応援コメント

第26話 ぼうさい甲子園」への応援コメント

  • お菓子を配る役割……なるほど、と思いながら読みました。
    避難所って、避難してきた人達が何の役割もなく、「接待所」のようになってしまうきらいがあります。大槌の取り組みは、役割を持たせることで自分も何かの役に立っているという自覚を生むと思います。もちろん、何でそんなことを自分が……と思う方もいるでしょうけど、避難所への足を向ける第一歩としては良いきっかけになると思いました。

    作者からの返信

    一つの事ですべてを賄うのはもちろん無理なのですが、この取り組みは少ないながらも「人を動かす」事のできる巧みな取り組みだと思えました。
    子どもが発信して、お年寄りが担う、という理想的な働きかけが不自然無くできていることに、いたく感動したものでした。
    この取り組みが、上手く機能することを願いつつ──。✨️

  • 何年か前に大槌町を訪れました。
    三陸鉄道が開通直前で、旧町役場の建物がまだ残っている頃です。
    大槌町文化交流センター「おしゃっち」の震災伝承室にも訪問しましたが
    家を守らなければいけないと、避難を拒んだご年配の方がいらっしゃったようです。
    そんな方もお孫さんや子どもには弱いものです。
    とても良いアイデアだと思います。

    作者からの返信

    まさに、その点に着目した素晴らしいアイデアだと思いました。
    もちろん、避難後の生活は過酷ではありますが、まず避難に向かってもらうことは重要です。
    実際に震災当時も、子どもや小学生中学生が率先して避難行動を見せることで、それに続いて大人たちも避難に移ったという実績もありました。
    こういった取り組みはぜひとも色んなところで広がってほしいものですね✨️

  • 明確な目的意識をもたせて、社会の中枢であった頃の経験を呼び覚まし、生かしてもらう。素晴らしいですね。
    それはそれで、変な方向に張り切ってしまって問題になる老人もいそうですが、「お菓子」なら平和で無害で、ちょうどいいです。
    肩透かしからの、「ああそれはいいなぁ」というオチ。拍手です。

    作者からの返信

    お年寄りに配られた巾着のサイズもまた絶妙でして、「小さい」んですねこれが。
    おそらく、飴玉が5~6個入る程度の本当に手のひらサイズのものでした。
    だれか一人いれば用が足りるような役割ではなく、鬱いでいる子ども、孤立している子ども、まだお菓子をもらっていない子どもを、お年寄りが避難所で自ら探し当てる、一人が一人を見守る、というコンパクトに纏めた目的意識と明確さ……。
    つくづく、「適度で適切な役割」というものに思案して作られたアイデアだと思いました✨️

    編集済
  • おお、これは素晴らしい。アイデアとはまさにこういうことをいうのだな、という妙案です。こういう柔軟にして老獪ですらあるようなところは見習っていきたいところですw
    老いては子に従え、かw

    作者からの返信

    NHKの番組で、この特集を組んでいたのですが、
    「防災巾着を作ってお年寄りに配る」
    という内容を始めに聞いたときにはひどく落胆したものでした。

    所詮は現代人の貧相な発想か…、こんなもんがグランプリとは……大したもんじゃねえな、ぼうさい甲子園

    と。

    しかし、その具体的な内容を聞いたときには目から鱗というか、土俵際でうっちゃられたというか(なんだそりゃ?)
    とにかく、その画期的さに自分のなかに一陣の涼風が吹き抜けたのを思い出します。

    これまで見聞きし感じた要素が全て繋がっていく、快感にすら思えるアイデアだと。

    そして、これを実行したのが中学生というのが素晴らしい。
    実際にどの程度効果があるのかは分かりませんが、これを持って避難しよう、避難所でお菓子を配ろう、と思ってくれるお年寄りが増えたであろうということは間違いないと思いました✨