第22話 閑話休題~この世は煉獄

 日本海側の米農家の被害が著しい。

 昨年からこっち、台風や豪雨災害によって日本海側の米どころの被害が深刻であります。農家の皆様に置かれましては、心よりお見舞い申し上げる所存でございます。


 …………………………


 うちは農家を名乗るのも烏滸がましいほどの弱小兼業農家で、細かいことを言えば第二種兼業農家(農業収入以外の収入が主たる収入となる形態)に当たる。

 うちの集落では現在40軒ほどの農家があるのだが、農業を主としている世帯はそのうち4世帯ほどである。そして、残りのうちの半数ほどが既に自力で作付を行っていない、と云う状況である。

 我が村のような僻地では農業という業態は緩やかな終わりを迎えようとしているのかもしれない。もちろん、現在は農地の区画整理とそれに伴う大規模化を推めており、いずれは上記4農家に農地が集約されていくことだろう。農家世帯は減っても農地としては存続させる、少なくとも現状の農業政策はこの様になっているのである。


 税金でのテコ入れをしてまで農地を維持することに意味はあるのか?


 おそらく多くの人がそう考えるであろうと思われる。

 実際のところ、目先の農産物の点から言えばあまり意味は無いのかもしれない。しかし、国民を養うための食料を作り出す土台となる農地は、一度放棄してしまうと元の農地に戻すことが非常に難しい。食料自給という生命線を他国に依存することの危うさは誰もが理解してることと思う。

 それとは別に、水田や農地というのはそれ自体が天然のダムのような役割を果たしているのである。今ある水田をすべて放棄地にしてしまうと、たちまち周辺の治水能力は破綻してしまうのである。全ての水田には管理者がいるという点も見逃せない。放棄された農地は、監視する目をも失ってしまうのである。

 少々話が逸れるが、昨今のクマ被害は、実はこういう山林の周辺地域で耕作放棄地が増えていることが遠因ともなっているのである。人の手が入っていることを認識しているクマは、そう簡単に人里にはおりてこないものである。

 目立たない点ではあるが、農地の維持というのは国土の維持と同義なのである。農業収入だけに目を向けて農地を軽く扱ったり、不当に安く見積もる事は防災上の面からも決して正しいことではない。


 さて、うちの昨年のコメの出来は……まぁ、お世辞にも良いものではなかった。

 自宅で食べる事が目的であるので多少の不出来は問題にもならないけれど、出来のいい年のお米はやはり美味しいものだ。そして、食べきれない分は自主流通米として業者に引き取られていく。うちの収穫量で言うと、大体6分の1程度しか自家消費できず大部分は出荷することになるのだが、たぶん……農家の方が聞いたらこれだけでも「小っさ!!」と言うであろう。それくらい、続けるのも馬鹿らしいほどの小さな水田なのである。

 しかし、うちの集落では多少の差はあれどそのくらいの規模の農家がほとんどだ。戦後の農地解放で各小作に割り振られた農地をそのまま維持しているという状態で、謂わば自分で食べるために割り当てられた農地だったものが、そのままの姿で現代まで生き残っているというわけである。


 で、かつてはそのくらいの面積であっても収量は安定せず5年に一度は食糧難になるほどの脆弱な基盤農業だったのだが、それも徐々に改善され今ではどこの農家もコメ余りという状態が常である。そのため、どの農家でも余剰米を出荷しなければならないのだが、御存知の通り以前の米は管理流通を主としており自主流通はご法度であった。一部の良質な米に関しては自主流通としていわゆる「ヤミ米」を追認する形で認められることになっており、その制度も後に廃止となる。

 1993年(平成5年)に起こった冷夏の影響で米の収量が激減、それを受けて旧来の食料管理制度は廃止となり、その後新たな「食糧法」が施行されることとなった。


 我が家の米も昔から、様々な業者がトラックで家の前まで買付に来てその場で現金で買い上げていく、いわゆる「ヤミ米」として流通していたわけだが、これも現在はヤミではなく自主流通という形で出荷されている。(その頃の名残で、今でも米の仲買業者は「ヤミ屋」と呼ばれているのが面白い)


 昨年の山形方面での豪雨災害が報ぜられた後、うちでは稲刈りが終わり新米が確保できたため、残った古米を処分するため普段から取引のある仲買業者に電話をして来てもらったのだが、その時提示された買い取り金額が……ちょっと恐ろしいことになっていたことがあった。去年の米なのに新米並みの相場で買っていくと言うのである。

 あまりのことで心配になり詳しく事情を聞いた所、件の山形県の米どころの豪雨災害や新潟の高温と干ばつの影響などで一等米の量の不足が心配されている、現に業者の倉庫はどこも空っぽになっているというのだ。その為、需要が高まる時期を前に米不足を起こさないように水面下で「ヤミ屋」同士による買付合戦が起こっているというのである。今はまだ静かなものだが、いずれちょっとした混乱が起こるかもしれん、ということをその業者は話していた。(実際はカメムシ被害の割合も多かったようです)

 当然、我が家には収穫したばかりの新米が大量にあるので、いつもならそれも併せて買い付けていくのだが、その業者は親切にも「まだ待ったほうが良い」と教えてくれたのだ。確実なことは言えないが、今後相場がどう動くのか分からないほどの乱高下が予想されるというのだ、少なくとも今より値崩れは無いだろうと。結局、予定していた量の半分ほどを買い上げてもらい手元には古米が300kgほど残ることになった。

 実際の所、今、安値で全て買い叩いておけばこの業者は儲かるだろうに……。随分とお優しいことだと思ったものだが、そういう人柄だからこそ、うちもこの業者と付き合っていたのである。

 ちなみにその業者、けっこうなおじいちゃんで体格が良く腰も曲がってはいないのだが、いつもぜーぜーと息を切らして米袋を担ぎ上げるのもやっとなほどのご高齢である。残念ながらこの仕事、あと5年は保たないであろうと云う風体だが、いつも親切なのでできる限り付き合っていきたいと思っている。


 で、年が明けた今年の春先、いつものように電話があり「米買い付けに行きますよ」と報せがあった。ところがその直後、別な業者が家を訪れ、「米があったら売ってくれ、幾らでもいい」と言うのである。

 普段見かけない業者で、たぶん飛び込みでこの地域に来たのであろう。乗ってきたのもトラックではなくレンタカーのハイエースであった。

 知らない業者だったので売るつもりはなかったが、試しに「古い米でも良いかい?」と冗談半分で聞いてみたのだが、なんとその時提示された金額が去年聞いた新米の価格よりも上だったのである。豊作の年など、新米であってもこの半額くらいの事は何度もあった。

 正直、魅力的な金額ではあったのだが、いつもの業者への義理もあるためその業者の買上げは断ることにした。


 後日、いつもの業者がトラックで訪問。

 残っていた古米も含めて大量に買い上げてくれた。提示された古米の金額は、先日の業者よりは1割ほど安かったもののそれでもやはり去年の新米並の値段である。ぶっちゃけ、新米でもここまで高かったことはなかった。結果的に業者の助言は正しかったことになるが、いくらなんでも高すぎるのではないかと思い、今回もやはり事情を聞いておくことにした。併せて、先日来た知らない業者のことも尋ねてみた。

 原因はやはり、昨年の豪雨災害で不足した分の米の流通がスムーズではないことが原因らしいというのだ。全体量としてはそこまで低下していないはずだが、なぜかどこの倉庫も空で、この業者自身も今注文を受けている分さえ賄えないような、大忙しの状態だというのだ。

 おそらく、先日の謎の業者は品不足に便乗したヤミ業者だろう、ということであった。実際、買い付け先でバッティングすることが度々あったというのだ。


 こちらとしては、かつて無いほどの高値で買い取ってもらえたためホクホクであったのも事実。だが、これが他の農家の被害の結果だというのでは……複雑である。

 だれかの不幸が誰かの幸福になる、まことにこの世は煉獄である、というのが持論でもあったが、こんな形で眼の前に顕在化するとなると、やはり気持ちは穏やかではいられなかった。


 実際のところ、我が家では前述の冷夏の凶作の年以外で米を買って食べたことなど無かったため、現在の世間様の米不足がどのようなものなのか実感するのは難しい。全体量はそれでも間に合っているはずだというのが件の業者の言であるが、流通がうまくいっていないということなのであろうか。

 こういうときは、知り合いに農家を持っておくというのは強みであると思うと同時に、未だ持ってこの国は突発的な事態には対応しきれていないのだということがよく分かるところでもある。



 

 

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