熊本地震からの逃亡。(5)
「自分たちだけ楽な方法をとりたくない」
父親の葛藤がこの一言に表れていると思う。自分も今、顧みれば「楽」な方法をとった事に変わりはない、と考えている。幸い父母は年金生活者、自分は転職活動中だった。
だが県外に避難先を持たない方や仕事などで留まらざるをえなかった方たち。避難所を筆頭として壊れた自宅、車内、あるいは庭に張ったテントに…。その方々は、またいつ襲ってくるか分からない揺れに怯えながらも熊本を離れられないのだ。
だから兎に角、罪悪感でいっぱいだった。後ろめたい。父親の「自分たちだけ楽な方法をとりたくない」と放った言葉の意味を、熊本空港から自宅へ帰る道すがら、ずっと考えていたのを憶えている。
だから自分は"被災者"ではなく『(地震)体験者』だと思っているし"避難"ではなく『逃亡』と思っている。
午前7時頃。戸締りを再確認し近所の方へ「佐賀へ行く」と報告して回った(こうしないと行方不明者になりかねないから)。
既に高速道路は通行止め、公共交通機関はマヒし、県の中心を走る国道は大渋滞しているとの情報をワンセグから得ていた。一瞬困惑したが、たまに訪れていた夏目漱石『草枕』にも登場する金峰山の裾野を走る501号線経由で佐賀へ向かう事を提案した。大きく迂回する事になるが仕方ない。
車窓から眺める熊本の街は極端だった。古い建物は徹底的に破壊されているのだが比較的新しい建物は無傷なものもあった。更に不思議な事に隣り合った同じぐらいに建てられたと思われる家屋が片方は全壊、もう片方はほぼ無傷だという光景によく出くわした。恐らく断層の関係かと思われる。
ガソリンスタンドには20台くらいの車列が並んでいる。信号機は止まっている箇所とついている箇所、ばらばら。市内中心部に近づくにつれ渋滞がひどくなっていく。沿道の家屋やビルも信号機同様に先程、記した通り倒壊・無傷が入り混じっていた。ただ、一様にブロック塀は倒れていた。確か1978年の宮城県沖地震でブロック塀の下敷きになり亡くなった人が多数出た、と記憶がある。この地震がきっかけで耐震基準が見直されたはずだ。その耐震基準のおかげで、その見直し後に建った我が家は倒壊しなかったと言ってもいい。
1時間ほどかけて中心部から抜け、金峰山の裾野を走っていた。左には有明海。市内の惨状との違いが驚く程にあった。とにかくここが同じ熊本市内である事が信じられない程「何も」地震の影響が見当たらなかった(勿論、被害はあった筈だが)。ただ、いつも訪れていた時と同じように長閑な風景が広がる。更に不思議なほどに静かなのだ。いつも訪れていた時より明らかに車が走っていない。その静けさが返って恐ろしい、そう思った。同じく噴火で多くの犠牲者を出した長崎・雲仙岳を眺めながら明日の自分を想像してみたが、車内のワンセグが伝える東海大学・阿蘇キャンパスでの救出活動を見て
「自分たちだけ楽な方法をとりたくない」
という父親の言葉が心に刺さってきた。やはり我々は逃亡しているのだ。逃げている。しかしもうどうしようもない。
みかんで有名な河内で給油をして、再度、有明海を北上する。相変わらず長閑な山村の風景が広がる。みかん畑を眺めていると本当に地震が起こったのか、と思う程にのんびりした車窓。現実離れしすぎている。ただこっちのほうが『日常』で我々が遭った事の方が『非日常』なのだ。
そういえば朝から何も食べていない。熊本県北部に辿り着いた午前10時頃、食事をとる為にファミリーレストランやチェーン店、個人経営の飲食店を訪れたが、先々に『本日は臨時休業させていただきます』との紙が貼られてあった。きっと物流が止まっているからだろう。町が異常に静かだったのが不気味だった。
ちょうど正午前、佐賀空港に到着。早速、全日空のカウンターに行き次の羽田便のチケットを取る。その際、また余震が起こった。受付係の女性も動揺していた。当日搭乗なので正規料金、仕方がない。
幸い佐賀空港にある唯一の食堂は営業していた。メニューがカレーとちゃんぽんのみ。選択肢はない。
中国からのLCCが就航しているため食堂は中国人観光客しか見当たらなかっちた。ウェイターも中国語を流暢に話している。
ちゃんぽんを頼み食べたが全く味がしない。頭は熊本の事でいっぱいだった。本当に正しい選択をしたのか未だにわからなかった。中国人観光客が笑っていた。素直に羨ましかった。
搭乗時間がやってきた。金属探知機を通る前、父母が手も降らずじっと自分を見つめていた。正直に言うと父母と居るのが苦しかった。逃げる様に金属探知機を通ろうとした、その時に再度、父母を見た、見てしまった。その視線がまるで"熊本"が自分を凝視している様に感じた。
佐賀へ行く道すがら熊本市民病院の前を通った時、何十台かの救急車が行列を作っていた光景を不意に思い出した。市民病院は倒壊の恐れがあった為、入院患者を他院に移送する為なのだが、それを見た時は多数の怪我人が運ばれ来たものかと思っていた。その時、自分はカメラを持っていて撮影しようと一瞬思ってしまったが、それは出来なかった。報道カメラマンでもない自分がそれをやるのはモラル違反だと思えた。
話は逸れるが昨今、事故・事件現場をスマホで撮影している人をよく見かけるが、自分にはとても出来ない。ましてやSNSで公開するなんて。しかしテレビ局側も積極的に呼びかけている。その究極が大阪で起きた飛び降り事件だと思う。ひとりの人間が死ぬ瞬間をスマホで記録する。この意味は社会全体で考えるべきだと思う。
不意に緊急地震速報の音が聴こえた、が、それは搭乗案内のメロディだった。
タラップから飛行機に搭乗する。羽田便の機内は半分以上空席だった。機内アナウンスでCAが熊本地震に触れていた。そして陽気な中国人観光客の笑い声、ゴォーという地鳴りのような音。飛行機のエンジン音が地震を想起させる。それから逃げて逃げて、逃げる。揺れる機体、揺れる心。
逃亡者の気分が自分を苛んでいた。
(6)へ続く。
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