私がママのママになる(中編)

「——ママ、ママぁ……♡」

「…………あ、あの……冬華ママ……?」


 とりあえず状況整理はこんな感じ。この状況から察するに……まさか。


「(ママは私を……自分のママだと勘違いしてる……?)」


 どうやらお酒に酔って寝ぼけたママは、娘である私に……自分にとってのママを——要するに私にとってのお婆ちゃんの面影を見てしまっているらしい。


「ああ、ママだ。ママがいるよ……」


 憧れの人の突然の豹変に、本気で戸惑いを隠せない私。そんな私などお構いなしに、ママは私の胸に思い切り顔をうずめて、熱に浮かされたようにそう嬉しそうに呟く。服越しにかかる吐息と熱がくすぐったい。


「ま、ママ……えっと。落ち着いて聞いて。私は貴女のママじゃないの……私は貴女の娘であって、決してママでは……」

「えへへ……何言ってるの?ママは、ママだよ……」


 困惑しながらも私はママに正気に戻って貰おうとそう事実を告げるけど。ママは首を振り、顔を見上げて恍惚とした表情でこう返す。


「昔から、ママは優しかったよね……私がお熱を出して倒れた時も……さっきみたいに、私を運んでくれたり……お洋服を着せてくれたり……お薬を飲ませてくれたり。……これでママがママじゃないなら、いったい誰が私のママだと言うの?」

「……おおぅ」


 思わず頭を抱える私。しまった……お酒に酔って判断能力が低下している事もそうだけど……私がママを介抱した事がきっかけになって、ママの中で子どもの頃の記憶が呼び起こされたらしい。

 つまりこれは……こうなった原因の半分は、私のせいって事になるわけで……


「あ、あのね冬華ママ……よく聞いて。私はママじゃないし……ママのママはもう……」

「ふふ、ふ……ママ……懐かしい、懐かしいね……」

「…………冬華ママ……泣いてるの……?」

「ああ、ずっと会いたかったよ……ママ……」

「ッ……!」


 どうしようとアタフタしている私の胸の中で、すすり泣く声が聞こえてくる。


『会いたかった』


 その一言に、私は言葉が出せなくなる。

 ……私は自分のお婆ちゃんの事はよく知らない。と言うのも。かなり早くに病気で天国に行ってしまったらしく……直接会った事がないからだ。


「あのね、ママ……私……ずっとママに、言いたかった事があるの……言いたくても、言えなかった事があるの」


 私の事をお婆ちゃんだと思い込んでいるママは、ポツポツと話を始める。


「私ね……ママが最後に言ったとおり、ちゃんと幸せになったよ。ママは言ってたよね……『冬華、幸せになるんだよ』って。ママが言ったとおり……好きな人が出来て。——まあ、結局あの人とは別れる事になったけど。でも、でもね……私、今すっごく幸せなの……だって、だってね……娘が、出来たの」


 テストで良い点をとった事をお母さんに報告する子どものように、一生懸命ママは話す。『私はママじゃない』と否定するような言葉はもう口に出せなくなった私は、ただ静かにママの話を聞く。


「雪菜っていう、かわいい娘なの。頑張り屋さんでね。とても優しい良い子に育ってくれたわ。お勉強も出来て、家事も私に言われなくても進んで手伝ってくれて。お休みの日は一緒にお出かけもしてくれて……母親である私を尊敬してくれてる……目に入れても痛くないよくできた自慢の娘なの」

「……」


 嬉しそうにママは自分の娘の事を話している。……まさかその話し相手が、自分の娘張本人だとは夢にも思ってないんだろうな……というか、すっごい恥ずかしいんだけどコレ。何この羞恥プレイ……

 …………いや、まあ。恥ずかしいけど尊敬しているママにこんな風に思って貰えてたんだってわかって、めちゃくちゃ嬉しいんですけどね?


「でも、ね……ママ。私は……雪菜のお陰で毎日がとっても幸せなんだけど……あの子は幸せなのかなって……不安になる時があるの」

「……え?どうして?」


 想像だにしていなかったママのその一言に、聞きに徹していた私は思わず聞き返してしまう。私が幸せかどうか不安になる時がある?何故?どうして私の幸せを疑われるんだろうか……?


「だって……あの子には……苦労をかけてばかりだから。母子家庭で……普段からあんまり贅沢な暮らしをさせてやれてないし、旅行とかも満足に連れて行けていないし……そのくせ、いつも私は仕事で帰るのが遅くて……家事もままならない時だってあるし……たまの休みも仕事の疲れを取るのでいっぱいいっぱいで……家族サービスなんて禄に出来ていないし……寂しい思いもいっぱいさせているんじゃないかって……」

「……ママ」


 ……知らなかった。ママがそんな不安を抱えていたなんて。今までただの一度だってそんな不安を私の前で溢す事なんてなかったから……

 いや、考えてみれば当然か。こんな話、娘である私に話せるはずもないよね……


「それに……それにね。私、ママみたいに……ちゃんと雪菜を甘やかせていないの……ホントは……もっと、思い切り甘やかしたいのに。ママが私にしてくれたみたいに、いっぱいいっぱい……大好きで可愛い私の娘を……雪菜のことを甘やかしたいのに。……でも……うちには父親がいないから……私が頑張って……厳格な父親の役割もしなくちゃいけないから……しつけのつもりで、雪菜に怒る時もあって…………怒った後はいっつも後悔してたの……もっと違う方法があったんじゃないかって」

「……」


 相当にストレスを溜め込んでいたのだろう。自分の母親はすでに他界しているから、そういう相談なんて出来ないし……唯一の血縁関係である娘の私にも、こんな話できるはずもないし。

 だからずっとずっと、ママは一人そういう不安も悩みも抱え続けて溜め込んでしまっていたのだろう。それが今、限界を超えて吐き出されてしまったんだ……


「……ダメなの。どれだけママの真似しても……理想のママを演じてみても……いつも上手くいかないの。こんなの……母親失格、だよね……娘一人、満足に幸せに出来ないなんて……」

「あ、あの……」

「ごめん、ごめんねぇ……雪菜……ごめんねぇ……うぁ、うわあぁあああああん!!!」


 とうとう声を上げてママは泣き出す。そんな赤子のようなママを前にして、私はもういても立ってもいられなかった。すがりつくママの頭をぎゅっと抱き……そして。


「……だ……大丈夫、大丈夫よ」

「……ママ?」

「私は……ママは。冬華が頑張ってるの、ちゃんとわかっているわ」


 ママにいつもして貰っているのを思い出しながら。ママの口調を必死に真似をしてママを褒め、そしてギュッとママを強く抱きしめる。


「冬華は偉い、偉いわ」

「…………ぁ」

「そんなに、自分を責めちゃダメ。だって……冬華はいっぱい頑張っているんだもの」

「ほんと?ママ……私、頑張ってる……?ちゃんと、あの子のお母さんをやれてる……?」

「ええ、勿論。冬華は立派なお母さんよ」

「私、えらい?」

「ええ、冬華はとっても偉いわ」

「……そっかぁ……よかったぁ……」


 正直上手くいく自信は無かったんだけど……私の拙いママエミュも、多少なりとも効果はあったらしい。泣きじゃくっていたママは『偉い偉い』と連呼する私の胸の中で、少しずつ泣き止んで……そして、天真爛漫な笑顔を見せてくれる。


「ね、ね。ママ。私頑張ったよ。ママがいなくても……一生懸命頑張ったよ」

「うん。そうね。冬華はいつもよく頑張ってるわね」

「だから……ね。その……」

「……?どうかした?」

「…………ご褒美に……い、良い子良い子……して?」

「えっ」


 上目遣いにママはおねだり。い、良い子良い子って……


「……え、えっと……その」

「…………だめ?」


 やった事なんてないし、ましてそんなママに対して失礼な事は出来ない。そう口に出そうとしたけれど。こんなに期待を込めたキラキラした目で訴えられて、そんなママを前にして……私は。


「……だ、だめじゃ……ないよ」

「ホント!?やったぁ!」

「えと……こ、こう……かな?」

「うんっ!」


 出来ないなんて言うに言えず、とりあえず言われるがままやってみる。ちょうど昨日、試験結果をママに見せた時の事を思い出して……ママに頭を撫でられた時のあの幸せな気持ちを思い出して。ママの頭を撫でてみる。


「そう……そうだよ……」

「こ、これで……いいの?」

「うん、いいよ……ママ、上手……」


 私の良い子良い子に、ママはうっとりとした顔を見せる。撫でる度に蕩けた表情で吐息を漏らし。まるで飼い猫がもっと撫でろと言っているように、おでこを私の胸にしきりに擦りつけて良い子良い子を促す。


「えへへ……♪ママのいいこいいこ……好きぃ……」

「…………っ」


 そんなママの姿を見せられて……そのままママの頭を撫でながら私は。心の奥底で、黒い感情が芽生えているのがわかった。先ほど感じた、あの謎の感情が再度自分の中でわき上がっているのを感じていた。


 …………これが本当に、ママの姿か?


 私の知っているママは。私が憧れているママは……強く凜々しく美しい、尊敬できる自慢の女性だ。どんな時でも私を守ってくれる……いつでもかっこよくて頼りになる、そんな存在だったはずだ。

 大きくなったら私は……ママみたいな素敵な大人の女性になりたい。そう切に願っていたというのに……


「ママ、まま……もっとぉ……♡」

「…………ッ!」


 それなのに、なんだこの今のママの姿は。お酒に酔い、普段の凜々しさかっこよさはどこへやら。頼りになるどころか……弱々しく娘である私に赤子のように泣きじゃくったり縋ったり。娘である私の中の自分の母親の面影を求め。終いには猫なで声など出して甘えてなすがまま。

 私の憧れた理想のママの姿はそこにはない。


 ああ、なんて事だ。こんなのって……こんなのって——







「(…………こんなの、……!)」

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