梶原親子のアレコレ

ご指名先は可愛い娘に(前編)

 Prrrr! Prrrr!



「ああもう……お願い、早く出てよぉ……!」


 焦燥感にかられながら、耳元で淡々と鳴るコール音を聞き続ける。


『はい、お待たせしました。こちら『クラブ・マイガール』です』

「も、もしもし!もしもーし!?」


 もはや出ないのではないかと不安に駆られながらも、十回目のコール音を数え終えた頃。ようやく待ちに待った相手がスマホの向こうで受話器を取った音が聞こえてきた。よ、良かった……やっと繋がった……


「……あ、あのっ!本日予約させていただいた梶原かじわら朱音あかねという者ですが……!」

『梶原朱音さま…………ああ、本日十五時にご予約されていた梶原さまですね。ご利用ありがとうございます。どうなさいましたか?……もしやキャストの子がまだ来ていなかったりします?』

「そ、そうじゃなくて……ちゃ、ちゃんと指定してた子は時間通りに来て貰ってはいるんですけど…………そのっ!折角呼んで貰ったのに、急で大変申し訳ないのですが……チェンジを!チェンジをお願いしたくて!」

『……え』


 たっぷりと焦らしに焦らされた私は、用件を早口でお店の人に伝える。私のこの要望はかなり想定外だったようで。数秒ほど不自然な間が挟まってしまう。


『えーっと…………チェンジ、ですか。……あの、梶原さま?キャストのアケミはお気に召しませんでしたか?こちらといたしましては……最大限、梶原さまのご要望に合った至高の女の子を用意させていただいたつもりなのですが』


 ……ああそうだ。その通り。確かに要望通りの可愛い子が来たよ。でも……でもね。何というか……それは要望通り過ぎたというか……


「と、とにかくすぐにチェンジお願いします!?あの子以外の子じゃないとダメなんです色んな意味で……!」

『そう仰いましても……今すぐに代理のキャストを準備となるとかなりお待ちいただく事になると思いますよ。それに当店では先に説明させていただいた通り、チェンジを使われる場合は最初に指名した子のキャンセル料もお支払いして貰う事になってしまいますが……』

「それでも良いんです!なんなら倍のお金も払わせて貰います……!と、とにかく早くチェンジを——」


 藁にもすがる思いで、私は必死に懇願する。『チェンジ』は追い詰められた私に残った最後の手段。これが認められないなら私は……!


「って、ちょ……ちょっと!?何するの!?そ、それ私のスマホ……お、お願い返してぇ……!?」


 と、そんな私の一連の行動を静観していた目の前の彼女が突如として動いた。通話中の私のスマホをあっさりとひったくり。そして……


「もしもし店長。お電話代わりましたアケミです。……いえいえ、大丈夫。トラブルなんてありません。チェンジの件ですが、問題ありません。……はいそうです。時間もオプションも料金もそのままでOKです。終わりましたら電話しますので。それでは……」



 Pi!



 そのままお店の人と手短に話をして、無情にもその通話を切ってしまう。私の頼みの綱をバッサリと切ったその子は私にスマホを返しつつ。ハッキリとした口調で彼女はこう告げるのであった。


「さて……と。それじゃあ時間も惜しいし。それに色々と、お話もあるから。早速だけど予約してるホテルへ行こうか——ね、

「…………」



 ◇ ◇ ◇



 私、梶原朱音は一児の母である。世界で一番大切で大好きで大事な可愛い愛娘を持つ一人の母親だ。加えて、梶原朱音は女の人しか愛せないタイプの一人の女である。物心ついた時から女性に興味があって、初恋の人も当然のように綺麗なお姉さんだった。母親となった今でもそれは変わることなく、恋愛対象は女性のままだ。

 ……それ、矛盾してないかって?恋愛対象が女性なら、どうして子を持つ母親になったのか?何か複雑な事情でもあるのかって?いやいや、笑っちゃうくらいありきたりで陳腐な話だよ。頼んでもないのに両親にお見合いさせられて。流されるまま見合い相手と即結婚させられた、ただそれだけの話だ。


 正直に言うと、それはもう当時は嫌だったよ。あの時は片思いしていた人だっていたし(当然だけど片思いの相手は女の人)、まだあの頃は高校卒業したてでまだ十八歳だったわけだし、知らない人——それも恋愛対象として見られない男性とパートナーになって一緒に暮らすとか考えられなかったもの。


 それでも結婚してしばらくは頑張って表面上は良い妻を、母親を取り繕っていたつもりだけれど……そんな嫌々な気持ちで結婚した相手とは、やっぱり上手くいくはずもなく。娘が生まれてしばらく経ってから。その人は私と娘を置いて別の人の元へと行ってしまった。


 そこから私は子育てを一人でする事になって……忙しい日々が始まった。


 その忙しさは寧ろ救いだったと思う。余計な事を考える必要なんてなく、ただ私はひたすらに生まれてくれた愛娘を愛でるだけで良かったのだから。浮気したのは向こうだったから、親権はあっさり私に譲って貰えたし。養育費は勿論、浮気した方のご両親からは慰謝料もびっくりするくらい払って貰った。お陰でこちらは娘を大事に育てる時間も費用もたっぷりあった。


『おかーさん、大好き!』


 お腹を痛めて生んだ子は、本当に可愛くて。この子のためなら何だって出来ちゃいそうだった。お父さんに逃げられたダメダメなお母さんだったけど、それでも娘は私を慕ってくれて。共に支え合い、時に喧嘩し合い、そして手を取り合って。二人で色んな事を乗り越えてきた。


 そんな我が子は今年で十八歳……私が結婚した歳と同じになった。大学受験も無事に乗り切り、いよいよ大学生となる。合格した大学は県内ではあるけれど、流石に通学するには我が家は遠くて。結果近くの学生寮を借りる事になって……


『四月からお互いに一人暮らしになっちゃうけどさ、寂しくても泣かないでね母さん。寂しくなったらいつでもうちに来なよ。つーか、母さんも学生寮に住めば良いんじゃない?』


 なんて、娘からは引っ越しする時に散々からかわれもしたっけか。……さて。そんなこんなで娘が生まれてから久方ぶりの一人の時間が出来た私なんだけど。一人の時間が出来てすぐ、娘と一緒に暮らしていた時には感じる事がなかったある問題が浮上することになる。


「…………やること、ない……」


 娘と離れて気づいた事がある。ちょっと家事をして日課のジョギングをして家計の足しにふらっとパートへ行く以外……やることがまるでない。娘と一緒に居た時は、娘に付き添ってお買い物したり映画を見に行ってたりもしたんだけど……娘がいなくなった途端、手持ち無沙汰になってしまったのである。


「私……趣味が娘だったんだなぁ……」


 自分以外誰もいない部屋でしみじみ独りごちる。自分のあまりの無趣味さに驚いた。独りの夜は、それはもう長くて辛い。娘と一緒に見ていた時はあんなに面白かったテレビは、今一人で見ると恐ろしくつまらなくて。雑誌を読んで時間を潰そうとしても中身が頭に全く入ってこなくて。ゲームとかは元々苦手でやる気が出なくて。お酒でも飲めたら飲んで寂しさも忘れられそうだけど……生憎私はお酒なんて飲めなくて……


「…………朱美ぃ……」


 唯一の楽しみは愛娘との一日一回のメール、そして愛娘との週に一回の電話だけ。『寂しくて泣かないでよ』と冗談交じりに娘にからかわれてたけど……ホントに寂しくて泣きそうでつらい……『寂しいなら私と一緒に学生寮に住めば良いじゃん』って言われてたけど……その甘言に本気で従いたくなっちゃいそう。

 こんな情けない事、恥ずかしいし情けないしで娘には絶対言えないけどね……


 そんな折だった。少しでも気を紛らわそうと娘の部屋の掃除をしていた私に、一冊の情報誌が目にとまったのは。

 自分じゃ絶対買わないし読まないであろう、娘が買ったらしい今時の情報誌。それに大きく取り上げられていたのは、女性向け風俗の特集だった。内容は女性でも気軽に楽しめるエッチなマッサージだったり、出張ホストサービスだったり。そして特に私の目を引いたのは……


「………………?」


 基本的には男性が使うデリヘルと同じだけど、大きく違うのは女の子同士で性的なサービスを受けられるという所謂ビアン専用ヘルス。『初めてだって大丈夫、一人の夜の寂しさを一夜の彼女が埋めちゃいます』なんて謳い文句がデカデカと載っていて。

 ……この時の私は、どうかしていたんだと思う。お金も時間も有り余っていて。人恋しさでおかしくなっていて。そして何よりも……長年気づかないフリをしていた。十数年溜め込んでいた自分の中の欲求不満が爆発してしまって……


 そんなこんなで気づけば私は何かに取り憑かれたかのように、情報誌に記された電話番号から電話をして……お店の人に自分の好みのタイプを告げていた。時間と場所を取り決めて指名して……ホテルも予約し。そして本日、人生初のデリヘルを……と言うか、人生初の風俗を楽しむ算段になっていたのである。


「……どんな女の子が来るんだろ。お店のHPでは顔載せはしていなかったけれど……雰囲気はまさしく私の好みにドストライクなタイプの女の子だったよね……」


 緊張しながらも、約束の時間三十分前から待ち合わせ場所でドキドキしながら待つ私。


「——お待たせしました、指名されました『アケミ』です」

「あ、はいです!梶原朱音です……っ!きょ、今日はどうかよろ……しく…………?」


 そんな私の前に現れたのは……確かに私の好みにドストライクなタイプの女の子で……そして。


「…………アケミ、さん?」

「うん、そうだよ。レズデリヘルで梶原朱音さまにご指名された『アケミ』だよ」

「…………」


 ……その子は確かに指名したとおり、好みにドストライクなタイプって言うか……ストライク過ぎたというか。ある意味一番会いたかったけど、一番会いたくない人というか。どこかで見た顔……どころの話じゃない。他の誰よりも見知りすぎた人だった。

 さっきから回りくどくてお前が何を言いたいのかわからない?もっと簡潔に話せって?そうだね……じゃあ一言でこの状況を説明しようか。


 ……女の子専門デリヘルを頼んだら、実の娘がやって来ました。

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