。煙のような匂いが鼻をつく。豚頭のリーダーの注意がそちらに逸れる。ユリンは大豚頭の隙だらけの背後に人影が迫るのを見、自身の眼を疑った。


(……女?……ううん……男…………?)


 人間の男性。歳はユリンと同じくらいだろうか。くすんだような赤い髪。少女と見まがいそうな童顔に丸眼鏡。ユリンはそれが疲労が見せた幻覚かと思った。理由は二つ。一つは彼にかつての友人の面影を感じたこと。もう一つは――


(……ボク以外、誰も……いなかった……はず……)


 これほどまでに近くに誰かがいたならば、ユリンや豚頭が気づかないはずはなかった。だが、少年は濃緑の外套を翻し、そこにいた。


 少年は手に持ったこぶし大の箱を大豚頭の首筋に突き立てる。それは《雷獣の牙》と呼ばれるショックを与える錬金道具。なにかが爆ぜるような音とともに大豚頭は全身をのけぞらせて動きを止めた。


 少年はさらに大豚頭の泡を吹く豚面にもう片手の短杖を構えた。雷が木に落ちたような破裂音と同時に豚頭の頭部の半分が消し飛ぶ。《落雷の杖》。これもまた内蔵の機構により弾丸を射出する錬金道具である。


「大丈夫ですか?! ケガは?」

「え……と……お腹すいちゃって……」


 少年の勢いに気圧されて素直に答えるユリン。バツの悪さに笑おうとするが、疲労にへたり込もうとする身体に抗うのがやっとで、ユリンが思うほど余裕のある表情をできてはいなかった。少年は少し考えると懐から小さな紙包みと水筒を出してユリンの手に握らせる。


「これ、食べてください。あと水も」

「あ……ありがと……」


 紙包みの中は砂糖菓子だった。ユリンはじっくりと味わいたい欲望をこらえて、それをぼりぼりと噛み砕くと水と一緒に流し込んだ。口の中に広がる甘酸っぱい味だけで、少し元気が出てくる。


「……んっ……く……と、ボクはユリン。『聖杯騎士』ユリンだよ。キミは?」

「俺は『冒険商人』オリオって言います」


 オリオと名乗った少年は《落雷の杖》に新たな弾丸を装填。まだ、ふらふらとしているユリンを魔物からかばうように立つ。ユリンはその名にかすかに覚えがあった。確か、ここ一年で一気にランクを上げた冒険者。その名前が確か……「オリオ」であった……はず。


「ユリンさん」

「う……ん……?」

「ええと……」


 魔物たちはリーダーを失った混乱から立ち直りつつあった。その数、十体以上。その数を前に、オリオは震える声でユリンに言った。


「できるだけ早く回復してくださいね。俺、弱いんで」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る