第18話 ブラックは苦手


 ずっこけ海兵隊員をやっつけて、ピーチマンと伯爵は宿舎に帰ってきました。


『セリナ。バーに行かないか』


『まだ明るいわよ? それとも、まだ食べたりないの?』


『皆に君のコーヒーを飲んでもらいたいんだ』


『むっ』


 伯爵の口が尖りました。


『飲んだ時の顔を見て決めるぜ。

 君はカワイイから、お世辞言う奴もいるだろうしな』


『馬鹿にしないで! 美味しいに決まってるわ!』


『そんなに自信あるなら良いよな。じゃあ行こうぜ』


 そして、ピーチマンと伯爵は食堂にやって来ました。

 あっ。大佐がいます。

 目元をぐいぐいと押しています。

 大佐はいつも書類仕事で大変だそうです。

 眠気を吹き飛ばす為に、伯爵のコーヒーを飲みましょう。


『よ! たーいさっ!』


『あっ・・・貴様』


『コーヒーでもどうだい。奢るぜ』


『コーヒーか。そうだな。もらおう。睡眠不足な上に、目が疲れてしまった』


『だ、そうだ。セリナ』


 伯爵が図々しくカウンターの中に入っていきます。


『大佐。私がコーヒーを淹れてあげるわ』


『は!? 伯しゃ・・・げふん、セリナ自ら』


『そうよ。感想を聞きたいのよ』


『ありがたき幸せ』


 伯爵がコーヒーの袋をいくつか開けて、すんすん鼻を鳴らしました。


『これにするわ。これしかないわ』


『最高級の青山コーヒーじゃないか。いいのか、そんなの奢って』


『いいわよ』


 ごりごりごりごり・・・

 伯爵がミルの取手を持って、ゆっくり回します。


『早く回しちゃ駄目なのよ。細かくしすぎず、荒すぎず』


『さすがセリナだ。分かってるな』


『私は少し粗挽きくらいの方が好きだけど・・・このくらいが万人受けするのよ』


 挽いた豆をフィルターに入れて、お湯をゆっくり注ぎます。


『んー! 良い香りじゃないか!』


『はい、大佐! 飲んでちょうだい!』


『ありがとうございます』


 大佐がカップを取って、鼻の前に持ってきます。

 なんと素晴らしい香りでしょう。


『ううむ・・・素晴らしい』


 こくん。


『ぐむっ』


 べ! 大佐は慌てて吐き出しました。

 がたん! とスツールを倒して立ち上がって、ピーチマンを睨み付けました。


『貴様! 毒を盛りおったな!』


 ピーチマンはにやにやして伯爵を見ました。


『だ、そうだ。セリナ、どう思う』


『そんなはずないわ!』


 伯爵がカップを取ります。


『危険です!』


 大佐が伯爵の手からカップをもぎ取ります。


『ちょっと。毒程度で私が死ぬわけないでしょ。寄越しなさい』


『しかし! 万が一!』


『寄ー越ーせ! と! 言っているのよ!』


『は・・・』


 大佐が渋々カップを渡しました。

 伯爵は臆する事なく、ぐいっと飲みました。


『ああっ!?』


『美味しいじゃないの』


『・・・』


 ピーチマンがにやにやしながら大佐とセリナを見ています。


『大佐。ちゃんと飲んでみなよ。最高級の豆だぜ』


『いや、しかし』


『あーあ、なるほどな! 分かっちまったぜ。

 セリナ、大佐は見た目に似合わず子供舌ってやつなんだ。

 本当はブラックは飲めないんじゃないか? それでびっくりしちまったんだ。

 ミルクと砂糖を入れてやりなよ』


『もう。大佐、ブラックが飲めないなら、先に言いなさいよ』


『は・・・申し訳ありません』


 倒したスツールを戻して、大佐が座ります。


『大佐、ブラックが飲めないからって、恥ずかしがることないさ。

 かわいくて良いじゃないか』


『貴様』


『男ってのはそういうギャップに弱いのさ』


 ぱちっとピーチマンがウインクしました。

 ぎりっと大佐が歯ぎしりしました。

 かちゃり。

 大佐の前にミルクたっぷりのコーヒーが置かれました。

 自信満々の笑みで、伯爵が腕を組んでいます。


『失礼致します』


 匂いは全く普通です。


『う・・・くっ』


 しかし味は酷いものです。

 最高の豆で、ちゃんと挽いているのに、どうしてこんな味になるのでしょう。

 まるで腐った水が入った灰皿の水にチーズのカビを混ぜたようです。

 大佐はだらだらと汗を流しましたが、何とか飲み切りました。


『美味しゅうございました。結構なお点前』


 大佐が震える手でカップを戻しました。

 顔が白くなっています。


『セリナ。もうイッパイ淹れてやれよ。大佐の好みにぴったりだそうだ』


『そうね! 淹れてあげるわ! これで眠気もすっきりよ!』


 ぐ! と大佐がピーチマンの襟を掴みました。


『どうした大佐。俺にキスでもしたくなったか』


『ああ! 口移しで飲ませてやりたい!』


『ありがたいが遠慮しとくよ。

 ここで大佐のキスなんてもらったら、皆の嫉妬の目が突き刺さって失血死だ』


 ピーチマンがすいっと水が入ったコップを差し出しました。

 大佐はコップを奪い取って、一気飲みしました。


『マスター! 俺はいつものアイスミルク頼むよ』


『へい!』



----------



 大佐は何とか伯爵のコーヒーを飲み切りました。

 これ以上飲むと胃に悪いから、と3杯目はやめておきました。

 大佐が、だん! とコップをカウンターに叩きつけました。

 カウンターがびりびりと震えました。


『貴様・・・』


『なんだい』


『あんな物をよくも』


『セリナに聞こえるぜ。ナイショ話はベッドでするさ』


『ちっ! 水だ!』


 大佐のコップに水が注がれました。


『覚えておけよ』


『口移しでってのは忘れないぜ』


『ええい! 減らず口を叩く! 貴様に仕事だ!』


『いきなりなんだ。仕事?』


『そうだ。貴様がやらねばならん仕事だ』


『俺が? 指名でも入ったのか』


『ああそうだ。私からの指名だ』


『今度は陸軍か? それとも近衛兵団か?』


『いいや。ただの物探しだ』


『はあーっ? 物探し?』


『あの夜を覚えているか』


『あの夜? まだ大佐とベッドを半分こはしてないよな』


『私が剣を投げた夜だ』


『ああ。セクシーだったぜ』


 ふ、と大佐が鼻で笑いました。


『あの剣を拾ってこい。今すぐにだ』


『落とし物は交番に届くもんさ。警邏隊に聞いてみろよ』


『もう聞いた。見つかっていない。お前が探してこい』


『ここじゃ仕事は自分で選べるんだろ。

 だが、一緒に行ってくれるってんなら話は別だ。

 大佐とのデートはまだだもんな』


『そうか。私と一緒なら行くのか』


 大佐がにやにや笑っています。

 これは何か危険です。


『なあ、そろそろ部屋に帰っていいか。

 早く帰らないとママが心配するんだ』


『駄目だ』


『忘れてた。履いて洗ってないパンツがあるんだ。洗濯しなきゃ』


『帰ってからにしろ』


『じゃ、時計を取ってくるよ。遅刻しないように』


『貸してやる。私は時計をふたつ持つようにしている』


『ちぇーっ! 仕方・・・あっ』


 何かを思い出したように、ピーチマンが足を止めました。


『ん? どうかしたのか?』


 はて、とピーチマンが首を傾げました。

 そして、顎に手を当てて、少し考えました。


『大佐の剣って、あの投げた剣だな? 窓を割って・・・』


『そうだが、どうした?』


『あっ! ああーっ!』


『なんだ!? 見たのか!?』


『そうだ! あの剣! あの剣は確か・・・』


『どこだ!?』


『食べちまったよーっ! ははは!』


 さーっとピーチマンが食堂から逃げて行きました。


『待てッ! 逃さんッ!』


 大佐も走って行きました。


『ふーう』


 廊下の天井に張り付いていたピーチマンが下りてきました。

 ピーチマンは走っていく大佐の背中に手を振って、食堂に戻りました。

 そして、カウンターの伯爵の隣に座りました。


『あら。早かったじゃない』


『女の子に追いかけられるってのも悪くないが、今は気分じゃないんだ』


『コーヒー飲む?』


『口移しで飲ませてくれるなら頂くよ』


『ガキはミルクで我慢するのね』


『そうするさ。マスター、アイスミルク』

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