フィルム6枚目 憩い

 雑誌の入った本屋のビニール袋を手に持つ、オーバーサイズのニットに落ち着いたカーキのロングスカートを履いている少女、梓乃日向しのひなたが鳴らすブーツの足音を珈琲の香りが止める。

 思考より先に、ふらりと身体の向きを変えて木製のドアを開いて、馥郁ふくいくとした安心感が彼女を迎え入れる。

 

「いらっしゃいま、せ……」


 黒エプロンを首から下げる男子アルバイトこと、崎口悠太さきぐちゆうたが彼女を出迎えた。

 目の前のスタッフに、いつまでも席に案内されない違和感に一拍置いて梓乃しのは彼の存在に気が付く。


「あ。ここでバイト?」

「はい、先輩は買い物帰りですか?」

「そう。雑誌買ってた」

「いいですね。じゃあ席案内しますね」


 崎口さきぐちはゆっくりできそうな、窓から日が入る隅のテーブル席に案内して、メニューを選ぶ間バイト中どんなことをするのかを語らい、その様子を店長の黒羽くろばは穏やかにカウンタから眺めていた。

 しばらくすると、崎口さきぐち黒羽くろばの方へ大型犬の様にゆったり戻る。


「ブレンドのホットと、レモンタルト一つお願いします」

「はい。学校の人?」

「です。前にカメラ持ってたって話した人ですね」

「あーあの」


 黒羽くろばは慣れた手つきで、珈琲豆を自動ミルの中に飛び込ませ細かく砕き、フィルターの用意。レモンタルトを丸いお皿に乗せる崎口さきぐちの表情を彼女の落ち着いた目が映す。

 今まで社交的に特化したような言動と表情に、些細ながら自然さが透けて見えたように感じた。

 欲が無いからこそ、円滑に人生を回す彼の心のよりどころになりうる前兆に、店長として彼がどう成長するのか想像すると口角が自然と上がる。

 彼女の内心同様に、フィルターの中で挽かれた珈琲豆たちはドームを描き、豊かな香りがポットの中に垂れる。一杯分の珈琲をカップに注ぎ、丸いお盆にすでに置かれたレモンタルトの隣で白い湯気が優雅に舞う。


悠太ゆうた君いいよ、お願い」

「はい」


 カウンターを拭く崎口さきぐちは、キッチンクロスからお盆に持ち替え、梓乃しのが待つテーブルへ憩いの時間を運ぶ。


「お待たせしました」

「ありがと、……写真撮っていい?」

「はい、大丈夫ですよ」


 彼女は胴に当たるカメラを持ち上げ、儚く散らされた粉砂糖の隙間から覗く艶のある鮮やかな薄黄色のレモンクリームにレンズを向け、カメラは静かに瞬きをした。

 満足した彼女は、熱いコーヒーを薄い唇に当てる。


「先輩って食べ物も撮るんですね。てっきり景色ばかりかと」

「んー、景色もこれも同じ。雰囲気」

「雰囲気ですか? この花綺麗、とか美味しそうとか、みたいなことですかね」

「……多分?」


 言語化が苦手だからこそ映像に記録する梓乃しのは、崎口さきぐちの感覚の理詰めに思考回路がどんどん遅くなる。


崎口さきぐち君は、理由が無いと納得できない?」

「そう、ですね。でもみんなそうなんじゃ……」

「どうだろ、私は写真撮るの好きだけど……、でも理由……なんだろ」

「それは好きが理由になってるじゃないですか」


 崎口さきぐちは今まで、選ぶだけの理由が見つからない故に選択を放棄していた。そんな彼が真剣な目で、客観的に梓乃しのに寄り添うような言葉を掛ける。


「好きの理由探す人居ますけど、好きって一番わかりやすい理由じゃないですか?」

「そうなの?」

「……個人の見解です」

「……そっか」


 静かに熱を持つ言葉に押されながらも、梓乃しのは彼と話すことで、好きに対するぼやけたピントがゆっくりと焦点が合う感覚に椅子に掛ける体重が重くなる。

 自身の発言で顔のパーツを細める彼と、安心が滲む彼女の表情を温かい日差しが照らす。

 小屋に戻るようにカウンターに近寄る崎口さきぐち黒羽くろばは笑みを浮かべる。


「仲良さそうじゃん」

「……仲いいんですかね」

「これ、いる?」


 黒羽くろばが携帯の画面を見せつけるようにカウンターから腕を伸ばす。画面に映っていたのは、カウンターから覗く談笑する二人を陽が照らしている写真だった。

 崎口さきぐちは不満を見せながら店長である彼女を睨む。


「盗撮ですよ」

「すごい良い感じだったし、知り合いだしいっかなって」

「ダメです」

「だめか」

「ダメです」


 黒羽くろばは横目で梓乃しのの座るテーブルを見ると、珈琲の入ったポットを持って彼女の方へ近づく。


「おかわり、いかがですか?」


 崎口さきぐちは店長を見届けた後、クロスを手に戻しカウンターを端から端まで綺麗に吹き上げた。

 カウンターの中に入り、店長が二人を眺め止まっていたフィルターに残る豆かすの処理をしていると、機嫌よさそうに黒羽くろばはカウンターに戻る。

 

梓乃しのちゃんと連絡先交換してきた」

「……なんで」

「さっきの写真あげた」

「――なんで」

「本当に写真要らない?」

「……先輩が怒らなかったなら、もらいます。綺麗な写真でしたし」


 3人しかいない穏やかな空間に、通知音が一つ響いた。

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カメラ、先輩。 ただの浅倉 @asacura

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