私がママのママになる(後編)

 自分の口元が怪しく歪んでいるのを自覚する。気持ちが昂ぶり薄ら笑いが止められない。きっと私は今、すっごい悪い顔をしているのだろう。

 今やっとわかった。ママが酔って、そのママをお世話していた時から芽生えていたあの感情の正体を。

 ママに失望した?あんなママなんて見たくなかったって、ガッカリした?いいや違う。あの時感じたのはそういう嫌悪感みたいな嫌な感覚なんかじゃない。私が感じたのは……寧ろその逆。


 一言で言うと。私は、ママに甘えられて……心の底から興奮していたんだ。


「ママ、ままぁ……」

「はーい。冬華のママは、ここですよ」

「もう、いなくなったりしないでね……?ずっと、側に居てね……?」

「……大丈夫。ママは冬華を置いていったりはしないわ」


 私にとってのママは。自分を守ってくれる、自分を愛してくれる……絶対的存在。間違っても娘である私の前で弱いところなど見せる事は決してなかった強い存在だ。

 けれどそんな絶対的で強いママが、今まで絶対に見せようとしなかった弱さを不意に曝け出し……惜しげも無く娘である私だけに見せているというこの事実……ひどく高揚してしまう。


「ね、ママ……ママももっと……ぎゅってして。ママの温もり、感じたいの……」

「……うん、良いよ。ママが冬華をあたためてあげるわ。これでどう?」

「……あったかい。きもちいい……なつかしい。ママの、大好きなママの匂いだぁ……」


 普段は隙なんてないしっかり者の頼れるあのママが、理想のママ像の体現とも言えるあのママが!……こんなに弱々しく無防備に甘えん坊になってしまっている。

 そのギャップが堪らない。ぞくりぞくりと全身が震え背徳感に酔いしれそうになる。


「ふぁ……ぁ……んぅ……」

「……冬華、もしかしておねむかな?そろそろ寝ちゃおうか」

「ん……ねえ、ママ……」

「なぁに冬華?」

「…………その。一緒に……」

「……ああ、なるほど。一緒に寝て欲しいんだ?」


 もじもじと私の袖を掴み、小さく頷くママ。少女のようなその反応……ああ、なんて可愛いんだろう。私の中で庇護欲が湧き上がる、ママの言う事ならなんでも言う事を聞いてあげたくなっちゃう……これが、母性本能ってやつなのかな?


「いいよ、ほら……おいで冬華」

「……うんっ!」


 毛布と布団をめくり広げてから、おいでおいでとママを誘う。ママは心底嬉しそうに飛び込んできた。シングルベッドだから二人で寝るのはちょっと狭い。けれど……


「冬華、狭くない?苦しかったりしない?大丈夫かな?」

「へーき。ママといっしょで、すっごく落ち着くよ……」

「……そっか、良かった」


 今の私とママにとってはこの狭さが逆に良い。だって合法的に密着できちゃうからね。

 ママとこうして添い寝をするのは、いつ以来だろうか?昔を懐かしみながら、昔ママにして貰った通り……今度は私がママに同じ事をしてみる。

 自分の腕をママの枕代わりにして。ママを抱き寄せてママの背中を愛おしくさすったり、ぽんぽんと優しく叩く。ついでに昔ママに歌って貰った子守歌を歌ってみる。ねむれねむれとママの耳元で囁き歌う。


「…………」

「……冬華?」

「…………すぅ……」

「……寝ちゃったみたいね」


 しばらくそうやって寝かしつけの真似事をしていると。いつの間にかママは穏やかな寝息を立てていた。

 ……なんて幸せそうな寝顔だろう。安心しきっていて、穏やかで……愛らしくて。守られるべき存在の娘である私がこんなことを言うのはちょっとアレだけど……思わず守ってあげたくなっちゃう。そんな天使みたいな寝顔だった。


「……おやすみなさい、冬華」


 そんなママのおでこに、おやすみのキスをする。お疲れ様、ママ。今日はゆっくり休んでね。


「…………あー。だめだ……私も、そろそろ限界……かも……」


 ママのすぐ側で規則正しい寝息を聞いていると。私も次第に意識が途切れ途切れになっていく。色々と怒濤の展開が起こりすぎて、私も想像以上に疲れていたらしい。それに加えて久々のママとの添い寝は、それはとても心地よくて……瞼がだんだんと下がっていって——



 ◇ ◇ ◇



 ——次の朝。目が覚めたら、ママはもうベッドからいなかった。部屋を出て、恐る恐る台所を見てみると……いつものように、ママはエプロン姿でトントントンと。包丁の軽快な音を立ててお料理していた。

 お料理するママの凜々しい立ち居振る舞い。それは間違いなく、いつもの私の理想のママの姿で。昨日のあれこれは、私の夢だったんじゃないかと一瞬疑ってしまう程。けれど……


「……あ、あの……冬華、ママ……?」

「ッ……!?お、おおお……おはようっ!?」


 私の顔を見るなり。頬を全力で真っ赤に染め、あわあわと慌てふためくママ。

 ……へぇ?これは、この反応は……


「…………うん、おはよう冬華ママ。体調はどうかな?」

「だ、大丈夫……よ?二日酔いみたいで、ちょっと頭は痛いけど……特に支障はない、わ…………そ、それよりも……雪菜?」

「なぁに、ママ?」

「き、昨日の……事なんだけど……」

「昨日?昨日はママ、帰ってくるなりすぐに寝ちゃってたけど……昨日何かあったっけ?」

「そ、そう。……そうなんだ……あ、あはは…………(ブツブツブツ)ゆ、夢……?昨日の、アレってやっぱり夢……よね?ゆ、雪菜を……あろうことかママと思い込んで、色々ヤバい事やらかした気がするんだけど……流石に夢、なのよね……?」


 …………このママの反応でわかった。うん、やっぱりあれは……夢じゃない。


「んー?昨日がどうかしたのかなママ?」

「な、なんでもないわ雪菜ママ……」

「雪菜、ママ?ふふふ、娘に何を言っているのかな冬華ママは?ママは、ママの方でしょう?」

「ッ!!!?ご、ごめん!今の無し!言い間違い!き、気にしなくて良いからねっ!?」

「ふーん、そう。……ふふふ……おかしなママ」

「うぅ……」


 テンパって、昨日のアレを夢だとこっそり自分に言い聞かせているママ。そんなママを横目に、何も知らないふりをしながら……私はまた悪い顔になりそうになるのを必死に堪えていた。

 ああ、なんて……なんて可愛いの。私のママは。昨日目覚めたばかりの母性本能が全力でくすぐられる。今すぐにでも、また昨日みたいにママを甘やかしたくなる。


「(…………ダメ、だめよ雪菜。ここはグッと我慢しないと……)」


 そんな自分をどうにか抑え込む。……昨日、ママは酔って告白していたじゃない。娘である私の前では、理想のママとして振る舞っていたと。私の為に、一生懸命理想の母親としての姿を見せていたと。


「(きっと……素面のままだと、ママは私の前では甘えられないハズ)」


 母親としての矜恃や責任感。そして娘である私への深い愛……そういうあれこれをママは抱いているからこそ、ここまでママは頑張れたんだ。今更そのママの頑張りを否定して、むやみやたらに甘やかそうとしても……素直にママは私に甘えられないだろう。

 ママのそのいじらしい努力を、私は否定できない。娘である私を愛してくれるママのそんな頑張りを無碍には出来ない。そんな事したくない。だって、私……今でもやっぱり普段の強く凜々しくかっこいい、私を優しく包み込み、何が来ても守り慈しんで育ててくれる……そんなママが大好きなんだもん。ママに甘えるのも大好きだし、ママのそういうかっこいい姿に憧れているんだもん。


 だから——


「ねえ、ママ。それよりさ」

「な、何かしら雪菜……?」

「期末試験も無事に終わって、私は今日から冬休み。そんでもって……ママも今日からしばらくはお仕事お休み。そうだよね?」

「え、ええそうね。……それがどうかしたのかしら?」

「だからさ、ママ」


 台所においてある日本酒やワインを掲げ。私はママに怪しい笑みを浮かべてこう告げる。


「今年もお疲れ様って事で。今日の夜は……一緒にお疲れパーティでもしない?ママも久しぶりに——お酒でも飲んじゃってさ、無礼講しちゃおうよ♪」

「ッ!?…………お、おさけ……を?」

「そう、お酒だよ。色んなしがらみとか忘れてさ、今日はぱーっと飲んじゃおうよ」

「で、でも……私、お酒は……」

「…………大丈夫、例え酔ってもママは私が介抱してあげる。そう……、ね……♡」

「…………あっ……♡」


 ねえ、ママ。私は貴女の前では、これからも何も知らない可愛い娘として振る舞ってあげるよ。娘として、これからも目一杯ママに甘えるから……ママも好きなだけ私の理想のママとして振る舞って良いよ。

 …………でも、その代わりね。


 ママが酔ったその時だけは、私がママのママになってあげる。

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