まごの手

キナコ

まごの手

 孫がいなくなった。

 息子夫婦はそれこそ死に物狂いで、警察はもとより近所から親戚まで頼れるところはすべて頼って、心当たりのある場所から、歩いて行けるような池や川原や土手をくまなく探し回ったが、見当たらなかった。

 二日経ち、三日が経っても手掛かりはようとして掴めない。ひょっとしてと思いつつ、待っても不審な電話がかかるでもなく、脅迫状が届くわけでもなかった。誰かに憎まれる心当たりも、誰かを恨んだ心当たりもないと、夫婦は絞り出すように言う。ただ時間だけがじりじりと過ぎていった。

 孫を最後に見たのは、私だった。私は息子たちとまともに顔を合わすことができず、自室に引き込んでじっと息を潜めるように過ごすほかなかった。


 孫は小学二年生。体が小さいので女の子のようにも見える男の子である。じいちゃん、じいちゃんと懐いてはいたが、如何せん可愛げというものがなく、近頃やけに大人びた口を利くようになった。


 先日も私と散歩の途中、吠えついてきた近所の犬を杖で思い切り叩いたところ「かわいそうだから止めて」などと言う始末。何がかわいそうなものか。人に向かって吠えるような駄犬は、思い切り打擲ちょうちゃくして躾けてやらねばならぬというのに。

 これは人とて同じことなのだ。叩くということは、相手を思い、相手の為になることなのだが、その厳しさ故に、じつに己の心をも打つことに繋がる行為なのである。相手を鍛え、そして己も鍛えるという優れて高貴な行いなのだ。このような尊い行為こそが、人類を進歩せしめるのである。


 あの日も変わることのない、いつもの夕刻であった。小学二年生の小僧があまりに生意気な口を利くので、ついに私の堪忍袋の尾が切れた。今どきの、所謂キレたというやつである。なぜそうなったか今ではよく覚えておらん。しかし、このまま放っておいては、ロクデモナイ大人になることは明らかである。申し述べたように私がキレたのにはそれ相応の理由があり、躾けるためには致し方のない出来事であったのだ。仕方がなかったのだ。


 彼の骸を自室の床下に埋めると、私は仏壇の妻にことの次第を報告した。もちろん許してはもらえぬと思ったが、なんと妻は寛大にも私に許しを与え、あまつさえ、その秘密を持ったままこちらにいらしゃいと、温かい言葉までくれたのである。私はこのような妻に対し、優しい言葉のひとつも掛けてやれなかったことを今となっては悔やんでも悔やみきれない。


 さて、しばらくして、少し匂うかなと気になり、畳をはぐって床下を見たところ、どういうわけか右腕が少し地面から出ているではないか。しかも、それはまるで握手を求めるかのように、私に向かって真っ直ぐに伸びているのである。私は了解した。彼は、己の増上慢を反省し、和解を申し出てきたに違いない。

 あい分かった。私は伸ばされた手をしっかりと握り返した。暖かな親愛の情が湧いた。例え、いっとき憎らしくても、そこはやはり身内である。家族である。そのような心情が、つい私の手にいらぬ力を入れさせた。彼の右腕が肘からすっぽりと抜け、私の手元に残った。


 かれこれ一年近く経つ。家の中は相変わらず火が消えたように沈んだままである。

 孫の手はいい塩梅に干からびて、背中を掻くのにちょうど良い硬さになっている。

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