第2話

 姉に手紙を読まれて数日、彼がいないという寂しさだけが心の中を通り抜ける以外は拍子抜けする位に平凡で穏やかな日々が過ぎ去っていた。

 彼からの手紙は時々遅れたりもするけれど、定期的に送られてきて少しだけ温もりを感じる事ができる。それがなんて幸せで嬉しい事だろうか。どうかどうか、この幸せがずっと続きますように。


 そんな事を考えているなんて彼に言ったら、どんな顔をするだろうか。


 呆れるかもしれないし、笑うかもしれない。もしかしたら、もしかしたら、僕と同じ気持ちだとはにかみならが言葉を紡いでくれるかもしれない。

 馬鹿だ、そんな訳ないと頭の中で理解しながらも心のどこかでは期待しながら学校から帰宅し、日課となってしまっているポストの中を確認してみるがチラシが数枚、差出人不明の姉への手紙が両手では足りない位入っているだけだった。ガッカリしながらもいつも通りに父の書斎へ行き、いつも通り僕が好きな椅子に座っていると、普段よりやや乱暴に扉が開けられ姉がやはり普段より乱暴に歩きながら定位置のソファへ腰を下ろす。

 姉はどこかイラついた様子で僕へ視線を送り、ゆっくりとした溜め息を吐く。

「ダメよ、全くダメ。全然誠意的でないのよ、最初は猫を被って穏やかな男を演じていたみたいだけれど。すぐに化けの皮は剥がれたわ!ああ、本当に見る目がない」

「相変わらずだね」

「当然でしょう?大切な時間を過ごすのだから、誠意は大事よ。ああ、思い出しても腹が立つ。あの男、私が少し上目遣いに微笑んで手に手をそっと添えただけで強く掴んで男前だった顔が一瞬にしてドロドロお化けみたいに顔のパーツを崩してきて、あろうことか私の唇に唇を押し付けてこようとしたのよ。気持ち悪いったらありゃしない!あれはダメよ。私が許さないわ」

 せっかく姉のお眼鏡にかかりそうだったのだろうに、下心を出したばかりに逆鱗に触れてしまったらしい。目の前に居た淑やかなレディが突然豹変し、罵詈雑言を撒き散らしながらビンタをしてくる姿はさぞ驚いた事だろう。他人ながらに合掌してしまう。

「どうせビンタしたのだろう?」

「当たり前よ!そもそも、その男、結婚を前提にお付き合いしていた彼女が居たのよ?それなのに他の女性に手を出そうとするなんてクズでしかないわ」

「それは酷いね」

 姉は白く細く手入れの行き届いた繊細だが芯の通った枝葉の様な足を組み、あろうことか整った爪を噛んでいる。淑やかな姿を好む母が見たら気絶ものだろう。

「ああ、もうもうもう!!!イライラする」

「冷たい紅茶を淹れてあげるから、そんなカリカリしないでよ。見ている方が心臓に悪い」

「今日は檸檬グラスティーがいいわ。気分も爽快になろうだろうし」


 僕は立ち上がり、姉のご所望通り檸檬グラスティーを作るため部屋を出る。しかし姉の興味をそこまで惹きつける男が居たという事が僕には驚きだった。普段の姉ならば相手から接触していくるという事はあれど自分から接触しに行くという事はしないはずだからだ。

 彼にその事を言ったらどんな反応をするだろうか。きっと眉間に皺を寄せ苦笑いの様な笑みを浮かべ「君の姉君らしい」と言うだろう。

 彼からの手紙の返事が来たら、姉には悪いが話のネタになっていただこう。こうして甲斐甲斐しく姉に紅茶を淹れているのだ、それくらい許して欲しいものだ。


「はい、どうぞ」

 淡い檸檬色を通し姉を見る。グラスと水によって屈曲する姉は先ほどよりは落ち着いたらしく普段通りに姿勢良くソファに座り小さくため息をついた。

「ありがとう、僕ちゃん。いけないわね、赤い縄の話を過信しすぎたのかしら」

「赤い縄なんてあるわけないだろ。いつまでその話をするんだよ」

「あら、私には見えたのよ。本当に、本当に一瞬だけ、ちらりと。だから相応しい殿方か試したのだから。まあ、結果は残念なことになってしまったけれど」

「フゥン」

「仕方がないわ、さあ、次に行きましょう、僕ちゃん」

「はいはい」


 僕の方に穏やかに微笑みかけ紅茶を飲む姉は美しく、美しく触っただけで欠けてしまいそうなほど儚げだ。

 怒り出すと烈火の如く閻魔大王すら裸足で逃げ出しそうだけれど。


「ねぇ、それより明日学校の帰りに新しくできたパフェーを食べに行きましょう?すごく美味しいってクラスで噂されているの」

「ええ、甘いのは嫌だよ。それに姉さんと行くと、次の日に学校で言われるから嫌だ」

「珈琲もあるらしいから、ね?僕ちゃん、お願い」

 わざとらしく上目遣いでこちらを見てくる姿は側から見たらすぐにでも許可してしまいそうになるくらい愛らしいのだろう、だけれど僕からしてみたら悪魔様閻魔様でしかない。ここで嫌がったとしても無駄だろう、僕は大人しく頷く。


 ああ、早く彼からの手紙が届きますように。



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